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(回答先: 元五輪金メダリストが語るロシア勢の強さの秘密 【梅田香子 】 投稿者 愚民党 日時 2006 年 2 月 24 日 08:34:21)
梅田香子
第3回
村主章枝、すべての壁を乗り越えて(1/2)
村主章枝との出会い
米国“夏合宿”での村主。面倒見がいい、姉御肌な一面も【梅田香子】
私事で恐縮ではあるが、やはりこれは書いておかなければ、フェアではないだろう。
2年前の夏、近所のプールで下の子と遊んでいたら、長女が呼びに来た。
「オレグがママのことを探していたよ。日本のチャンピオンが来るから、ホームステイさせてほしいんだって」
着替えは自宅だったので、バスローブを着て、隣接しているアイススケート場へ歩いたら、オレグ・ワリシコフが来た。前回のコラムでも書いたペアのロシア人コーチである。
「夏だけ4週間ほど練習を見ることになったから、ホームステイさせてくれないか?」
それが村主章枝選手(avex)との出会いだった。
うちは広い家ではないのだが、不動産を二つ所有している友人が何人かいたから、サブレント(又貸し)を紹介すればいいと思った。
後に報道されたように、あれは新横浜プリンススケートクラブで師事していた佐藤信夫コーチのもとを離れるというものではなく、少なくともあの時点では単なる夏合宿だった。ちょうど振付師のローリー・ニコルがロシアのペアも振り付けしていたから、村主だけではなく、夏の終わりにはソルトレークシティー五輪の銀メダリスト、ティモシー・ゲーブルの姿もあった。
ニコルが拠点を置くカナダのトロントからそう遠くない地の利もあり、村主はすっかりシカゴを気に入った様子だった。その後はアパートを借りて車も所有し、妹の村主千香選手と練習を重ねるようになった。
昨年の夏はオレグではない別のコーチのところに、佐藤有香氏からの紹介で、新横浜の別の選手がホームステイに送り込まれてきた。
「ちゃんと練習している?」
と村主は声を掛けたり、シカゴ・ホワイトソックスの試合を見に連れて行ったり、妹や後輩の面倒見がいい、なかなか姉御肌な一面も見せてもらった。
「どうしてオレグに教わることになったの?」
と聞いたら、たまたまアイスショーの「チャンピオンズ・アイス」に招聘(しょうへい)されたとき、ペアのマキシム・マリニンに教わる機会があった。それが佐藤コーチと同じ教え方だったから戸惑いがなく、
「それなら僕のコーチに少し教わってみたら?」
とマキシムに勧められたそうだ。
ソルトレークシティー五輪のころ、オレグはロシア代表のビクトリア・ボルチコワも教えていて、英語に自信がない内気な彼女に対し、
「英語は下手でもいいから、インタビューにはどんどん答えなさい。そうやって自分を強くしていかなきゃ」
とオレグがプッシュしているところを、たまたま村主が見かけたそうだ。
「へえ、オレグ先生はこういう教え方をするんだって、すごくそれが印象に残っていたんです」
マネジャーやエージェントの重要性
ペアのリフトからの転落事故。左は様子をうかがうオレグ・ワリシコフコーチ【(C)Getty Images/AFLO】
折も折、2004年10月に「スケートアメリカ」でペアのリフトから、転落事故が起きた。タチアナ・トトミアニナは頭から落下。そして無残に腫れ上がった顔のまま、翌週には練習場に現れ、ニュース番組のインタビューにも応じた。「まだ頭痛は残っている」というのに気の毒に思えたが、あれもオレグなりの計算があったに違いない。
そして、彼らと一緒に練習していた村主は、
「たくさん報道が来ていて、ビックリしました」
と語っていたから、そういう一連の出来事を間近で見て、感じるところがあったのだろう。
NBCテレビで解説していたディック・バットン(元五輪王者)が、
「オレグは選手の練習はもちろん、プライベートからマスコミ対応まですべてをコントロールするコーチだ」
と評していた。必ずしもすべてをオープンにするわけではないが、確かにコントロールは巧みで、協力するところは協力するが、するするとカーテンを引くツボの部分を心得ているのだ。
村主の場合、マネジャーも会社の名前ではなく、人間性で選んだから結果として良かった。
佐藤信夫コーチ著「君なら翔べる!」を読むと、ソルトレークシティー五輪の選考会を兼ねた2001年のNHK杯のとき、前日に完全休養をとらせるつもりだったのに、米ABCテレビの取材で引っ張り回され、本番で失敗してしまった。
佐藤コーチは村主本人とマネジャーを呼んで、
「何を考えているのか!」
としかったそうだが、そこから学んだものは、非常に大きなものがあったに違いない。
取材というものは全面的に協力していると、どかどか土足で踏み込んでくるからきりがないし、かといってまったく取材を拒否してしまうと、いい加減な憶測報道ばかりが飛び交ってしまうから、そのサジ加減が難しい。
これは何もフィギュアスケートに限ったことではなく、プロ野球選手以上に、五輪競技のアスリートたちは苦労を強いられている。
もちろん10代、20代ですべてを熟知しているわけがなく、マネジャーやエージェントの存在が必要不可欠になってきているのだが、日本の場合はまだまだ遅れていて、そのエージェントが率先してトラブルのもとになったりするのだ。
<続く>
(スポーツナビ)
http://torino.yahoo.co.jp/voice/opinion/umeda/at00008060.html
サラエボとカルガリーで2大会連続金メダルに輝いたカタリーナ・ビットは、ゴシップ誌に次々と、あることないこと、つまり男性スキャンダルやぜいたくな私生活を書きたてられ、編集部に抗議に出向いたというから、そういう方法もありだろう。
壁を乗り越えた村主と荒川 プロセスに置かれる安藤
ショートプログラムを終え、荒川静香(プリンスホテル)が3位、そして村主は4位。安藤美姫(愛知・中京大中京高)は8位と出遅れた。
村主と荒川は、やはり2度目の五輪ということもあり、それぞれ彼女たちなりの方法で、すでにそういった壁を乗り越えてしまっているようだ。そして、まだ18歳と若い安藤は、ちょうどその渦中に放り込まれ、プロセスに置かれているように見えた。
残酷なようだが、アスリートの心は恋愛と同じで、傷つかなければ成長しないもの。もっとも、だからこそオリンピックはここまで大衆の心を揺さぶるのだろう。
ショートとフリープログラムの両方を合わせても10分足らず。にもかかわらず、スケーターたちは氷上練習、バレエ、陸上トレーニング、筋力トレーニングなど、その何倍もの時間を日夜費やしている。
今でも階段や居間を見ると、わずかな空間を利用して、まだ薄暗い早朝から、もくもくとストレッチに励み、
「おはようございます!」
と大きな声を出していた村主の残像が、圧倒的な存在感を伴ってよみがえってくるのだ。
トリノで練習を見たオレグからのメールにはこんな一文があった。
「すべてを乗り越えた今、もはや自分に負ける要素が、彼女には何一つ残されていない」
<了>
(スポーツナビ)
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梅田香子(うめだ・ようこ)
東京都国分寺市出身。1985年に「勝利投手」(河出書房新社)で文芸賞佳作。これはベストセラーになり、以後はフリーランスで主にプロ野球を取材するようになる。1991年、結婚を機に米国永住権を獲得して、米国シカゴに移住。現在は新聞、雑誌、ラジオ、ウェブマガジンでメジャーリーグ、フィギュアスケート、アメリカ文化をテーマに執筆を続ける。著書は「スポーツライターの24時間」(ダイヤモンド社)「マイケル・ジョーダン 真実の言葉」(講談社)「スポーツ・エージェント」(文芸春秋)「フィギュアスケートの魔力」(文芸春秋)など多数。
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http://torino.yahoo.co.jp/voice/opinion/umeda/at00008061.html
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