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(回答先: 「歴史を基礎にするな」中国政府系元所長が対日転換論(読売新聞) 投稿者 gataro 日時 2006 年 3 月 28 日 10:29:52)
「中国の良識派に着目せよ」
2006年2月17日 理事長兼所長 伊藤 憲一
日中双方において「嫌中」「反日」といわれる国民感情が累積し、爆発寸前である。本来ならこれを制御、善導すべきはずの政府首脳外交も、むしろ逆にそれにあおられている。日中首脳の相互訪問は途絶えて久しく、2005年末には第三国での首脳会談も見送られた。日中関係は、今や最悪である。
お互いに相手を敵視すれば、行き着く先は対決しかない。しかし、果たして日中両国はそれでよいのであろうか。両国ともそんな余裕はないはずである。「嫌中」「反日」感情の背後には、相手が「一枚岩」だと思い込む先入観が、双方にないだろうか。
実は日本だけでなく、中国にも良識派、国際協調派はいる。日本は、その行動において彼らの主張と呼応してこそ、その国益を実現できるはずなのに、現実にはその逆の対応をしている。
中国において02年から03年にかけて、「日本の謝罪問題は既に解決している」(馬立誠)、「中国には日本と敵対する余裕はない」(時殷弘)、「日本の政治大国化は受け入れざるを得ない」(馮昭奎)などの「対日新思考」が登場した。また、それと並行して03年には、中国の対外姿勢全般に関する「和平崛起」論も登場した。「新興国が戦争により国際秩序を変えようとした近代史の過ちを中国は繰り返さない」(鄭必堅)、「今日の中国は、改革開放と和平崛起の大国である」(温家宝首相)、「中国は和平崛起の発展の道を進む」(胡錦濤国家主席)などである。
しかし、03年末までに「対日新思考」の論客たちは文字通り一掃され、論文を掲載した雑誌「戦略と管理」は廃刊に追い込まれた。「対日新思考」は江沢民政権の対日政策批判であったが、反撃を受けたといってよい。「和平崛起」という言葉も使われなくなった。台湾や海底資源の問題に悪影響を与えるとして、当時の江沢民党中央軍事委主席と軍部がその使用に反対したといわれる。
胡錦涛政権がその発足直後に対日関係改善策を模索していたことは間違いない。しかし、その模索は短命に終わり、03年末には江沢民政権の対日強硬策に戻った。戻らざるを得なかったというのが正確である。この間の日本はこのような胡錦濤政権の動向を把握していたと言えるのだろうか。もはや詳論する紙幅はない。
しかし、私が言えることは、これらすべての逆流にもかかわらず、中国の良識派、国際協調派はその主張を変えておらず、胡錦濤政権もまた彼らに耳を傾ける姿勢を失ってはいないということである。名前を挙げることは差し控えるが、そのような知識人の一人とは連絡を取り合って、毎年数回は必ず2人だけで会うようにしている。日中の間には利害の対立する幾多の問題があるが、いずれも根本的対立ではない。話し合えば解決できる対立である。他方、協力し合えばお互いの利益になる利害の一致する問題は無限にある。
[『世界週報』2006年2月28日号「座標」欄より転載]
伊藤 憲一 日本国際フォーラム理事長兼所長
1938年東京生まれ。1960年一橋大学卒業後、外務省入省。在ワシントン日本大使館一等書記官、アジア局南東アジア第一課長歴任後退官。日本国際フォーラムの創設に参画し、1990年より理事長。青山学院大学教授、グローバル・フォーラム執行世話人、東アジア共同体評議会議長を兼任。
http://www.jfir.or.jp/j/column/0603-ito.htm