★阿修羅♪ > アジア3 > 910.html
 ★阿修羅♪
「見るスポーツの危険性」嫌われ者の「チョムスキー、スポーツについて語る」
http://www.asyura2.com/0510/asia3/msg/910.html
投稿者 ミスター第二分類 日時 2006 年 3 月 20 日 00:27:31: syFUAx3Wc1pTw
 

(回答先: 韓国・宿敵日本に快勝!ごほうびに「兵役免除」決定(ANN NEWS)【優勝でもした気なのかな。いっそ徴兵制廃止にすれば】 投稿者 gataro 日時 2006 年 3 月 17 日 17:22:12)

「見るスポーツの危険性」嫌われ者の「チョムスキー、スポーツについて語る」

http://www.gifu-u.ac.jp/~terasima/article1sports2spectaor3translation.html

 抜粋です。
 
 阿修羅の読者の方々に嫌われるのを承知で紹介します。


「見るスポーツ」はどんな役割を果たしているか

Chomsky原文: SPECTATOR SPORTS
 ようやく2004年オリンピックが終わろうとしています。
 この間はテレビも新聞のオリンピック一色といった感がありました。
 その結果、イラクやパレスチナでどんな悲惨な状況が展開されていても皆の眼はオリンピックにしか向けられていません。
 したがって、その裏で監視・密告社会の体制が秘かに着々と進行していたとしても私たちには殆ど知る術がありませんでした。
 チョムスキーの論考を通じて、いま改めてスポーツの持つ意味を問い直したいと思います。
 以下は、UNDERSTANDING POWER: THE INDISPENSABLE CHOMSKY(『権力を理解する:必読チョムスキー読本』)の一節“Spectator Sports”(pp.98-101「見るスポーツ」)を翻訳したものです。

Q:スポーツが社会の脱政治的な人々に果たす役割についてもう少し話していただけないでしょうか。私には人々が普通に推測しているよりももっと重要なことと思われるのです。

Chomsky::
 それは実際とても興味深いものです。
 私は個人的には、それについて全てをよく知っているわけではありませんが、部外者としてスポーツ現象をちょっと見るだけでも、プロスポーツは(つまり参加しないスポーツのことを一般的に言いますが)巨大な役割を演じているということが明らかです。

 私が言いたいのは、人々が本当に恐るべき関心をスポーツに注いでいるということは間違いないということです。

 実際、私にはこうした視聴者参加型のラジオ番組をつけてよく運転します。
 そしてスポーツについてのそんな番組を聞くと、そのことが驚くほどハッキリ分かります。
 それには何人かのスポーツレポーターがいて、あるいはいろいろな種類の番組の専門家がいます。
 人々は番組に電話をかけ、彼らと議論します。

 まず第1に、聴衆は明らかにそれに対して膨大な時間を捧げています。
 しかしもっと顕著な事実は、電話をかける聴衆が恐るべき量の専門知識を持っているということです。
 彼らはあらゆることについて詳細な知識を持ち、極めて複雑な議論を続けるのです。
 そして驚くほど、人々は専門家達に畏敬の念を全く持っていません。
 それは少し異常なくらいです。

 御存知の通り、社会のほとんどの部分では、専門家に従うように奨められています。
 私たちは異常なくらいに皆そうしています。

 しかしこの分野では、人々がそうしないように思われるのです、人々はボストン・セルティックスのコーチと議論できるのを全く楽しんでいます。
 そして彼に「[あの試合では]こうすべきだった」とか言ったり、彼と激論になったりすることもあるのです。
 そこで、実際このスポーツの領域では人々はともかく全く自信を持ち、多くを知っているのです。
 多くの知識情報が明らかにスポーツの領域に入っているのです。

 実際に、それは私に幾つかのことを思い出させます。
 たとえば、読み書きが出来ないとか科学技術的でないとか言われている世界で(すなわち「原始的」文化と呼ばれるものですが)、非常に複雑な血縁関係のシステムが存在することです。
 何人かの人類学者は、これらのシステムが近親相姦を忌避するためのものだと信じています。
 が、そのシステムが機能的には実用不可能なくらいに複雑なシステムだということを考えると、にわかには信じがたいものです。

 そのシステムの構造を見ると、一種の数学のように見えます。
 それはまるで人々が数学の問題を解くことに成功したいと望むようなものです。
 そして彼らは数学や算術の知識を持たなくても数学以外の構造に関しては問題を解いてしまうのです。

 そして、全ての人が持っているその構造のうちのひとつは血縁関係なのです。
 そこであなたは手の込んだ構造を血縁関係に作り出し、それに関する専門家や理論などを発展させるのです。

[中 略]

 たとえば私たちの社会では、政治のように自分の知能を使える分野があります。
 しかし人々は実際には政治に真剣なやり方で関わることができないのです。
 
 そこで彼らがやるのは、自分の関心を他のこと、たとえばスポーツに向けるのです。

 あなたは従順であるように訓練されています。
 また興味ある仕事に就いているわけではありませんし、あなたにとって創造的である仕事が周辺にありません。
  文化的な環境では、普通は安ビカものを受動的に見せられているだけです。
 政治的社交界の生活はあなたの範囲外です。

 それは金持ち階級に握られているからです。

 だったら何が残っているのでしょうか。
 
 そうです、唯一残っているのがスポーツなのです。

 そこで、あなたは多くの知識・思考・自信をスポーツにつぎ込むのです。
 そしてそれが、概して住民が多数を占める社会において果たす基本的機能のひとつでもあると考えます。

 
 つまり、本当に重要なことに関係しないように、それから住民を遠ざけるのがスポーツの仕事なのです。

 私が思うに、ここに「見るスポーツ」が権力ある巨大な組織・協会によって実際これほどまでに支えられているもう一つの理由があるのです。


 「見るスポーツ」が持つ別の役立つ機能がまだ他にもあります。

 ひとつは、それらは「ショービニズム(好戦的盲目的愛国主義)」を築き上げる素晴らしい方法になることです。

 このような完全に非理性的な忠誠心を、まだ小さい頃から育て上げ、それを見事に他の分野に移行させるのです。


 私が言いたいのは、高校時代に一種の「啓示的体験」をしたことです。

 そうです。
 突然に悟ったのです。そして自問しました。
「なぜ私は自分の高校のフットボールチームが勝つかどうかがこんなに気になるのだろうか」と。

 私はチームの誰も知らないのです。

 彼らも私を知りません。

 もし私が彼らに出会っても彼らに何て言って良いかも分からないのです。
 だのに何故こんなに気になるのか。
 もしフットボールチームが勝利したら何故こんなに興奮するのか、もし負けたら何故こんなに意気消沈するのか。

 そしてそうなるのは本当なのです。

 そこに住んでいましたから、子供の頃からフィラデルフィア・フィリーズのことを心配しなければならないと教えられているのです。

 実際、自信の欠如のような心理的現象が明らかに出てくるのです。
 それはフィラデルフィアで成長した私の年代の少年に影響を及ぼしました。
 なぜなら全てのスポーツチームがいつも最後の砦であり、負けたときは何か自我への打撃があるのです。


 大人はいつもそんな風に横柄に振る舞って、子どもにそのような価値観を植え付けているのです。

 しかし肝心なのは次の点です。

 
 何か意味のない共同体に対する非理性的忠誠心というこの感覚は、権力への従属訓練、すなわち「ショービニズム(好戦的盲目的愛国主義)」のための訓練なのです。


 そしてもちろん、あなたは闘士を見つめています。
 あなたには決してできないようなことをやってのける人を。
 あなたは17フィートの棒高跳びなどできません。
 あるいはこれらの人々がやるようなこれら全ての狂気じみたことをできません。

 しかし、それは競争・競技してみようと私たちが考えるモデルなのです。
 そして彼らは大義のために戦う闘士なのです。
 だから彼らを応援し始めるのです。
 そして敵のクオーターバックが競技場から押し出され敵のティームが大破されると、幸せな気分にならざるを得ないのです。

 こうしたものは全て人間心理の非常に反社会的側面を築き上げます。
 私が言いたいのは、そういう側面が人間の心理にあるということです。
 間違いなく、そういうものが人間真理にあるのです。

 しかし、それらは「見るスポーツ」によって、強調され、誇張され、引き出されます。

 非理性的競争、権力機構に対する非理性的忠誠、極めて恐ろしい価値観への受動的黙認などが、実際に「見るスポーツ」によって、強調され、誇張され、引き出されます。

 権威主義的態度に対して、実際、これ以上に根本的貢献をするものを想像するのは困難です。

 多くの知能を総動員し、かつ人々の関心を他の重要事から遠ざけるという事実を考えると、尚更です。

 したがって、この全ての現象を見てみるならば、スポーツが本質的に重要な社会的役割を演じているように、私には思えます。

[中 略] 

 政治的にはっきりものを言う人たちにとっては、それら(「見るスポーツ」や「メロドラマ」など)の大半はエルサルバドルについてのニュースを形成することはありません。

 その役割は一般的な人々を本当に重要なことから関心をそらすことなのです。

 その意味では、エド・ハーマンと私がメディアに関して行ってきた仕事には、実際は欠点があるのです。

 私たちはそれ(「見るスポーツ」や「メロドラマ」など)について多くを語っていないからです。

-------------------------------------------------------------------------------------------
[私の意見]
 阿修羅ではチョムスキーを嫌う人が大勢いるようですが、このような本質的な問題を分かりやすく書いている事は留意していただきたいですね。

 それこそ自分に直接関係のないスポーツに熱中してより大切なものを見落とすことについてはっきり書いているのですから。

 そこいらの評論家や腐れ学者よりもよほどまともだと思いますが。・・・・・・・
 
 日本と韓国の試合中継が「愚民化政策」と「ショービニズム」、「ナショナリズム」を煽るための「陰謀」に見えてしまうのは私だけでしょうか。

 

 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

▲このページのTOPへ       HOME > アジア3掲示板


  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。