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中国の国家戦略:明確な国家目標を掲げて核・宇宙・海洋の分野で着々と成功を収める中国の脅威
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投稿者 愛国心を主張する者ほど売国奴 日時 2006 年 3 月 16 日 04:05:53: tTp1/cyvuKUmU
 

中国の国家戦略
                                                中国問題研究家  平松茂雄

平松です、皆さん、こんにちは。今日はお招きいただき、ありがとうございました。
これから「中国の国家戦略」について、概略の話をしようかと思います。
概略、中国がどういう戦略を展開してきたかということを頭に置いて、そして現実に起っている個々の事象を、その中に置いて理解して頂きたい。

  1.始めに
 中国という国は、建国してから50年ちょっとの時間がたちますが、建国当時から非常に明確な国家目標があって、そしてそれを具体化する国家戦略があって、その国家戦略を具体化するために国家の総力を挙げて投入している国であるということを、まず皆さんに頭に置いていただきたい。
私自身も中国研究を始めて40数年になりますが、初めは、私も大変「チャンコロ意識」が旺盛な人間でありました。中国という国をばかにして、「あんな国、なんだ」と。
事実そのころの中国は、そう言われても仕方がない国であったわけですが、中国研究をやっていくうちに、特に私は、たまたま縁あって、防衛庁の研究でめしを食うことになり、それで、今まで考えたこともなかった、中国の軍事研究、戦略研究をやることになって、それをひたすらやってきた、その過程でだんだんと私自身の考え方が変わってきました。
少なくとも「チャンコロ意識」は、捨てなければいけない、ということできたわけですが、幸か不幸か日本の中には、多分皆さんの中には、まだ旺盛な「チャンコロ意識」を持っている方がいらっしゃると思いますが、「チャンコロ意識」はもう捨てなければならない、ということを申し上げておきます。
そういった、「チャンコロ意識」といわれても仕方がないような国が、この50年の間にかなり急速な成長を遂げてきた、ということを、かいつまんでお話ししたいと思います。

2.中国人の特性
 私が大学院で勉強を始めた間もなくの頃、私の指導教授があるときこんなことを言われた「中国人というのは、自分が強い立場に立ったと思ったときには、嵩(かさ)にかかってくる。そういうことがあるからよく覚えておくように」と。
そのときには「あ、そうですか」、というように言ったが、今言ったように、中国が強くなる、成長するということは、とても考えられなかった。日本も大したことはなかったが、中国が強くなるなど、考えもしなかった。したがって、「嵩にかかってくる」などといっても、すぐにピンとこなかった。ただ妙に、先生が言われたことは、非常に耳に残っていまして、まさに今の中国を見ているとそうです。
それで、いつから強くなったのかということは、正確にいうとよく分らない。自分自身、「あれ、いつのまにか強くなっちゃったな」と、「あ、先生のおっしゃったとおりだな」、ということが、私にとって非常に強烈なのです。
それからもう一人、指導教授ではなかったのですけれど、やはり非常にお世話になった中村菊男という先生がおります。その先生から、「中国人というのは、右手でひとの横面を引っぱたいておいて、左手を出す。そういうことを平気でやる民族だから、よく覚えておくように」と、言われたのです。
このときも、そんなことは考えもつかなかったが、まさにそうです。右手でもらっておいて、こんどは左手で引っぱたくと――そういう言い方のほうが正しいか、そういう感じです――、まさに日本はODAをやっているのに、引っぱたかれているということになる。
中国は、約40年ばかりの間に、そこまで成長したのです。一体これは何がそこまでさせたかということ、これはそう簡単な問題じゃありません。これから話しすることは、私がいままで研究してきたことでもって、こんなことよ、という話しをしようと思います。

3.国家戦略としての核・宇宙開発、海洋進出
中国の国家戦略は、どういうように発展してきたかといいますと、簡単にいえば、この50年間に、まずいちばん初めに中国は核兵器を作りました。そして、その核兵器を作った基礎の上に、一方は宇宙、もう一方は海洋へと発展してきました。中国の国家戦略は、核から宇宙、海洋へと発展し、そしてその3者が一体となって機能し始めてきているというのが現在の状態だと、言っていいと思います。
それからいくと日本という国は、同じ隣国でありながら、国家目標もなければ、国家戦略もない、皆、てんで個々ばらばらであると。日本という国はたしかに個々の点では非常に素晴らしいかもしれないけれども、中国という国は、それに比べるとレベルが低いかもしれないけれど、しかしながらそれが、国家戦略として、一体となって機能して動いているというところが違うし、それは時間がたつとものをいってくる、日本は個々の点では優れていても、相互のつながりがないから、ダメになったら、ますますダメになってきているという、非常に大雑把に言って、そういう感じがします。
(1)政治兵器としての核開発
そこで、まず最初に核開発の話しからします。中国が核開発を決断したのは、非常に早い時点です。これは皆さん是非頭に入れておいて欲しいところです。大体1955年前後ごろ。中国という国ができたのは1949年10月1日、昭和24年です。その、1955年前後、昭和30年頃、中国は核開発をしょうとした。
昭和30年前後、1955年は大体日本はどういう時であったかといえば、これは、防衛庁が設置されて、自衛隊が発足したのが54年、昭和29年。そして翌年が昭和30年。30年というのは1955年で、55年体制といわれている、自民党と社会党の二大政党の対立というのが始まったのが、この年であった。

以来、日本は二大政党時代、55年体制がずっと20年間続いて、この間、自民党がつぶれるということもあった。その間(後)に自民党の事実上の独裁政権がなって、その間に自民党がだんだん、堕落した、という言い方はおこられるかもしれませんが、だんだん自民党が堕落していって、馴れ合い政治を行うように成り下がった。
そのときに中国は、核兵器の開発を決断して、ひたすら核開発のために国家の総力を向けて、集中して、そして作ってしまった、ということであります。
日本は日米安保と自衛隊による安全保障体制で、ひたすら経済成長を遂げて、そして経済大国になったわけですが、これがバブル経済になって、はじけて、現在にいたるまでアップアップしている、とこういうことになるわけです。
日本と中国という隣国は、ほぼ同じころ、1950年前後、昭和25年前後に相次いで今の日本と中国が生まれました。一方は49年に共産党が自分の力で、国家を作ったということですが、それが一つの契機となり、そしてその後間もなく朝鮮戦争が起るということで、日本が独立する動きになってくる。それで、日米安保と警察予備隊が生まれた、ということです。
日本と中国というアジアの隣国は、ほぼ同じ時期に今の国家ができて、そして歴史が始まる。アメリカという国を軸として生まれて、そして片や核大国、軍事大国ですが、片や経済大国で成長してきている。そして50年たって、お互いの目的は達したのだけれども、どちらも一方的な、非常に無理のある政策をやっているから、どちらもその欠陥が出てきて、いってみれば付けが回ってきて、付けの清算にどちらの国も悩んでいる。問題は、その付けをどうして清算していくかによって、これからの日本と中国の方向が定まってくるだろうと、そういうところにいると思います。

そのようなことで、お互いの国が、建国……新しい国ができ、数年たったところで、非常に大きな一つの節目を迎えたということです。中国は核開発、そこで次に、誰が、どういういきさつで核開発を決断したかということでありますが、核開発を決断したのは、毛沢東という政治家であります。
皆さん、毛沢東というとあまり高い評価は与えないと思うのですが、私も実際に初めのころは「あの、ばかが」と、「いいかげんに、いなくなったほうがいい」というように、思ったのです。しかしながら、軍事研究をやっているうちに、毛沢東ほど素晴らしい戦略家はいないと、毛沢東あっての現在の中国だというように考え方が変わってきました。
それは、建国後5年、昭和30年という段階において、核兵器を持とうという、決断をしたことは、素晴らしいことだということです。では何のための核兵器かというと、毛沢東は――別にはっきりと言ったわけではないのですけれども。私の解釈を加えて言うと――毛沢東は、「核兵器というのは単なる戦争の手段ではなくて、政治兵器である」と。
まさにそうです、核兵器というのは政治兵器である、ということがはっきり分っていて、アメリカと、そして後にはソ連も加わってくるわけですが、アメリカとソ連という対極と対等に渡り合うためには、つまり政治的な発言権を得るためには、もっといえば中国が大国になるためには、核兵器がなければだめだ、核兵器があったら相手にしてもらえると、だから持たなけらばならない、という決断をこの段階でしているということであります。

なんと素晴らしい決断だと私は思いますけれども、そういう意味では大変な戦略家だったと……。名前を出すと差し障りがあるかもしれませんが、私の研究をいろいろ使ってくださる中の一人に、深田祐介さんという方がいらっしゃいます。深田さんは必ず反論するのです。「いや平松先生、戦略家じゃないよ、あれは単なる中華思想だよ」というのだけれども。
「いや、中華思想でも何でも結構です。要するに、中華思想というのは、世界の中心が中国だという考え方で、そこにはほかの国は皆いないか、あるいは自分の国以下だから、大国主義なんだよ」と、「そういう意味では同じでしょ」というのだけれど……。「ただ一般的な意味で使って戦略家というのだけれど、それは中国人という立場から見れば中華思想でいいですよ」と、「別に反対しません」と(私は)いうのです。
要は中国が、アメリカ、後にはソ連から核兵器で脅かされて、ばかにされたくないと、そのために核兵器を持って、核にかけたということであります。
中国は建国以来さんざんアメリカの核兵器で脅かされて痛めつけられた現実があります。
何回も脅かされました。それからそのあとはインドシナ戦争、中国が後ろから支援をしているということで、特に54年のディエンビェンフーのフランスが敗退して撤退して決戦が行われるというその時にアメリカは後ろに中国が手を引いているということで、それで核で脅して撤退させる、そういうことをやっている。

それから55年には蒋介石が大陸反攻のために、大陸の沿岸の島にずっと軍隊を駐屯していたわけですが、朝鮮戦争が終って中国は今までできなかった、大陸の沿岸の島を一つ一つつぶしていった、そして緊張が起きた。そのときアメリカが出てきて「蒋介石を撤退させる」、アメリカの目的は蒋介石を撤退させる、そんなところにいると緊張が生まれるだけだから、撤退させようとするのですが、無事に撤退させるためにアメリカは中国に核兵器で脅しをかけた。
そのようなことで、建国後の中国はアメリカからさんざん核兵器で脅かされる。アメリカから言わせれば、中国に原因があるわけですが、中国から言わせればアメリカから脅かされたと、中国ほどアメリカの核によって脅かされ、そしてアメリカ空母によって脅かされた国というのは、そう沢山はないと思うのですが、そういうことを経験してきている。
その中で、アメリカに対抗するには核兵器を持たねばならないという認識をするわけです。だから55年、日本はちょうどそのときに、先に述べたように、防衛庁ができて、そして戦力なき軍隊と同じだと揶揄(やゆ)される自衛隊ができて、そして、ひたすら経済成長を遂げている。GNP1%というのは、これは象徴的な言葉であったわけです。同じ中国と日本という国は大きく違う方向に進んだ大きなきっかけが、昭和30年、1955年だったわけです。

中国の核開発は、ソ連の援助と協力で進む予定だったのですが、それが原因ともなり結果ともなって、中ソは喧嘩をします。それでソ連は援助を打ち切るということになります、これは59年、昭和34年です。そして60年に中ソ対立が始まる、ちょうど私が大学院で現代中国の勉強を始めた時であります。
そのときはまだ岸信介の時代です。59年、昭和34年が今の天皇の皇太子時代のご成婚がそのころ、ようやく日本でテレビが、最初に普及したのが皇太子のご成婚、2回目が東京オリンピックということになります。
そして60年から中国は、ソ連の援助がなければ自力でやるといって、自力で開発しだすわけです。当時私は、そのころから中国研究を始めていて、「中国が核開発やるといっても、あんなチャンコロの遅れた国が、核開発なんかできっこない」と、私はばかにしていたわけですが、それがいつのまにかできてしまったということです。
そして5年後の1964年10月に、中国は最初の核爆発実験をやる。この時に日本は東京オリンピックの真最中で、その直前に新幹線ができて、首都高速ができると、ようやく日本が近代国家らしくなるわけですが、しかしながら今から見れば、まだまだ田舎の国であったといっていいと思います。

この時に中国がまさか核実験をするなどとは、誰も全く考えていなかったのです。それで実際やったときも、とにかく過小評価しよう過小評価しようということを、やるわけです。
それから、間もなくして私は、大学院を出て防衛庁の研究所でめしを食うことになり、防衛研究所にきて最初にやらされたのが、中国の核開発だったのです。で、私は核兵器どころか、軍隊とかそういうところに全く縁のない人間でした。でも、とにかくめしを食うためにやらなければいけないと、私は、一生懸命やったわけです。それが良くて、結局今日を成したということになるだろうと思うのですが、とにかく、何もわけが分らないのに核兵器を研究しました。
ただ、幸い防研というのは、防衛庁のいろいろな人から話しを聞く機会がありましたから、とにかく遠慮なく見るなり、聞くなり……、そしたらまず10人が10人とも「中国が核兵器なんかできっこない」と、ばかにしているわけです。で、私も「そうだろうな、あんな国にできるはずないな」と思っていたのですが、だんだんできていくわけです。
最初の核爆発実験というのは、鉄塔の上に爆発装置を置いて爆発させる。だから、これは爆弾ではありませんと、最初にそういうことを皆さんおっしゃられた、「あれは爆弾じゃないんだよ」と、「爆弾と思ったらだめよ」と、「爆発装置だから、それですぐに戦力になるわけじゃないから、心配することはない」。
それで、私も「あ、そうですか、そうですね」と言っていたら、2回目の翌年、爆弾で落としてしまったのです。実用化されたわけです。すると、偉い人の言うことと違っているわけです。それで「ちょっと早いですね」と、そういうことを言ったら、「いや、あんなものは広島、長崎に落としたものと同じようなもので、あれを運んだ飛行機はB−29と同じようなものだから、あんなもの時代遅れでどうしょうもない。まず日本まで来ることはないし、仮に日本まできたら、我が航空自衛隊の戦闘機で簡単に落としてやる」、そうおっしゃったから、「ああ、そうですね」と私もそう思っていた。

しかしだんだんやっていくうちに、本当に一回一回の実験で、確実に新しい実験をして、ブレークスルーをやって成長していく、というのを見ていくと、何か専門家の言うことは、「どうも信用できないな」と、偉そうだけど、そう思うようになってきた。
結局、私自身思うことは、専門家というのは見方が厳しいですから、非常にレベルの高いところで考える、日本のレベルが高いから実際そうなので、今でもそうです。非常に高いレベルで見る、そうすると中国のやっていることなどは、そういうものは「どうしょうもない」と。
しかしだんだん出来てきて、私も食い下がって「しかし、出来ているじゃないですか」と言うと、そうすると、専門家のかたは言葉に窮するか何かちょっと分らないけれども、「木に竹を継いだようなものはだめだ」とこうおっしゃるのです。「兵器は兵器でちゃんと論理があって作ってるのだから、そのとおりにやらないと、これは意味がない、できたって、戦争ごっこぐらいはできるかもしれないけれど」、とそういうことをおっしゃった方もいるのです。
非常にいい言葉です、戦争ごっこというのは。私は今でも覚えているのは、戦争ごっこというのは非常にいい言葉だなと思ったので、それで暫く私も「戦争ごっこはできるけれども、戦争はできないな」と、言ったことがあるのですけれど、そういう説明をしたわけです。
でも、どんどんできてくる。そうすると、「これはどうも専門家の言うことは当てにならない、自分でやるしかないな」と思って、そのころから自分でやるようになって、乏しい材料を使って、そして一生懸命勉強してやるようになったと、そういうことなのです。
そのようなことで、55年、60年、64年、もう一つの大きな区切りというのが70年なのです。70年というのは人工衛星を打ち上げた、それで、人工衛星を打ち上げたということは、これは中距離ミサイルができたということですから、2000〜3000キロはとぶ弾道ミサイルができたということです。

したがってアメリカには届かないけれども、中国周辺の国、アメリカの同盟国と、そこにあるアメリカの軍事基地を「攻撃する」といって脅かす、つまり人質にとることができる、というところまできた、と言うことができるかと思います。
もちろん、性能を考えれば、それは取るに足らないかもしれないけれども、とにもかくにもできた。つまりアメリカの核の傘がなければ、十分攻撃できるし、威嚇できる核兵器ができたと、それが70年の意義なのです。
70年というのは、日本はどういう時かというと、これは大阪万博真最中です。69年の5月に東名が全通しました。東京と名古屋の間が全通したのが69年の5月で、正確に言うと5月26日なのです。
大阪万博というのは日本の経済成長の大きなメルクマールで、東名の全通でいよいよ自動車、モーターカーの時代に入るということになる。日本は経済成長から高度成長していく、日本は非常に経済大国として発展していく大きな契機となったのは、この年です。
その時に中国は、アメリカまでは届かないけれど、アメリカの周辺諸国と米軍基地を威嚇するだけの核兵器ができる、というところまで、きたわけです。これは非常に意味が大きいのです。
言うまでもないことですけれど、一つ今までに言い落としましたけれど、中国の核開発というのは、先にも言ったようにアメリカに対してものを言う、アメリカに対等にものを言うためには核兵器を持たなければいけない。ということは、アメリカに届くミサイルを持つことです。水爆を搭載した、メガトン級の水爆の弾頭を搭載した、アメリカに届く弾道ミサイルを作るということが目的ですから、そのことからいえば、まだそこまでいかないけれども、とにかく、同盟国やアメリカの基地には届く、その次にこんどはアメリカに届くミサイルということです。

ところがアメリカに届くミサイルというのは、中国は大変難しかったらしくて、10年かかっている。アメリカに届くミサイルの実験をやったのは80年です。
先に言いましたように、中国の核開発に対してアメリカは、日本はもちろん全く関心はなかったのですが、アメリカもまさか作るとは思ってもいなかったのです。実際、中国がいろいろと実験をやるたびに、アメリカも驚いていく、ということになるわけですが、ところが、70年に人工衛星を打ち上げて、中距離ミサイルができたときに、アメリカは今度は逆に中国を非常に過大評価して、大陸間弾道弾は75年にはできるだろうとか、5年でできるだろうと報告などに出てくるのですが、これは見事当てが外れて今度アメリカが非常に過大評価したことになるのです。
実際には10年かかった、それだけ弾道ミサイルというのは、アメリカに届く大陸間弾道弾というのは、そう簡単ではないことが分りますが、これで一応、とにもかくにも最初の目的は達しました。
しかしその間に、軍事革命によって、つまりコンピューター革命によって、軍事技術も格段に発展して、中国がミサイルを作った時は、もうほとんど役に立たないのです。アメリカの核の傘さえなければ、十分に有効であるけれども、アメリカの核の傘がある限りにおいては、あまり役に立たない。というようなことで、さらにレベルの高い開発に進んでいくわけですが、それはまだ先の話しで、そこまでで、話をちょっと中断します。

(2)その当時の中国の状況
ここで、申し上げておきたいことは、この時に中国は一体どういう状況だったかということを、一言、二言言っておきたい。
その間、中国の核開発は具体的に進んでいくのは60年代なのですけれども、60年代の中国はどういう状態であったかといいますと、これは非常に大雑把にいいますと、前半の5年間、60年代の前半は中ソ対立です。
中ソ対立によって、中国は、核の援助を打ち切られる。そして、やがて経済援助、技術援助すべての援助を打ち切られます。そして、中ソ対立によってけんかをすることによって、今まで中国がいちばん安全保障の基本としていた中ソ同盟条約が一体信頼できるかどうかと、そういう問題にぶつかる。おそらく、ほとんど中ソ同盟条約というのは当てにならないということが、中国は分ったわけです。しかもソ連の反対を押し切って核開発を進めているわけですから、ソ連は、ほとんど中ソ同盟条約に依存できない。安全保障はどうするかという最大の問題にぶつかったわけです。そういう時期である。

後半の5年間は何かというと、これはいうまでもなく文化大革命です。文化大革命というと、毛沢東という政治指導者が評価されない一番の出来事です。文化大革命は、ある意味ではむちゃくちゃな出来事です。60年代は中ソ対立と文化大革命の10年間だった。
実をいえばこの10年間に日本は経済成長を遂げたのです。ソニーなどという企業の名前が急に出てきたのはこの10年間です、この10年間というのは、ものすごく日本が経済成長をとげた10年間です。この時期に中国は全く政治的にも経済的にもだめ、外交的にもだめという状態が続いた、それは事実です。
事実私は、その時からずっと中国研究をしていましたから、何回もいいますが、私は「あんなもんだろうな」、そのうちにつぶれるだろう位いに思っていたのです、一般に中国研究家はこの10年間、60年間(代)の10年間を不毛の10年間といっています。何も実りがなかった、要するに無駄な10年、ない方がよかったと。しかしこの10年間というのは決して不毛の10年ではなくて、20年30年に匹敵する10年間だったのです。

この10年間に中国は核兵器を作ってしまったのです。核兵器、原爆と弾頭と中距離ミサイルを作ってしまったのです。もう一つは国連に入りました。中国が国連に入ったということは、非常に重要なことで、今まで国際社会から排斥された中国が、国際社会に入るきっかけになったのは国連です。
どういう経緯で中国が国連に加盟したかということは、実は中国研究でほとんど明らかにされていないのです、私も関心がなかった。だけども国連に入ったということはものすごく大きいのです、その後、世界で活躍する場を与えられたのは国連に入ったのが契機で、中国は実際に世界で活動を始めます。
どういう経緯かということですけれど、それは二つ理由があると思うのですけれど、一つは、核配備です。中国が核兵器を持つことによって、もう中国を疎外視するわけにはいかなくなった。

それともう一つは第3世界、特にアフリカの独立した国家の支持を得たことです。このことについては、今日は話しません。どこかの国が核兵器を持とうとします、そう思ったら必ずアメリカがそれをつぶしにかかる、ということは今や常識で当たり前で、実際に目の前でそういうことが起きているわけです。中国でも核開発をする時に、まずつぶされるということを、覚悟してやっている。実際にアメリカも後のソ連も中国の核施設をつぶしてしまおうと思ったけれど、結局できなかった、ということです。
その理由は、中国が人民戦争で迎え撃つと、「来るなら来い」と、人民戦争で対処したことにあります。この時代はまだミサイルの時代でもないですし、飛行機で上から偵察する時代ですから、衛星で中国を観察するとか、ミサイルが飛んでくるとか、そういう時代ではない。地上部隊を送り込んでいくしかないということになれば、アメリカもソ連も日本軍の、大日本帝国陸軍の二の舞はご免だ、ということで結局はやるぞやるぞと脅かしたけれど、できなかった。
これに対して中国は、毛沢東は人民戦争を考え、生き延びるために人民公社を作った。人民公社とか大躍進というと非常に評判が悪いけれど、私は毛沢東はそういう発想から出た戦略だと考えれば、何もおかしいことではない、それを笑う方がむしろ愚かしいということです。
そのようなことで、中国が国連に入った、そして中国が核兵器を持ったことは世界の国が認めざるを得なくなった、いろいろな意味で認めざるを得なくなった。アメリカは中国をほったらかすわけにはいかないから、国際社会に引き入れると同時に、接近する。ほかにも理由がありますけれど、72年にニクソンの訪中が具体化する。そういう点で文句無く核兵器を持つことによって中国は大国の地位を確保する、まさに毛沢東の理論によって「核兵器を持てばアメリカが相手にする、世界が相手にする」ということが具体化した。
本当に不毛の10年であったら誰が国連に招聘してくれますか、これらは常識で考えれば分るのだけれど、常識で考えなくて、ただ中国というのはダメダということになるから、中国を正しく見ることが出来ずに見誤ってしまう。私もそうだったのですけれど。

こうして中国は、国連に入った。決して不毛でも何でもないのです、核兵器ができたことと、それによって国連に入った、どうして不毛だといえますか、私は実りある10年間だと。
どうして不毛の10年間なのか、20年30年の時間と(比較しても)決してそういうことはないので、とんでもない。非常に恵まれた10年間、核兵器を作って、そしてアメリカと対等に渡り合える力を持って、そして国連に入った。そういう10年間だった、ということです。
つまり、私がここで言いたいことは、中国が政治が混乱し経済が停滞すると、そうすると「もう、あれ、だめだ」という見方があるけれども、そうではないので、むしろ、そういう状態のほうが、盛んに頑張るということ、少なくとも毛沢東はそうなのです。
それは今の共産党政権でも、多かれ少なかれそれは言えるだろう。ということで、私が申し上げたいことは、「今、中国はつぶれる」という見方があるのだけれども、つぶれるかもしれません、つぶれるかもしれないけれども、私は、つぶれると思わないのです。むしろ逆境にあったほうが、中国というのは、頑張りズムだから、そういうことはあまり期待しないほうがいい。
少なくとも、安全保障を考える上で、中国がつぶれることを前提にして考えるわけにはいかないのですから、私はそういう考えには組みしない。そのためにちょっと、過去のことを申しました。もちろん過去にあったことがこれからも同じことになるとはいえないし、中国が持っている問題というのが、それは過去の問題とは全く異質な問題もありますから、過去がそうだったから、これからもそうだというつもりはありませんけれども、しかしながら、やはり過去を振り返ることによって、そういう苦難を乗り越えてやはり核兵器を開発した、そして大国になったということは、申し上げておきたいと思います。

(3)次の目標、宇宙開発へ
そこでまた話をもとの70年代、80年代に戻しますが、これで、とにもかくにも核兵器ができたと、そしたら、アメリカに対してはあまり役にはたたないから、もっとレベルの高い核兵器を作ろうということで、その次の世代の核兵器を、今一生懸命に作っているということです。
ところが、一応できたということで、そして70年ごろから80年にかけて、70年代にずっと中国が動いてきたことは、次の目標に向かって動きだした。それが最初に言いましたように、一つは宇宙と、もう一つは海洋、海へと進出してきた、ということです。
それで、宇宙と海洋は、核開発から派生してきました。それが初めからばらばらで動いてきたわけではないと思いますけれど、私なりに、研究をやってきている人間ですが、これが、3者が一体となって機能していくものだということは、私は不勉強だから分からなかったのです。最近の中国の動きを見ていると、それが一体となって機能し始めてきている、というところまで発展している。約50年たってやっとここまできた、ということです。
(中国の)宇宙開発は、人工衛星の打ち上げから始まっています。人工衛星を打ち上げたロケットは、弾道ミサイルを発射するのと同じ長征、ロングマーチというロケットです。

長征というのは、毛沢東が、蒋介石の攻撃を逃れて江西省から、西部の3000メートル4000メートル級の万年雪の山を越え、大草原を突っ切り、あるいは黄河から揚子江の大きな川を渡って、それで延安に逃げるわけですが、それをロングマーチ、長征といって大変苦労した。それが中国の発展にいちばんの原動力となった、長征に参加した人たちがその後の中国共産党の大幹部になったということで、ロングマーチというのは一つの象徴的な言葉です。
中国は核開発もまさにロングマーチであると、つまり金のないところで、技術のないところから外国に孤立した中で懸命になって必死になって核開発をした。ロングマーチの精神でやると、つまりそれにすべてを集中した、ということです。したがって、打ち上げたロケットも長征という名前を付けた。今でも長征といわれています。
長征というロケットで、人工衛星を打ち上げた。その衛星をいろいろと改良していくことによって、いろいろな種類の衛星を打ち上げています。
中国の宇宙開発は、最近も有人宇宙船を打ち上げたところですが、これを中国は、平和目的だということをいっているわけですが、これは言葉だけの問題であって、実際にやっているのは、軍がやっています。軍の設備を使って、軍の人間が打ち上げているわけですから、やっているのは軍であり、軍事目的主体です。
そのときに、ちょうど毛沢東の時代からケ小平へと変わってくるのです。それで、毛沢東とケ小平というとこれは全く違う異質の人間だということになっているのですけれど、私がずっと見てくると、特別に異質の人間だと思わないので、「同じ中国人だ」と、「同じ中華意識に凝り固まっているやつらだな」と、いうように私は思いますけれど、そういうところが抜けてしまって、表面的なところで違いがあると、いっているのです。私は、二人ともそれほど違わないと思っています。

ただ、違う方向が出てきたことは事実です。ケ小平になってから変わった、非常に重要な動きの一つは、「兵器を売って金儲けしよう」ということを公然として言い出す。多分、毛沢東でも言ったと思いますけれど。ただ、毛沢東の時代は、そういう時代ではなかったが、ケ小平のときは、そう言うだけ余裕があって、つまり衛星部門、宇宙開発でいえば、中国のロケットで外国の衛星を打ち上げて、それで金儲けしようとした。その金で新しい技術なり何かを買って、そしてそれをフィードバツクしていく、ということであります。
それで、その過程でいろいろと外国の技術も盗み取ることができれば、大いに結構と、積極的に盗み取る。というのは、この間コックス報告というアメリカの被害報告で、あれを読むととんでもない、かなりのものが、かなりというか中国の核開発というかミサイルは、何のことはない全部アメリカの技術だったという、いくら何でもアメリカはそんなばかなことをしたと思わないのだけれど、コックス報告というのはかなり政治的な意図で、選挙目的じゃないかと思うのですけれど、少なくともコックス報告で見ると、中国の核開発というのは、全部アメリカの技術だということになってしまいます。そのぐらい、米国の技術を盗み取ることもやるということです。そういう方向で宇宙開発も進んでいる。
それで、宇宙開発の行き着くところは、いろいろあるのですけれど、時間がありませんから二つだけ申し上げておきます。
一つは、行き着くところ、これは有人宇宙船です。さらにこれから宇宙ステーション、これは間違いなく時間の問題でできると思います。有人宇宙船を打ち上げたことによって、はっきり分ったことは、非常に推力のある、大推力のロケットエンジンができたと、いうことで、アメリカには、文句なしに到達するということです。
それから、人間をのせた宇宙船を打ち上げて、弾道ミサイルができたそれを帰還回収したところから精度も向上してきている。アメリカのミサイルに比べたら、まだまだ落ちるかもしれませんが、しかしながら、かなりのものができたといえる、アメリカに届くミサイルはもう一応できたといっていい。

皆さんの前で、こういうことを申し上げる必要はないと思うのですけれど、アメリカは中国のミサイルを一つ残らず全部破壊しないと報復されますが、中国はアメリカの基地のミサイルを全部、アメリカのミサイル基地を全部つぶす必要はないわけで、むしろニューヨークとかワシントンなどの都市を攻撃するといって脅かせばいいわけで、また、実際に落とせばいいわけですから、そういう意味では、それほど精確なものでなくても、到達できればいい、そういう意味ではでき上がったといえます。
それから、中国の核兵器は非常に堅牢なサイロに入っているようで、堅牢なサイロというのは、中国に行かれたかたはごらんになったと思いますが、中国の山というのは本当にものすごい岩山がありますから、そういう所に隠しているようですから、そう簡単にはつぶせない。イラクのような砂漠の中につくられた施設とはわけが違う、そう簡単にはつぶれない。
台湾正面の福建省というのは大体、全体が山からなっているところですし、その山もほとんど岩山ですから、そこに鉄道のトンネルを掘って、くりぬいて、その中に隠してしまえば、アメリカが攻撃してきてもつぶれるものではない。あとは陸上兵力、地上部隊を送り込んでつぶすということになると、これはゲリラ戦争でやられると、そういうところだから、アメリカとしてはそう簡単に手は出せない。

よく、イラクの戦争みたいに「原潜でもって、巡航ミサイルをぶっ放せばいいんだ」という人がいますが、そういうものではつぶれない、と私は思います。
アメリカに届く弾道ミサイルが間違いなくできたということがいえる。50年かかった、ということです。始めはばかばかしいと思っていたのが、いつのまにかできると、うさぎと亀の競走のようなものですから、「もしもし亀よ……何でそんなに」とばかにしている人はいつのまにか、痛い目にあうという、そういう状態ができつつある、ということです。
もう一つは、有人宇宙船になれば、中に人間が乗せられるわけですから、いろいろなことができるわけですし、宇宙ステーションができれば、さらに何でもできる、ということで、ゆくゆく、宇宙から攻撃する、あるいは弾道ミサイルを供給する、あるいは発射直後に迎撃することができるし、いろいろなことができる。
もう一つは、中国にはアメリカのGPSに相当する、地球の位置を測定する衛星を作っている。これは何年か前から始めていて、その後少しずつ進展している。これは 皆さんに申し上げる必要もないのですが、宇宙から……いちばんは海の上の位置を測定することができる、ということで、艦艇の位置を測定することが出来る、宇宙開発もそこまで進んできているということで、核と宇宙と海洋が一体となって機能している。

(4)核・宇宙開発から海洋へ進出
 衛星に関しては、中国は海洋衛星を、10年間に5箇打ち上げ、それによって海洋に関する情報を集め、海洋に関する調査から海面、海中、海底の方向へと立体的に海洋の調査が進んでいる。これは多分できるでしょう。
そういう方向に進んでいくのですが、もう一つの海洋の問題ですけれども、実は核開発から海洋になる、と意外な気もしますけれども、どういう点で核開発から、海洋が派生してきたかというと……
それは中国が80年にアメリカに到達する弾道ミサイルの発射実験を行った。これは、全く初歩的なもので、今、日本でも種子島で実験しているような液体燃料ですから、ものすごく時間がかかる、そういうことやっていたら、とっくにつぶされてしまう、そういう代物ですが、それから始めた。順序からいって当然ですが。とにもかくにもアメリカに到達するミサイルが一応できた。

それまでのミサイル実験というのは、射程が2000〜3000キロとか、数千キロですか、国内で実験できる。満洲から、いちばん東の端から新疆に向けてやれば実験は十分できる。ところが、アメリカに到達するミサイルは国内では撃てない、ということで、実際には南太平洋のフィジーで実験する。そのころはインド洋か太平洋かどちらかということで、いわれていたわけですけれど、実際には南太平洋でやった。
そこで問題になったのは、そうすると海の上を飛んでいくわけですから、それを観測、誘導する、それから、弾頭の、実験機器の入ったカプセルを回収する、ということで船を作らなければならないということになって、科学観測船を作った。これは遠望という、遠くを望むという科学観測船、1万トンちょっと。
そうするとこれだけというわけにはいかないということで、それを支援する船が必要となる、一つは海洋調査船。海洋調査船は実験海域、着弾海域の調査、今は気象条件から海面海底とかいろいろな調査、それから、そこに至る道中の、というようなことで海洋調査船を作り、それから、約40日間と、遠いですから、どこにも寄らずに行って、帰ってくる。そうすると補給しなければいけない、ということで洋上補給船を作ります。それからサルベージ船も。

科学観測船と、それを支援する船と合わせて6隻の船を二組作った、12隻作りました。さらにこの船団を護衛する必要が生まれ、「旅大」級といわれるミサイル駆逐艦が6隻建造された。全部で18隻の性格・任務をことにする船が作られ、艦隊を組んで目的を達成した。これは評価してよい。これが大体70年から10年間、つまり70年に中距離ミサイルができたということで、この次はいよいよアメリカに届くミサイルの開発ということで、その前から、つまり、先に述べたように、あの文化大革命の真最中に、そういうことを決断して、そして計画をした、ということです。
そういう意味では、文化革命というのは、国家戦略にはほとんどの影響もなかったということです。あったかもしれないけれども、ほとんど影響がない。そういうことにはお構いなく、きちんと、軍、というか中国の中枢というのは、私は、いたって健全であったと見ています。
健全という言い方は少々語弊があるけれども、私があるところで健全と言ったら、健全とは何ですかと、と言われたことがあるのですけれど、分りますね、私は別に中国を褒めているわけではなく――ある意味では私は中国を褒めています――非常に健全だったと、正常な物事を判断するような状態にあった、と、決して毛沢東はばかではない、一方ではたしかにばかなことをやったけれども、これは必要に応じてやったのであって、つまり、こういう観点から見れば、劉少奇、やられた劉少奇というのは、ソ連に依存すればいいではないか、という考え方です。無理して金をかけて、国民を犠牲にしたり、それまでして作る必要があるかということを言ったのは多分劉少奇だろうと思います。
そうとしか思えない、ある意味では「日米安保があればいいんじゃないか」という日本(人)と同じです。それに対してやはり、自分の国は自分で守るべきだと。核兵器を持つのがいいかということは、難しいことですけれど、私は核兵器を持ったほうがいいと思います。アメリカに対して対等にものを言うときは。思うけれども、それが果たして日本にとって賢明かということは、難しい問題です。
同じようなことが中国の中に行われている。
(余談)……その時に、実際にいろいろな点で驚きましたことは、ヘリコプターを積んだ……科学観測艦がヘリコプターを積んでいて、そのヘリコプターでカプセルを回収に行ったのです。それは先進国から見たら何でもないのかもしれないけれど、とにかくヘリコプターがあったということで仰天したのです。 

もう一つ潜水艇を観測船が積んでいたのです。これまたびっくりしたのです。問題はこのヘリと潜水艇はどこからきたかといったら、これフランスからきているのです、華国鋒の時代で、華国鋒が地中海のマルセーユにフランスの海洋研究所にちゃんと行ってるのです。なんだかだとフランスのつながりができている。ヘリはフランスから、いちばん始めにフランスとやっていますから。
当時中国は英国からハリヤーを入手したという情報がありました。そのころ中国が空母を作るらしい、いきなり攻撃空母ではなくて軽空母だろうということで、フランスからヘリコプター、イギリスからハリヤーというのはよく分る、ただ空母を作る話はずっと引き伸ばしになっていますけれども。関心はある。
ちょっと話が横道にそれましたけれど、そのようなことで予算がだんだんできてきて10年間に18隻の船を作ったということで、これは大変なことです。これは仰天です、私はいくらでも評価したい。しかもその時にミサイル駆逐艦を作った。

丁度同じ頃、海上自衛隊もミサイル駆逐艦、護衛艦を作ろうという動きが出てきているのですから、発想としては、考え方としては、戦略思想としては、自衛隊とほとんど変らない、ただ、差がついたのは、中国のほうが、技術も経済力もないですから、それに比べたら日本のほうは、アメリカから技術を導入し、日本に対する支援プロジェクトもあり、経済力もあるというところから、ここで差がついたということであるけれども、並べて考えた点では、ほとんど同じです、これをもって中国の外洋海軍ができるわけです。外洋海軍というにはまだお粗末かもしれないけれども、少なくとも、外洋に出ていって立派に目的を達している。
そのとき洋上補給した時に、海上自衛隊のある1佐が、私が「中国も洋上補給艦を作って洋上補給ができますよ」と言ったら、その1佐があざ笑ったのです。「どうやって洋上補給するか分ってる」というから「私はそんなの見ていないから分らない」、そしたら「それはね、洋上補給というのは二つの船が横に並んでやるもんだ、中国は縦に並んでやっている、あんなのダメダ」、と言ったのです。
「だめだろうがなんだろうが、戦争しているわけじゃないんだから、ものが補給できればいいんじゃないですか」と私は言ったのですけれど、やはり先ほどと同じように専門家というのは、非常に厳しい見方をするから、横で並ばなければだめだというのだけれど、ところが間もなく中国は横に並んでやるようになったのです。
今度もその人に話したら、また細かなことに、やり方に難癖付けるのです、「やり方がどうの…自衛隊はもっときちっと……」そういうことを言うのです。そのうちにちゃんとやりますと言っているんだけど、今、中国は補給艦の両脇とそれから前と、3方から同時にできることを自慢しているというところまできています。それは別に自衛隊の悪口をいうために言っているわけではないのですけれど。

一応そうやって海に出てくる、外洋に出てくるのは海軍だけではなくて、海洋調査船とか科学観測船、サルベージ船、そういうものができているわけで、とにかく外に出て行ける、というようになっている。
で、実際にその科学観測船が、今度は80年の実験を終ったあとは太平洋や、大西洋や、インド洋に2隻だったのが3隻、今4隻になって、この間も有人宇宙船の観測船では太平洋からインド洋と大西洋に展開して、それで宇宙船を観測するところまでしている。
それからサルベージ船が南極に行っていますが、あまり、この中国の南極観測ということについてはいわれないのですが、中国は南極観測に関して非常に関心をもってやっています。そういうところにサルベージ船を派遣して、いつもちゃんと動いている。ありとあらゆる問題について中国は関わっている。
それから、海洋調査船は、終ってから真っ先にいったのは南シナ海です。80年に終って、80年代に入ると、中国の海洋調査船が南シナ海の海洋調査をやって、そしてどこに進出するか、ということを決めて、そして南シナ海にどっと出て来て、88年に南沙を押えています。

その前に、中国は74年に西沙諸島に進出しています。中国が国連に入って最初に活動したのは何かといったら、皆さん何だと思いますか、これは国連海洋法条約会議なのです。まさに海の問題で、最初に活動というのは海なのです。そして第3世界の沿岸国の代表という形で、200海里の問題で、第3世界の後進国の支援をする旗振り役をやる、これがケ小平の第3世界論につながる。
中国の第3世界論というのは、中国は社会主義だけれども第3世界だという理論付けで、始めから核と宇宙と海洋で一体関係で動いているのだけれども、私も悲しいかなそこは分からなかった。別々に追っかけていったのです、核は核、宇宙は宇宙、海洋は海洋と追っかけていったのだけれども、気がついてみたら、それが一体として動いていたのです。
それはまさに、UVシステム(またはUWBシステム−ultra wide band )もそうだし、GPSもそうです。GPSもまだ完成はしていませんけれども、だんだんこれからは影響をもつものに……アメリカのGPSほどまではいかないとしても、ある程度までいければ、いちばん役に立つのは、一にもニにも艦船や航空機に対して位置を教えるということですが、もちろん、台湾侵攻のためのものでもある。
アメリカはイラクの戦争で砂漠の中でGPSを有効に使った、中国はそこまで、そういう戦争はとてもできないにしても、台湾侵攻時には十分できるでしょう、またミサイルに有効に使えば精度が高くなるということですから、そういう意味ではいちばん要になるのは宇宙開発です。

海洋に関しては、あまり話をする余裕がなくなってしまうのですが……
西沙に出てくるのは、73年から国連海洋法条約が審議される、その翌年に中国は、西沙に出てくるのです。これから海洋の時代だというのが分っていて、そして、だから早く作ろう作ろうと、西沙に手を出したのです。その次は南沙です、という方向に進んでくる。
それで南沙が終ったら、これで、この次は東シナ海だなと、そのころから私は声を大にして、東シナ海にくるぞと、とにかく10年ぐらいでくるだろうとマスコミに発言しました。中国が88年に南沙に、さっき言ったように西沙を押さえたのは74年の1月10日、南沙に出たのは88年ですから15年かかっているのです。

今日は地図を持って来ませんでしたけれど、皆さん、後から地図を見てください、西沙と南沙は離れています。700〜800キロ離れているのだけれども、当時の中国にとって、その700キロというのは、ものすごく大きな、長いものでした。取ることはできるけれども維持できない。つまり南沙のマイナスには、全部あそこには石油が出るということで、押えておく。東シナ海の石油が問題になって、やっているのですが、南沙も……。
小さな島を押えた、そうすると、その真ん中にある島を中国が押えたところで、取られてしまうから、それはちょっと無理だと、維持できるところまでで中国はじっと我慢する。それで88年に押えて結局維持できている。
というところを見ると、海南島から700〜800キロ、大陸から1200キロから1300キロを維持するということは中国としては至難のわざだったのが、それができるようになった。できるようになったら、早かった。 私の場合、その辺までは見抜けなかったから、いずれにしても88年に南沙を押える、だんだん回りを、南沙から押えていくだろう、10年ぐらいかかるだろうと。そしたら今度は東シナ海、ということで90年前後に、今から15年ぐらい前に、10年後には東シナ海にくるだろう、90年代の後半から21世紀の前半にかけて、その10年間ぐらいの間に東シナ海に出てくるだろうと推測しました。

だから、それに対して日本政府は「ちゃんと準備しなければだめよ」ということを私は言ったのです。ところが全く、南シナ海でやっていることすら、日本政府は関心がなかった。「関係ない、関係ない」と。「何を関係のないことを、先生は心配するんですか」と言うから、「冗談じゃない、シーレーンが通っている、それだけではなく、日本の友好国の東南アジアの国が、中国からいじめられているのに、ほったらかしておくのですか」というのに、「関係ない」しか言わなかった。
だから中国が南沙でやったことも、日本政府は何も教訓として学ばなかった。せめてそこでもやっておれば、東シナ海においても何らかの対応策があったはず。東シナ海で中国がいろいろ活動しているのに、日本政府は何もしなかった。現実の問題になって初めて気づいた、それは遅いのです現実に、押しまくられているわけで、日本政府の対応は、「中国は悪いことをしている、日本政府が正しいことを言っている」ように言っているのだけれど、どうも、世間はそのようにとっているようですが、皆さんどうですか、そうでもないですか。
この間、日本テレビからそのへんのことを、番組にしたいからといって、私はわざわざ日本テレビまで行って、録画したのですが、そしたらなんと放映の予定日に、インドネシアでテロが起ったというので、それで私の番組がお蔵に入ってしまいました。
今のガス田開発というのは日本が何もしないから、ああいうことになってしまったということで、日本政府の責任です。

しかし東シナ海の問題は、もう90年代のうちに終ってしまったのです、そして21世紀に入ると、こんどは太平洋にまで出て来ているのですが、それも初めはその意味がつかめず、潜水艦が領海を侵犯してあわてたというお粗末でした。
中国の海洋戦略は、確実に中国が、少なくとも東アジアの中心になっていく、という目標、究極的には、アジアからアメリカを追っ払うということは当然目標としてやっているわけで、とりあえず、東アジアで中国が中心になる、という方向で進んでいることは確実です。

4.結言
中国の国家戦略はまず核兵器から始まって、宇宙と海洋と進んできて、3者が機能し始めた。それのいちばんの中心にあるのが台湾問題である、それで台湾を取ったら、まず南シナ海はいま以上に中国の影響下に入り、台湾から今度は太平洋に出てくるでしょう。
そうなってくると、アメリカと結局対決が始まりますが、問題はアメリカ一国の力ではどうしょうもないから、東アジアの同盟国が一緒になって、アメリカに協力するより仕様がないが、その中でいちばん中心になるのは、どう見ても日本しかいない。ということですから、日本の役割り、自衛隊の役割りというのは本当に大変大きくなります。

最初に言いましたように、中国は建国以来50年間、明確な国家目標を掲げて、それに基づきひたすら進んでいる。始まった段階を見ると、私などは何やっているのかなと思うような、遅々として進まない、ばかばかしいこともやっているけれども、しかしながら20年、30年たつと、かなり形が整ってき、40年、50年で、はっきりと明瞭に形を現してきたような気がします。
ところが日本はそれについて、いまだに分っていない、という感じがします。それに比べると日本は、確かに一つ一つは技術のレベルが高いかもしれませんが、もとがばらばらであって、 一つの国家戦略があって、目標に向かって、機能していく、そういうところがない。個々のところ、例えば新幹線にしても、世界1といってもただそれで終っているわけで、中国はそこから技術を持っていって、軍事利用するといわれているようですが、日本はただただそれだけです。
海洋にしても、これまたあまり言われていないのですけれど、中国は、太平洋のど真ん中で、ハワイよりもアメリカに近い所で、5000メートルぐらいの深海底で、マンガン団塊の鉱区を設定しており、将来そこからマンガン団塊を採掘する。まだ、そこのところ金をかけて、手を付けている段階ではないのですが、いずれは実現することも考えられる。
それを私はある所で話しをしたのですが、「中国は5000メートルの深海底まで行って、そこで無人ロボットを使って……」と。そしたら「先生、5000メートルぐらいで驚いていたらどうしょうもない」、「今、1万メートル以上までもぐってやる、そしてあとどれだけ深くまでやれるかということが問題になっている。5000メートルぐらいはどうということはない」という、全く問題意識が違います。
私は「オリンピックやっているんじゃない」と言ったのです。オリンピックだったら、それは1秒の何分の1でも早く行ったほうが勝ちになるけど、別にオリンピックやっているのではなくて、マンガン団塊の採集に1万メートルいく必要はないのですよ。そういう発想がない。新幹線もスピードで走ればいいとか、JRは世界1の過密ダイヤで動かしている――この間失敗しましたけれども――それを自慢する、それはそれでいいけれども、それが、何の国家戦略に位置づいているのか、ということだろうと思うのです。

だから自衛隊の装備がいくら素晴らしかろうが、練度が高かろうが、国家戦略に結びついていないと、日本は残念ながら、日本の近海で中国の船がいろいろな海洋活動をやっているのに海上自衛隊は何もしない、できない、そのための戦略もなければ、したがって意識もないから法律もありません、ということで終ってしまう。何かあったら「大変だ、大変だ」、といって終わりです。
エネルギーの問題でも、エネルギー戦略は何もない、いちばんひどいのは経済政策、国家は借金だらけでもう財政破綻でしょう、いつつぶれてもおかしくないような事態なのですが、それを何とも思はなくて中国が崩壊するという意見がありますが、私には分らない、皆さん、どう思いますか?
これで終わります。ありがとうございました。

http://park20.wakwak.com/~kokubou/books-101.html

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