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http://anarchist.seesaa.net/article/14662172.html から転載。
2006年03月12日
外務省による対中国情報収集活動
ついこの間、在中国大使館員が中共の美人局作戦にまんまと引っかかり、情けないことに自殺した事件があった。
シンゾーなどの愛国ボクチャンどもが中共に対し抗議をしていたが、我が国害無能省も7年前に中共へスパイを潜入、こともあろうに中国当局にスパイがバレて7年間も投獄されていたことが明らかになった。
ネタモトは政府自民湯ヨイショの産経新聞。「中国で国家機密を入手したとして、日本人男性が一九九六年に逮捕され、二〇〇三年まで約七年間、北京の刑務所で服役したことがわかった。」との先月21日に報道している。週刊ポスト3/17号には、当事者である原博文氏(40)のインタビューが記事となっている。
その記事によれば、原氏は、65年、中国・黒龍江省生まれ。母が中国残留孤児で、91年に家族と共に帰国。日本国籍を得て、ビジネス情報誌『日中経済新聞』を刊行していた。
原氏がスパイとなったのは、94年当時、外務省国際情報局のIという男から接触があり、「中国の内部資料が手に入らないか」と頼まれたからだという。
原氏は仕事柄、日中間を頻繁に往来しており、中国の友人などから入手した資料をIに渡し、そのつど謝礼として10万円を受け取っていた。2年間に100点以上の資料を提供したという。
その後、原氏の担当は、I氏から別の外務省職員S氏、N氏へと引き継がれたという(ポストでは原氏が所持していた外務省職員の名刺を確認している)。
原氏は、途中で中国当局の摘発を恐れ「やめたい」と申し出たこともあったが、I氏から「万一逮捕されたときは外交ルートで助ける」「国益のために続けてほしい」と言われ活動を続けていったという。
ところが96年6月、日本に帰国しようとしていた原氏は北京空港で、中国安全局の捜査員に逮捕される。
連日、厳しい取調べが続いたが、原氏は「万が一逮捕されても、外務省のためでなく自分の仕事のための情報収集だと言ってください。そうすれば外交ルートを通じて助けられるが、外務省のためといえば面倒になる」とI氏に言われていたので、外務省との関係は一切話さなかった。
それが仇になったのだろうか。98年2月、国家秘密探知罪で懲役8年の実刑判決が確定。原氏は北京市第2刑務所の8人部屋に収容された。
獄中で原氏は、当時のマキコ外務大臣に嘆願書を書き、在中国大使館員に何度も頭を下げて託したのだが、その嘆願書を大使館員は日本に届けることさえしてくれなかったという。
03年1月、刑期満了前に出所が認められて帰国した原氏は、ようやく最後の担当者であるN氏を探しだしたが、彼は「もう過去のことだ。生活に困っているなら市役所で生活保護を受けたらどうか」と冷たくあしらわれたという。
その後、原氏をスパイに仕立て上げたI氏から携帯に電話があったが「私はスイスにいて会えないが、自分で頑張りなさい」というのみで、その後、何の連絡もないという。
スパイとなった原氏にも問題があるが、それにしても、酷い話だ。外務省が公安警察ゴッコをして、国民を犠牲者にするとはな。
それに対し、早速、「外務省による対中国情報収集活動に関する質問主意書」を提出したのは、我が北海道のムネオである。
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a164098.htm
注目すべきは2点。
「最初にコピーを渡したときI氏から現金十万円をもらった。九五年の夏以後は毎月、定期的に十万円をもらうようになり、彼がいい情報だと思うと、二十万円をもらうこともあった。そのたびに私はメモ用紙に金額を書き、署名して領収書として渡していた。」(二十一日)との証言に関し、そのような事実があったか。外務省職員が原博文氏に渡した金員は公金より支出されたものか。公金からの支出とすれば、それは報償費(機密費)から支出されたものか。
「協力者の政府幹部から、『子供を日本に留学させたい』『日本に視察に行きたい』などの要望もあった。I氏に言えば、ビザ取得などで協力してくれた。」(二十一日)との証言に関し、原博文氏の要請に応え、外務省職員が中国人に対する日本の査証発給に対して便宜を図ったという事実があるか。
新たな外務省の恥部。どこまで追求できるか?
posted by 死ぬのはやつらだ