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(回答先: Re: 君は、日韓基本条約で韓国政府が個人補償を放棄していたことを何故書かないんだ。 投稿者 Sirent Tears 日時 2006 年 2 月 25 日 21:21:14)
小生は「右翼討伐委員会」自身ではないので、別に質問に答える必要もないのだが、感想めいたことだけ書いておこう。
「日韓条約」というのはね、アメリカの都合によって日韓双方が不承不承の上、締結させられたものなのだ。反共防波堤の2国をアメリカのアジア政策のコマにしなければいけなかったからね。それにだ、いくら北朝鮮がトンデモ国家であっても、またアメリカが認めていなくても、当時も現に国家としてはあったわけだから、そこを抜きにして朝鮮問題は「日韓条約」締結だけで、はい終わりとはいかないよ。南北ともに民衆の声が一顧だにされない政権だったし。盧武鉉大統領はそういう事情で締結させられたものではあるが、ニュースにあるとおり一応、条約を尊重しているわけだ。
小生はもちろん、この条約の締結には反対だった。今でも心情的には、「御破算で願いましては…」にすべきだと思っている。
参考までに http://www.tabiken.com/history/doc/N/N365L100.HTM を引用しておこう。
【日韓条約成立の経緯】日韓条約は14年間という長期にわたる交渉のすえ締結されたものである。日韓会談は,そもそも日本と韓国の支配階級の要求から出発して開始されたものと言うよりも,根本的にはアメリカのアジア政策そのものに根ざしたものであった。事実日韓会談は1951年,朝鮮戦争の真っただ中で,占領軍の指示で始まったものである。アメリカは最初の日韓予備会談から,最後の第7次会談に至るまで,表面的にはなるべく姿を出さないようにしながら日韓双方に圧力をかけ指揮監督をしたのであった。日韓会談の始まる時期も,朝鮮戦争が激化し日本に対する講和条約と日米安全保障条約が締結される1951年の秋であった。日韓会談が14年間も長引いた最大の原因は,過去の植民地支配の清算を求める韓国と,朝鮮に対する侵略と植民地支配を正当化させようとした日本側の無反省な態度にあった。日本側が「改悟の色を示さなかった」例は,交渉期間中,随所で見られ交渉難航の要因となった。第3次会談(1953年10月6日〜10月21日)を決裂に追い込んだ日本側代表久保田貫一郎の発言,第4次会談の首席代表沢田廉三の発言などはその典型で,韓国民衆の猛烈な非難を受けた。日韓交渉が長びくなかで,日本側の武器であったのが旧日本人財産請求権であり,一方韓国側の武器が,「李承晩ライン」であった。それも1961年朴正煕軍事政権成立後は,日本を対韓援助の主役に仕立てようとするアメリカの圧力によって交渉妥結が急がれ始めた。ついに朝鮮民衆の猛烈な反対を押し切って,韓国外相李東元が1965年6月22日,日本の首相官邸を訪問し,首相佐藤栄作立ち会いのもとに条約に調印したのである。日韓条約調印後,朴政権はその批准を急ぎ,与党民主共和党だけで日韓条約を一括通過させ,反対する学生デモには軍隊を投入し徹底的に弾圧した。日本でも10月5日,日韓条約を衆参両院の日韓特別委員会において自民党が強行採決した。本会議においても自民党・民社党だけが出席して承認可決された。1951年10月の予備会談開始以来,条約署名までの日韓間の諸会合は,実に1500回にも及んだ。
ところで話は変わるが、
>日本の右翼団体の構成員の半分以上は在日韓国人だ。「右翼を討伐」したいのなら韓国人同士でやればいい。
と君は書いているが、右翼団体の構成員の国籍をいつ、誰が、どんな風に、調べたんだい。統計でもあるのなら参考までにぜひ教えてほしい。
前にも次の投稿の中で
Re: 国際司法裁判所での竹島問題解決なら、日本政府は52年前から提案しているが韓国側は無視している。
http://www.asyura2.com/0510/asia3/msg/701.html
投稿者 Sirent Tears 日時 2006 年 2 月 24 日 00:57:57
>もっとも、日本の暴力団や右翼団体の構成員の半数以上は在日韓国人だが。
と書いている。よほど何かしっかりした根拠があるんだろう。阿修羅の皆さんに教えてあげてほしいものだ。