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前原発言の衝撃と中国政府の靖国外交の破綻 「正論」平成18年3月号
http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2006/0603/ronbun1-1.html
評論家 石 平
二〇〇五年十二月八日、訪米中の民主党・前原誠司代表はワシントンの戦略国際問題研究所で講演し、中国の軍事力増強について「現実的脅威だ」と指摘した。日中国交回復以来、日本の党首クラスの政治家が公の場で「中国は脅威だ」との趣旨の発言を行ったのは、おそらくこれが初めてであろう。
しかも、一般的に「ハト派」と見なされている民主党の党首という立場からの発言であるだけに、その意外性を含めてさまざまな波紋を呼んでいる。
驚いたことに、その直後の十二月十一日から始まった北京訪問においても、前原代表は同じ趣旨の発言を繰り返した。十一日夜に行われた中国・唐家〓国務委員(前外相)との会談において、前原代表は中国の軍事力増強について「何を目的としているのか。現実の脅威と見なされても仕方がない状況だ」と述べた。さらに続いて、その翌日に北京の外交学院で行った講演では、「空軍力、海軍力、そしてミサイル能力を中心として、(中国軍の)能力が飛躍的に向上していることに、私は率直に脅威を感じている」と、より明確な形で自らの「中国脅威論」を展開した。
日本の政治家はもとより、世界中の有力政治家の中でも、北京に乗り込んで「中国からの脅威」にかんしてこれほど明確な指摘を公言したのは、今のところ、前原代表をおいて他にはいない。
そういう意味においても、この前原発言は中国政府にとって大きな衝撃となったはずである。自国の急速な台頭にしたがって、今の中国政府はもっとも警戒しているのはすなわち周辺国における「中国脅威論」の広がりである。そのために、胡錦涛政権はわざわざ「平和的台頭論」と称する理論を打ち出して高らかに掲げて見せているが、前原発言のあった十日後の十二月二十二日、中国政府は実際に「中国の平和発展の道」という初の白書を発表し、「平和的発展の道」こそ中国の目指している発展戦略であると力説。「中国脅威論」の打ち消しに躍起になっている。
このような時期に、周辺大国の日本の最大野党の党首は北京に乗り込んで「中国脅威論」を堂々と展開したのである。中国政府にとって、一番痛いところをつかれた思わぬ一撃であったに違いない。中国からすれば、それこそもっとも神経を尖らせるべき、一つの「危険な」動向なのである。
露骨な「お客イジメ」
前原講演があった翌日、中国政府はさっそく反応した。十二月十三日、中国外務省の秦剛副報道局長は定例会見で、「中国は永遠に平和を擁護する。中国の一体どこが脅威なのか」と前原発言に強く反発すると同時に、「日本の政治家は日中友好関係に役立つ言動をすべきだ」という表現で、前原代表自身にたいする批判とも捉えられるようなコメントを行った。
また十二月二十日に、中国政府の対外広報を担当する国務院新聞弁公室の蔡武主任はその年末講話において、「中国は平和発展の道を堅持するとの意思を、よりいっそう強烈な声で世界に向かって発信しなければならない」と宣言した。明らかに、その直前の前原発言を強く意識したものであろう。
報道によれば、年が明けた二〇〇六年一月九日、北京で開かれた日中間の非公式局長級協議で中国側は、日本国内で「中国脅威論」が高まり始めていることにたいして強い懸念を表明したそうだ。日本側の出席者の一人は会談後、「中国側は脅威論にかなり神経質になっていた」と語ったという。「前原発言」の中国政府に与えたショックは、やはり大きなものであった。
もちろん、中国の軍事力の急速な増強にたいして「率直に脅威を感じている」という前原代表の発言は、別に奇を衒って人を驚かせようとしたものではない。日中間に厳存する問題点の一つを、最大野党の党首として「率直」に指摘したことには、大きな意味がある。
そして小泉純一郎首相が就任以来展開されてきた日中関係の全体的流れから見ると、前原発言のもたらした衝撃の意味はそれだけにはとどまらない。実はそれは、中国政府が今まで小泉政権に対してとってきた、「靖国参拝問題」一点張りの硬直な外交姿勢を破綻させる突破口を作った一撃としての意味ももつのではないかと、考えられるのである。
就任以来、靖国参拝を堅持する小泉首相に対して、中国政府はすでに四年間にわたって日中間首脳の相互訪問を拒み続けてきた。昨年秋、小泉首相が五回目の靖国参拝を果たすと、中国政府はさらに、国際会議を利用して日中首脳会談・外相会談をすべて拒否するという頑な姿勢を示した。「小泉政権を相手とせず」という方針は現在でも継続しているが、こうした対日外交方針の最大の特徴といえば、すなわち「靖国参拝問題」を日中間最大の争点に据えて、この問題の解決を日中間の対話再開と関係改善の大前提にすることである。
つまり、日本の首相が靖国参拝をやめなければ、日中間の政治レベルの交渉・対話にはいっさい応じない、日中関係の停滞と悪化も辞さない、ということである。中国の指導者たちは日中関係を語るたびに、「靖国参拝問題」こそ、「すべての問題の根源である」、「日中関係改善の最大の障害である」と口を揃えて指摘しているのも、このような意味においてである。
しかし逆に言えば、もし日本側が中国政府の主張を認めて、いわば「首相・外相・官房長官が不参拝」の方針に転じれば、中国政府は当然、日本側との政治レベルの話し合いに応じて共に日中関係の修復・改善を図っていかなければならない、ということになる。つまり、いっさいの会談拒否を貫くという強烈な外交姿勢を示しながら、「靖国参拝さえやめてくれれば、後は大丈夫だよ」というメッセージを発信し続けるというのは、こうした対日外交方針が成り立つための二本の柱でもある。
実際、日本国内においても多くの人々がそう信じていて、「靖国参拝さえやめれば日中間の問題は七割解決できる」との持論を展開する大物政治家さえいる。
しかし、今回の前原発言とその北京訪問によって、中国政府のこうした対日外交方針の信用性は完全に崩れた。
その北京訪問において、前原代表は「靖国参拝問題」ではむしろ、中国政府の主張に同調する態度を示している。彼は中国高官との会談においても、北京での講演においても、「A級戦犯が合祀されている靖国へは日本の首相・外相・官房長官が参拝すべきではない」、「A級戦犯が合祀されている限り、自分も参拝しに行かない」と明言している。
十二月十一日、前原代表との会談に臨んだ唐家〓国務委員は、この問題にかんして中国政府が求めているのは「日本の首相・外相・官房長官が参拝しない」ことだけのことであって、「ハードルは決して高くなっていない」と説明している。
だとすれば、「靖国参拝問題」にかんする前原代表の見解は、中国側の主張とぴったりと一致しているのである。つまり、この問題にかんする限りにおいて、前原代表と中国政府との間に「ハードル」というものはもはや存在しない。「靖国参拝問題」を日中間最大の争点と関係改善の前提とする中国政府の対日方針からすれば、当然、中国指導部は前原代表の姿勢を大いに歓迎し、日本の最大野党の党首である彼を相手にして、「日中友好」を語り合って日中関係の改善を大いに推進しなければならないはずだ、と思われる。
しかし、事態の推移はまったく違っていたのである。
この訪問中に、要望していた胡錦涛主席との会談は実現せず、会えたのは国務委員と外務次官レベルであった。そのわずか一週間前の十二月七日、日本のミニ野党である社民党の福島瑞穂党首が北京を訪問した際、中国の国家副主席で党内地位ナンバー5の曽慶紅氏という大物が彼女との会談に応じた。
しかし、今回、最大野党の前原民主党代表に対して、政治的地位においては曽氏よりも数段下の幹部たちしか会談に出てこないのである。まさに異例というほどの冷遇でしかない。
中国の場合、北京訪問の外国要人に対して、もっとも高い地位の指導者や幹部が締めくくりの最後の会談に出てくるのは慣例となっているが、十二月十三日に、前原代表との最後の会談に出てきたのは、何と中国外務省の一外務次官にすぎない。冷遇というよりも、もはや最低限の外交礼儀すら無視するような露骨な「お客イジメ」である。
その理由は言うまでもない。「現実の脅威」という中国にとっての耳の痛い言葉を口にしたことで中国指導部の「逆鱗」に触れたとたん、前原代表はもはや「まともな」対話の相手として取り扱われなくなったのである。
しかしこのことは逆に、いわば「靖国問題」は決して日中間最大の「争点」でもなければ、日中関係を「阻害」する唯一の原因ではないことを、何よりも証明している。「靖国参拝問題さえ解決すれば日中関係が改善できる」とは、まったくのウソだと分かった。
前原代表が「靖国参拝問題」で中国政府の主張に完全に同調しているにもかかわらず、他の問題で異議を呈しただけで、日本の最大野党の党首として中国指導部との話し合いも意見交換も満足に出来なかった。前原代表に対して中国政府のとったこのような態度と、中国政府自身が今まで取ってきた、「靖国問題」の解決を日中間対話再開と関係改善の大前提とする対日外交姿勢とは、まったく矛盾しているのである。
「前原衝撃」の「副産物」
一国の政府の取る外交政策や方針というものは、それ自体が正当かどうかは別として、少なくとも当の政府自身が一貫した行動と態度を取り続けることによってその正当性を主張する限りにおいて、それははじめて一つの政策や方針として成り立つものである。しかし、今回の前原代表の北京訪問への対応において、中国政府の取った外交行動の前後不一致と自家撞着によって、中国政府自身が示してきた対日外交方針の虚偽性は白日に曝された。一つのウソはその前後のつじつまが合わなくなったことによって自ずとばれてしまうのと同じである。
そしてそのことは当然、このような対日外交方針の破綻を意味するものである。今まで一つのウソを通してきた人間が、突如「そんなのはウソだよ」と自白したとたん、このウソはもはや通用できなくなるのは自明のことだからである。
いってみれば、「中国脅威論」発言を行ったことによって、中国政府が展開している「靖国問題」中心の対日外交の矛盾を突いてそれを破綻させたことは、「前原衝撃」のもたらした一つの「副産物」としての最たる成果ではないか、とは言える。
そしてたいへん面白いことに、前原代表が北京において中国政府の対日外交にこのような一撃を加えたのとまったく同じ時期に、クアラルンプールで開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)プラス3(日中韓)首脳会議と東アジアサミットにおいても、「靖国参拝問題」を焦点とする日中間の外交攻防が激しく展開されていた。
この二つの国際会議において、中国政府は最初から韓国と連携して、いわば「靖国参拝問題」を持ち出して日本批判を強めることによって日本包囲網の形成を図ろうと動いていたと見られる。その目的は当然、「東アジア共同体作り」における日本との主導権争いに優勢に立とうとすることである。
日本攻撃の「前哨戦」を仕掛けたのは中国の李肇星外相である。二〇〇五年十二月九日、東南アジア諸国連合(ASEAN)と中国による外相会議がクアラルンプールで開催された中、李外相はさっそく小泉首相の靖国神社参拝問題を取り上げ、対日非難を行った。その二日後の十一日、李外相は記者会見においてふたたび靖国参拝問題を取り上げて、「責任は完全に、日本の個別の指導者の一人にある」と、首脳会議参加のためにもうすぐ当地に到着する予定の小泉首相にたいする攻撃を強めた。
そして十二月十二日、中国の温家宝首相がクアラルンプールに入ると、対日批判の本格戦が始まった。温首相はまず記者会見において、日中韓首脳会談が延期されたことについて「主要な原因は日本の指導者が歴史に正しく対応していないことだ。連続五回、A級戦犯の祀られている靖国神社を参拝した」と述べ、小泉首相の靖国神社参拝を直接的に批判した。
さらに、同じ日に行われた韓国の盧武鉉大統領との会談において、温首相は「中国は日中韓三カ国協力を重視している」とする一方、「日本の指導者が靖国参拝を繰り返し、日韓、日中関係に障害をつくった」と非難した。
このように、東南アジア諸国連合(ASEAN)プラス3(日中韓)首脳会議と東アジアサミットが開催する直前の数日間に、中国の外相と首相が会議の開催地において四回にもわたって靖国参拝問題を提起して「小泉批判・日本批判」の集中攻撃を行ったが、それは上述の二つの国際会議を強く意識した外交攻勢であることは明らかである。
要するに、小泉首相の「アキレス腱」である靖国参拝問題を「国際問題化」することによって、かつて日本からの侵略を受けたという「共通体験」を持つ東南アジア諸国から一定の理解と支持を得られた上で、日本を最大限に孤立化させようとする戦術であろう。中国政府はまさに、クアラルンプールまでに最強の「遠征軍」を送り込んで小泉首相と日本政府にたいする「包囲殲滅戦」を仕掛けようとする勢いである。
温家宝首相の沈黙
しかし、このような企みは小泉首相からの激しい反撃に遭遇した。小泉首相は十二月十三日、東南アジア諸国連合(ASEAN)との首脳会議で、自身の靖国神社参拝を理由に中国が個別の首脳会談を拒否したことに不快感を表明、中国を名指しで批判した。
その中で、小泉首相は、靖国参拝について、「戦争を美化するのではなく、二度と戦争を起こさないことを誓うもので、戦没者に哀悼の誠を示すものだ」と説明。そのうえで「(靖国参拝という)一つの問題で中国は会わないといっているが、(これを理由に)首脳会談ができないのは理解できない」と述べ、厳しく中国を批判した。
サミット会議が終わった後の十二月十四日に開かれた記者会見においても、小泉首相はさらに自らの靖国神社参拝に中国が反発していることについて、「一人の国民である内閣総理大臣が自分の国の一施設に、平和への祈りと哀悼の念を表すこと、これを批判する気持ちが分からない」と述べ、中国の姿勢を改めて批判した。
いってみれば、温家宝首相が当地で行った二回の靖国参拝批判にたいする意趣返しとして、小泉首相も一歩も譲らずにそのまま二回の正面反撃を行った。
考えてみると、日中国交回復して三十数年間、日中両国の首脳は共有する一つの国際会議の場でそれほどの激しさで正面衝突したのは、おそらく今回が初めてではないかと思う。日中両国首脳による「頂上決戦」は、いよいよそのクライマックスを迎えようとする様相である。
しかし、それもたいへん意外なことに、その後の中国政府の対応に注目すべき重要な変化が起きたのである。
十二月十三日に小泉首相が東南アジア諸国連合(ASEAN)との首脳会議で行った中国批判に対して、当地に入っている中国外務省の劉建超・副報道局長はさっそく反応して、「中国政府の立場は非常に明確であり、変化はない」というコメントを発表した。しかしそのようなコメントだったら、単に中国政府の従来の立場の繰り返しにとどまったものではないのか。小泉首相の展開する中国を名指しての批判にたいする反論としては、あまりにも無力である。積極的な再反論もなければ、攻撃的な姿勢もあまり見られない。それは、首脳会議開催直前の李外相の示した戦闘的態度とは対照的である。
それ以後、温家宝首相自身の言動にも変化が見られた。小泉首相が十三日に続いて、十四日にも同じクアラルンプールで二度目の名指しの中国批判を行ったが、それに対して、現地に居合わせたはずの中国首相としての温家宝からは、再反論や反撃の声がいっさい上がらなかった。
韓国の盧武鉉大統領でさえ、十四日の東アジアサミット会議の席で、過去の歴史問題に向き合うドイツを評価する形で間接的に小泉首相の靖国神社参拝にたいする批判をもう一度試みたが、「盟友」であるはずの温首相は、十三日の小泉発言以後、二度と「靖国問題」に言及せずにしてそのまま帰国の道についたのである。
会議前半に見られたような、温首相自身が仕掛けた日本集中攻撃の凄まじい勢いと比べると、このような拳の下ろし方は、あまりにも肩を抜かしたような白けたものである。
そのことは、「靖国参拝批判」で日本の孤立化を図ろうとする中国政府の戦術は完全に不発に終わったことを意味するが、「靖国参拝問題」にたいする中国政府の従来からの激しい姿勢から見ると、十三日以後の外務省報道官の反応の仕方の低調さと温首相自身の沈黙はとても尋常であるとはいえない。
小泉自民党と前原民主党の「大連立」
その理由は、一体、何だろうか。予想されなかった小泉首相からの激しい正面反撃は、中国政府の「戦意」を喪失させた一因であろう。何しろ、「敵進我退」というのは毛沢東以来の共産党が得意とするゲリラ戦術の一つでもあるからだ。それに加えて、「靖国参拝問題」を提起して日本包囲網を作ろうとするこのやり方は、東南アジア諸国からそれほどの共感と支持を得られなかったことも、中国に兵を収めさせた一つの要因と考えられる。
しかし、それくらいの理由では、中国政府の意外な消沈ぶりを説明しきれない。たとえ中国政府は情勢不利だと悟ってその日本孤立作戦を中止した場合でも、少なくとも言葉の上では小泉首相にたいする攻撃や再反論をもう一度威勢よく展開することによって自らのメンツを保とうとする。これが中国政府の一貫したやり方だからである。
だとすれば、十二月十三日以後に見られた中国政府の「腰砕け」の背後には、一体、何かあったのか。それが、たいへん興味深い問題の一つとなっている。
そこで想起すべきは、同じ日に民主党の前原代表が北京で取った動きである。
前述したように、十二月十一日から十二日にかけて、前原代表は訪問先の北京において「中国脅威論」を堂々と展開した。そのため中国側の反発を買い、その結果、中国政府から驚くべきほどの冷遇を受けた。
そして中国訪問の最終日の十二月十三日、前原代表も堪忍袋の緒が切れて逆襲に出た。同日夕の記者会見において、彼は「自分たちに都合の悪いことを言う国会議員には会わないという姿勢なら、仮に靖国の問題が解決したとしても、日中間の問題は永遠に解決されない」と、中国側の姿勢を強く批判したのである。
ちょうど同じ日に、北京から遠く離れたクアラルンプールにおいて、中国から仕掛けられた「日本包囲殲滅戦」に対して小泉首相が反撃を試みたのは前述の通りだが、実はこの前原発言こそ、小泉首相にたいする心強い「援護射撃」となったはずである。
中国の外相と首相がクアラルンプールで行った日本への集中攻撃において「日本首相の靖国参拝」がその唯一の攻撃材料となっていた。そして、「靖国問題」こそ日中首脳会談が開催できない「主要な原因」であり、日中関係の「最大の障害」であるというのは、彼らの言い分の最大のポイントである。
しかし、「仮に靖国の問題が解決したとしても、日中間の問題は永遠に解決されない」という、前原代表が北京での惨憺たる実体験から発したこの一言は、こうした中国政府の言い分の虚偽性を徹底的に暴き、彼らの行った小泉批判・日本批判の大前提を一気に崩したのである。
さらに面白いことに、「自分たちに都合の悪いことを言う者には会わない」という中国政府の外交姿勢にたいする前原代表の批判も、同じ日に小泉首相がクアラルンプールにおいて発した、「(靖国参拝という)一つの問題で中国は会わないといっているが、(これを理由に)首脳会談ができないのは理解できない」との批判と、まったく趣が同じである。
双方とも、「一つの意見対立でもあればもはや会いたくはない」という中国政府の子供じみた理不尽な外交姿勢を批判の標的にしているが、誰の目から見ても、このような批判はまさに正鵠を射た、もっともな正論であろう。「非は中国にあり」と世界の目に曝され、ウソが暴かれ、虚をつかれた中国政府の立場はもはや無いのも同然である。日本包囲殲滅戦などを仕掛けるどころではなくなった。
このように、二〇〇五年十二月十三日という日に、日本国の小泉首相と日本民主党の前原代表が、偶然にも違った場所と角度から同じ趣旨の中国批判を行ったのである。まさに日本の二大政党を代表するこの二人の党首からの「挟み撃ち」によって、「靖国参拝問題」を国際問題化して日本を孤立化させようとする中国政府の攻勢が不発に終わったと同時に、いわば「靖国問題の解決」を大前提とし、それを中心に据えた中国政府の対日外交も破綻をきたしたのである。そういう意味では、少なくとも今回の対中国反撃戦において、小泉自民党と前原民主党との「大連立」はすでに「実現」された、とはいえよう。
一方、中国政府にしてみれば、せっかく意気揚々とクアラルンプールに「遠征」して展開した日本包囲戦が、前線での敵大将からの猛烈な反撃を受けて苦戦になった矢先、今度は思わぬ方面からもう一人の敵将が現れていきなり自らの本拠地である北京に殴り込んできた、というやばい状況となったわけである。「靖国参拝問題」という敵大将の「アキレス腱」を猛撃してわれに勝機ありと思ったとたん、逆に「中国軍事力の脅威」という自らの急所を突かれて腰が抜けた有り様だ。
対日外交混迷の根源
このような「挟み撃ち」に遭って、中国政府は狼狽して混乱に陥るのも無理ないことではないが、十二月十三日以降の日本側の反撃にたいする温家宝首相や李外相の低調ぶりと沈黙は、むしろ、こうした狼狽と混乱から生じた茫然自失や放心状態の現れではないのか、と推測できるのかもしれない。とにかく、北京とクアラルンプールを舞台にした日中外交攻防戦の一幕は、このような形で中国側の敗退に終わった。
しかしその後も、その対日外交における中国政府の混迷と苦悩はさらに続いた。北京訪問から帰国した前原代表は、就任後はじめての民主党定期大会を乗り切った後、今までの「中国脅威論」よりもさらに一歩踏み込んで「日中軍事衝突の可能性」まで口にした。それと呼応するかのように、ポスト小泉の有力候補の一人であり、日本国の現役外務大臣である麻生太郎氏も、中国の軍事力増強にかんして、「かなり脅威になりつつあるとの認識がある」との見方を示し、「中国脅威論」に同調したのである。
ここまでくると、おそらく中国指導部は、自分たちが今まで貫いてきた「靖国参拝問題」一点張りの対日外交姿勢が、いかに愚かなものであるかに気がついたはずであろう。この対日姿勢の最大のポイントの一つは、すなわち靖国参拝を堅持する小泉首相一人を「目の敵」にして彼との政治レベルでの対話をいっさい拒否することであるが、今から考えれば、実はこの小泉首相こそは中国の経済成長が日本にとっての「脅威」ではなく「チャンス」であるとの持論を展開し、自らが「日中友好論者」であると公言して憚らないという有り難い相手である。しかも小泉首相の口からは、「中国の軍事力は脅威だ」との論調に与した発言が一度も聞かれたことはない。つまり、「靖国参拝問題」の一点さえ取り除ければ、この小泉首相こそは、中国政府にとっての、もっとも話の通じ合う「良き理解者」のはずである。
にもかかわらず、ほかならぬ中国政府の方は「靖国参拝問題」の一点張りで小泉首相との対話を頑に拒み続けてきた。そうすることによって、この「物わかりの良い」日本指導者を相手にして中国の国益にも適うような形で日中関係を構築していくという大事な機会を、自ら逃がしたわけである。その結果、日中関係は国交回復以来の最悪状態に陥っただけでなく、周辺国における「中国脅威論」の広がりという、中国政府のもっとも懸念すべき事態が、近隣大国の日本においてそれこそ現実に「なりつつある」のである。
しかしだからといって、中国政府としては今さら、「靖国参拝問題」で小泉首相に譲歩することも出来ない。五年間にわたって小泉首相と戦ってきたこの「靖国攻防戦」は、最後のところで一歩でも譲歩すれば、中国政府自身の完敗となるからである。そうなれば国内が収まらないのは明らかだ。いってみれば、中国政府は今まで、「靖国参拝問題」を日本との「外交問題」にすることによって、同時にこの問題を自らの政権安定にもかかわるような「内政問題」にしてしまったのだが、今はそのつけが回ってきた。
さらにいえば、現在の中国指導部は小泉政権下での日中関係の改善をすでにあきらめたようだが、彼らがもっとも危惧しているのは、むしろポスト小泉における日本首相の靖国参拝の続行と恒例化である。それを阻止するためには、少なくとも今年九月の小泉退陣までに、今までとってきた「小泉政権を相手とせず」との方針を貫いていかなければならない。ポスト小泉の日本首相に対して、それが一種の見せしめと圧力になるからである。
結局、前述の「前原衝撃」によって、中国政府のとってきた「靖国参拝問題」中心の対日外交方針はすでに破綻したにもかかわらず、日本において「中国脅威論」が台頭しつつある中、このような一点張りの硬直な外交姿勢が中国自身の国益も損なう結果になっているにもかかわらず、中国指導部は当面の間このような無為無策の外交方針を続けていくしかないことに、その対日外交の苦悩と混迷の根源があるのである。
ますます深まる中国指導部の悩み
実は、二〇〇五年の年末に、こうした中国政府の対日外交の混迷ぶりと無為無策を象徴するようなもう一つの意味深い出来事があった。
今年一月一日の産経新聞ネットニュースの報道によると、昨年十二月三十一日に、自民党の山崎拓元副総裁は一月十日から予定されていた中国訪問を取りやめたという。その理由は、「中国側から要人との会談の日程調整が難しいとの連絡があったため」と山崎事務所が明らかにしている。
つまり、小泉首相や民主党の前原代表と並んで、山崎氏も中国政府の「会談拒否」のリストに入ったようである。
しかし、それはどう考えてもおかしなことである。麻生外相の「中国が脅威になりつつある」との発言に対して、ほかならぬこの山崎氏が「言葉遣いが間違っている」と批判したのは、つい最近のことである。そして例の「靖国参拝問題」にかんしては、むしろ中国や韓国の意向に配慮した形で「無宗教の国立追悼施設作り」の構想の推進の先頭に立っているのもこの山崎氏にほかならない。つまり、小泉首相とも前原代表とも違って、山崎元副総裁こそは、中国政府はもっとも喜んで話し合いの相手にしなければならない日本の政治家の一人なのだ。
しかも、社民党の福島党首などの政治的にほとんど無力の野党政治家とは違って、山崎氏は政権党の自民党におけるれっきとした実力者の一人として、日中関係を動かすのに実際の影響力を行使できるはずである。
にもかかわらず、中国指導部は彼との会談さえ事実上拒否してしまった。日本の政局はすでにポスト小泉に向かって動いている中、山崎氏との会談が実現できれば、ひょっとしたらそれは今後の日中関係が中国の望むような形で改善していくための突破口となるかもしれないが、中国政府はまたもやこのチャンスを逃がした。しかも、合理的な理由はほとんど思いつかないような病み付きの「会談拒否」によってである。
おそらく中国政府は、自らの対日外交方針はすでに破綻した後に、今後は一体どうすれば良いのかと色々と悩んで迷っている中、単なる今までの対日外交の硬直姿勢の慣性で山崎氏との政治会談を拒否したと推測できるかもしれないが、もしそうであれば、今の中国指導部は、その対日外交において、少なくとも一時的にはすでに思考停止の「脳死状態」に陥ったというしかない。それこそ、小泉首相を相手にして五年間もやってきた中国政府の「靖国外交」の、完全な行き詰まりの現れである。
もちろん中国政府にしても、このような対日外交の「脳死状態」をいつまでも続けていくわけにはいかないだろう。少なくとも小泉首相の後継者となる新しい日本首相が誕生した暁には、すでに行き詰まった対日外交方針に何らかの転換を図らなければならない。そのことは、胡錦涛主席自身がよく知っているはずである。
しかし、「靖国参拝問題」では小泉首相とほぼ同じ姿勢を示している一方、「中国の脅威」にたいしてはむしろ小泉首相よりもはるかに厳しい見方を持つ麻生外相や安倍晋三官房長官はポスト小泉の最有力候補となっている中、このような日本にたいして外交方針を一体どう再構築したら良いのか、北京指導部の悩みはますます深まっていくものであろう。今まで無闇にやってきた、「靖国参拝問題」一点張りのくだらない対日外交のつけは、あまりにも大きいからである。
http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2006/0603/ronbun1-1.html