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乙巳(ウルサ、第2次日韓協約)条約締結当時、長谷川好道駐在朝鮮軍司令官が強圧的に条約締結に追いやった情況を自ら記録した文献が発見された。
荒井信一駿河大学名誉教授は、条約締結5日後の1905年11月22日長谷川司令官が作成した「保護条約締結始末」を最近、旧陸軍省の「戦域陸軍正史」から発見したと14日、明らかにした。
報告書によると長谷川司令官は韓国政府を強圧するために条約締結半月前、軍隊動員命令を受けた。彼は武力デモを起こして大韓帝国李根沢(イ・グンテック)軍部大臣に会い、条約締結に応じなければ無力行使すると脅迫したという。
日本の組織的な軍隊動員が日本軍内部記録から確認されたのは今回が初めてだ。
長谷川司令官は条約締結当日の17日、騎兵連隊および砲兵連隊まで動員して巡察を強化した状況を描き「(韓国人は)皆震えており1人も大声を出す者はいなかった」と記録している。韓国政府の警察顧問だった丸山重俊氏も「歩兵・騎兵・砲兵の3兵とが旧王宮(景福宮)前広場で1日中訓練した」とし、このような武力デモにより「一種の恐怖感を抱いた多くの韓国兵が制服と武器を捨てて逃げた」と報告した。
長谷川司令官は締結前日、李根沢軍部大臣に「私が取るほかない最後の手段が何かは敢えて説明しない」と言うと李大臣は「おののきながら直ちに入闕(宮中に入ること)した」という。恐ろしさを感じた李根沢大臣は翌日、伊藤博文に条約に賛成すると明らかにし、乙巳五賊(ウルサオジョック)となったのだった。
長谷川司令官は別途の「意見書」で「韓国は元々威嚇して服従させなければならいもので、懐柔は通じない」とし「彼ら(高宗と大臣たち)は先例(明成皇后殺害事件)があって毎夜、悪夢にうなされているが、その連想は直ちに軍隊恐怖症を起こす」とも記録している。
荒井教授は「報告書は乙巳条約が日本政府の組織的強制で成り立った事実を立証することで条約自体が国際法的に無効であることを明らかにする史料だ」と述べている。
荒井教授は来年1月に出版する著書『歴史の和解は可能か』(岩波書店)にこの内容を収録する予定だ。
東京=イェ・ヨンジュン特派員