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http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/11/15/20051115000017.html
「我ら(日本軍)は、毎日京城(キョンソン)市街を示威運動、つまり威嚇(いかく)の目的で闊歩しています」、「ソウルに伊藤博文侯爵が訪れ重要な話し合いを行っているので、朝鮮を日本のものにする詰めの段階に入っています。朝鮮王室家でも少なからぬ異論があり、外交界もいよいよ面白くなってきました」
今月17日は、乙巳条約(第二次日韓協約)が強制的に締結されてからちょうど100周年をむかえる日だ。条約締結を強制するため、伊藤博文が全権大使として訪れ、龍山(ヨンサン)に駐屯していた日本軍部隊が完全武装したまま徳寿宮(トクスグン)周辺や乙之路(ウルチロ)などのソウル中心街を徘徊した。
当時、京城守備歩兵59連帯9中隊歩兵中尉だった間P安一中尉が、乙巳条約が結ばれた11月17日付けに書いた手紙が14日公開された。
陳錤洪(チン・ギホン/91)元光州(クァンジュ)逓信庁長が、50年前日本で入手し保管していたものだ。
日本愛知県の父親宛に出されたこの手紙には、条約締結日の厳めしく威嚇的な雰囲気とともに、朝鮮を丸ごとものにした日本の喜びが生々しくつづられている。
間瀬中尉は「家一軒が取引される時も小さないざこざはありがち。ましてや朝鮮の利益保護、その中身は国を奪うものなので少なからぬ摩擦は当然のことと考える」と記しており、条約締結が朝鮮の国権を奪う不法的事件であることを明確に認識していたことがうかがえる。
しかし、間瀬中尉は「微力ながらも国のために朝鮮をものにするのに役立っているのが心からうれしい」とし、これに一助することを誇りに思っている。
間瀬中尉は手紙の最後に「朝鮮も日本のものとなり豊かな秋だ」という意の自作の俳句まで載せている。
この手紙は、日本の歴史学者山辺健太郎が「審議のための閣僚会議には、会議場を憲兵で囲い、ソウル市街には宮廷の外に龍山駐屯部隊を完全武装させて動員し連日パトロールさせた」と記した『日韓併合小史』の内容を裏付ける貴重な資料と評価される。
間瀬中尉はまた、この手紙で「朝鮮の古書と古器物は大変な価値があるため、日本からわざわざ買いにくる人も多い。私も軍人の身ではあるが1、2点ほど買いたい」と父親に仕送りを要請している。
朝鮮日報