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「乙巳5条約」(1905年11月17日)の強制締結から100年を迎えようとしている。同条約は朝鮮に対する植民地支配の「足がかり」となったもので、日本はこれを強引に調印させたあと、朝鮮に統監府を設置し外交権を掌握した。さらにこれを足がかりに内政にまで干渉し、1910年に「韓日併合条約」を締結させた。
「無効」裏付け
これまで同条約が合法的に締結されたかそうでないのか、有効か無効かをめぐって多くの議論がなされてきたが、同条約が強制的に締結させられたことをあらためて裏付ける第3国の文書がみつかった。荒井信一・駿河台大学名誉教授の研究で明らかになったもので、12日、東京で行われる在日朝鮮人史100年記念シンポジウムで報告される。
同文書は当時のエドウィン・モーガン在ソウル米公使が米国務長官にあてた報告(1905年11月20日付)で、「調印が自由な行為として行われたとは考えられない」としている。
当時、米国公使館は「乙巳5条約」が「締結」された重用殿(ソウル市)の隣にあった。低い塀で仕切られただけだったこともあってモーガン公使は塀越しに状況を観察し報告した。
さらに報告は、「締結」前の2日間にわたって日本軍がソウル市内で示威行動(a conspicuous display)を行ったことで、日本の要求に抵抗することが不得策(inexpediency)だということを皇帝や市民らに印象付けたようだとも指摘している。
第3者の目撃と報告は、条約無効論の論拠を強力に補強するものとなる。
国際社会も「無効」
日本では、「不当、合法」論、つまり植民地支配に対しては謝罪するが、当時の国際法上は合法だった、よって賠償責任もないという主張が行われてきた。
「韓日条約」(1965年)では、「1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約および協定は、もはや無効である」ことが確認された。だが、このあいまいな表現が日本の「不当・合法」論をはびこらせるきっかけを与えてしまった。
一方、同条約の「無効論」は、「乙巳5条約」締結直後からすでに存在し、1963年には国連総会に提出された国連国際法委員会報告書で、強制的に結ばれた条約の一例として同条約が取り上げられている。近年では、同条約の無効を国際社会に訴えた高宗皇帝の「密書」が発見されている。
北南朝鮮は今年6月にソウルで行われた第15回北南閣僚級会談の共同報道文で「『乙巳5条約』は元々無効である」ことをあらためて確認した。
「乙巳5条約」締結から100年。長年の議論に終止符を打つ時が来ている。
[朝鮮新報 2005.11.10]
http://www.korea-np.co.jp/sinboj/Default.htm