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少し古い記事になりますが、「CLick for Anti War 最新メモ」(http://d.hatena.ne.jp/claw/20060417)の九郎正宗さんが次のように紹介している下川正晴氏の記事(毎日新聞)があります。検索して調べたところ、まだどなたも紹介されていないようなので投稿する。
>下川正晴氏は、「親日派のための弁明」を発見して紹介した人でもある。訳者のあとがきのページで荒木和博氏がそのように書いている。このような人でも批判する本、それが「マンガ嫌韓流」なのである。
第32回 「韓流」「嫌韓流」のはざま(その5)【毎日新聞】
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/column/seoul/archive/news/2005/20051104org00m030159000c.html
<ソウルの秋1>延世大学周辺 時々、日本に一時帰国する。そのたびに書店をのぞくと、最近の「嫌韓本」の氾濫には、ほんとに驚かされる。韓国批判もさまざまな角度からのものがあれば、それはそれで悪くない。だが、どの本もワンパターンの韓国批判ではないだろうか。
「マンガ嫌韓流」で話題になった「韓国人特有の精神疾患『火病』」というのも、その類である。さすがに「マンガ嫌韓流」でも、「すべての韓国人に精神疾患の傾向があるかのような偏見が、これ以上助長されないように祈るばかりだ……」(36ページ)と書いているが、これでは、ただの皮肉に聞こえると言うしかない。
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「韓国の北朝鮮化が進んでいる」。これは最近、よく見られる韓国分析だ。これは、これで正しい。だが、僕にはソウルで久しぶりに暮らしてみて「韓国人の忠清道化が進んでいる」という印象もある。どういう意味か? 簡単に言うと、穏やかな韓国人が増えたということだ。忠清道の人たちは穏やかな人が多い、というのが韓国での定評だからだ。
あちこちで韓国人と日本人が議論していて、ハタと途中で気づく。より興奮してしゃべっているのが、こちらだったりする。相手の韓国人がよほど冷静な口調だったりすることに気づいて、僕自身もがく然とすることが少なくない。これは「日本人の韓国化」か?
「韓国の北朝鮮化」と「韓国人の忠清道化」。それがどういう相関関係にあるかは、別の機会にでも書きたい。とにかく、ステレオタイプの見方はジャーナリズム(日々の現象を的確に報道し批評する、というのがジャーナリズムの原意である)の敵であると、改めて自戒したい。
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最近、ある全国紙のソウル支局長が交代した。新支局長の専門は中東問題。15年ぶりのソウル赴任である。
「いやあ、驚きましたよ。路上で僕にぶつかった韓国人が、ミアナミダ(すみません)って言うんですからねえ。横断歩道でも青信号になるまで辛抱強く待っている。韓国人がこんなことになっているとは、想像もつきませんでした」
<ソウルの秋2>ソウル市立美術館前 「韓国人の忠清道化」理論を立証する実例、というのは大げさだが、こういう観察があることも、ぜひ紹介しておきたい。
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「マンガ嫌韓流」のマンガ部分や、西尾幹二氏の寄稿「外が見えない可哀想な民族」を読みながら気になるのは、このマンガ本の著者や西尾氏がどれだけ、韓国人との「直接対話」を試みているのかという点だ。
西尾氏がかつて、「月刊朝鮮」元編集長の趙甲済氏と論争したことは知っているが、1度や2度の論争で、そう簡単に「可哀想な民族」と決め付けないほうがいい。西尾氏の韓国批判は、やたらに他人の文章の引用が多く、自分の体験に基づく韓国批判が少ない。それが最大の弱点だ。
なんのための韓国批判なのか。自己(日本)と他者(韓国)のよりよい関係を構築するという、コミュニケーション本来の意義からもほど遠い論議のように思われる。これは、「マンガ嫌韓流」が持つ問題点でもある。
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最近、近所のカルグクス屋(うどん店)で昼ごはんをとっていたら、隣で日本から来た女子学生3人が、あれこれ楽しそうに話していた。東京の名門私大の4年生。「卒業旅行で初めてソウルに来た」という。感じのいい学生たちだったので、1時間ほどいろいろ話した。
「ソウルに来て驚いたんです。韓国人って、みんな親切ですよね。テレビでは反日のこととかを見て心配していたのです。反日って、実際にはどうなんですか?」
「えーと、『韓国の反日活動』は、実際には日本大使館の前とテレビの中にしかありません。あと青瓦台(大統領官邸)の一部かな。大げさに伝わっているだけですよ」
僕がそう答えたので、彼女たちはびっくりしていた。帰国後、うち、ひとりの学生からメールが来た。
<ソウルの秋3>独立門近くの市場 「私はウォンビンが住んでいる国に行ってみたいくらいにしか考えてなかったのですが、韓国の文化や若者事情などの話を聞き、もっといろんな観点から韓国を知りたいと思うようになりました。1979年に大統領が暗殺された話も知りませんでした。歴史的な事柄、習慣も何もわかっていません。これから少しずつですが、知っていきたいと思います」
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僕はこの数年、20歳代前後の日韓の若者とよく付き合ってきた。日本での「韓流」ブームが、このような日韓の若者対話の促進剤になってほしい、と心から念じている。
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ある20代前半の韓国人の短いエッセイを紹介したい。2年前、毎日新聞の学生ウイークリー「キャンパる」(僕は今春までここの編集長を兼ねていた)に寄せたものだ。
当時、彼は韓国の軍人だった。高田馬場の居酒屋で、日本人学生たちと一緒に、僕も交えて飲んだことがある。ここに「反日」「嫌韓」を乗り越える確かな視点がある。そう思うのが、どうだろうか。
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「サッカー日韓戦ほど、両国民の関心を引く試合があるだろうか。3週間の日本旅行中、U22代表戦が東京・国立競技場で開かれた。
雨にもかかわらず、スタンドはブルーの応援団でぎっしり埋まっていた。もちろん韓国の応援団も片側に席を取っていたが、日本の応援の勢いにびっくりした。02年ワールドカップを通じて、韓国の応援も有名になった。だがウルトラス・ニッポンの応援もすごかった。
韓国チームの先制ゴールで、ぼくたちの雰囲気が盛り上がる中、少し酔っぱらったような日本人2人が悪口を言いながら、今にもこちら側へ乗り越えて来そうだった。何人かの韓国人も興奮して、悪口を言い返した。『これが日本と韓国の目に見えない壁なのか』。こんな状況が試合が終わるまで続いた。
試合は引き分け。しばらく場内の熱気に浸っていると、ウルトラス・ニッポンが陣取るスタンドから、韓国の応援歌が聞こえてきた。韓国側からも日本の応援歌が流れてきた。双方は境界線を越え、抱き合いながら励まし合った。
さっきまでの気まずさは去っていた。両国の旗を持ち写真を撮る様子を見て、みなが友だちのように感じられた。雨にぬれて体はちょっと冷えたが、心だけは温かくなる瞬間だった。
成熟した日本の応援の様子が印象深かった。旅行中に話し合った日本人が、韓国に対して深い関心を持っているのにも驚いた。相手への、より深い理解と関心によって、応援席の境界線がなくなる日が来てほしい」(10月24日)
2005年11月4日
下川正晴(しもかわ・まさはる)
1949年鹿児島県生まれ。大阪大学法学部卒。毎日新聞ソウル、バンコク支局長、論説委員などを歴任。立教大学大学院博士課程前期(比較文明論)修了。05年3月から韓国外国語大学言論情報学部客員教授(国際コミュニケーション論、日韓マスメディア論)、ソウル市民大学講師(日本理解講座)。日韓フォーラム日本側委員(01〜03年)、NPO「韓日社会文化フォーラム」運営委員(04年〜現在)。