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>>日々通信 いまを生きる 第199号 2006年4月1日<<
中国と韓国
前号の<愛国についてなど(http://tizu.cocolog-nifty.com/heiwa/2006/03/198_200623___9254.html)>に韓国の漱石研究家金正勲さんがコメントを寄せてくれた。
金さんは韓国人民は日本の植民地になり、さらに南北に分断されたため、自由と独立への強い願望がある。これが強烈な国民意識、愛国心の基礎になっていると述べている。
<南は韓国、北は朝鮮と呼ばれ、南北対立の時代を過ごしてきたが、そのような民族的悲劇を抱えているからか、南北はそれぞれ国歌と国旗に強い思いを寄せている。
分断国家の辛さをどこの国よりも自覚している国民にとって、国歌と国旗はもっとも大切なものであるに違いない。>
いまは統一への願いが強いようだが、10年20年前は、南北の敵視政策が強烈で、相互に憎み合っているように思われた。もとよりその根柢に強烈な民族意識があったのだろうが、統一を求めて対立を深め、相互に相手を悪魔のように言い合っていた。それが、いつ、どうして、融和的な統一意識に変わったのだろう。
その対立は冷戦構造がつくり出し、それぞれの権力者があおりたてたもので、冷戦構造の崩壊とともに統一から融和へと転じていったのであろう。
東西ドイツの場合は東ドイツの崩壊による雪崩のような統一だった。朝鮮(共和国)は苦難のなかで独立を維持し、韓国の政策が経済的優位の自信のうえに太陽政策、抱擁政策と展開し、今後の統一の方向が明確になったように思われる。
金大中、盧武鉉(ノ・ムヒョン)両大統領の指導の正しさは高く評価されると思う。
いま、北朝鮮の体制転覆を主張して、難民が雪崩のように韓国・中国へ流入する方式を主張するものがあるが、これは中韓朝いずれにとっても犠牲の多い道で、無責任な主張であろう。
金正日総書記が中国を訪問し、特に華南の改革開放の先進都市を集中的に視察したが、これは今後北朝鮮の進路を暗示するものだと思う。
北朝鮮が改革に成功し、豊かな国になることを韓国も、中国も強く望んでいる。
元来、教育水準の高い北朝鮮のことだから、中韓にロシアも加わって援助すれば、経済的な躍進の実現は容易だろう。それは東北アジアの経済的共同体の中軸を形成することになり、やがて新しい東北アジア共同体の形成に道を開くことになる。
アジアの利権を重視するアメリカもこれを無視することができず、当然、その一角に食い込もうとするだろう。
それが、これからのアジアの動向だ。
日本はこの動向にどう対処するのか。
アメリカにとって、発展するアジアは魅力ある市場であると同時に、自国の覇権を脅かすものでもあり、二重の視点に動揺をまぬがれないが、実利主義的なアメリカは結局アジア経済圏を重視する方向に進まざるを得ないのだろう。
アメリカは日本をアジアに対する出城のようなものとして利用したいのだろうが、<狡兎(こうと)死して走狗(そうく)烹(に)らる>という言葉もある。なんと言っても国益第一のアメリカだから、日本は苦い汁を飲まされないように、独立の戦略を持たなければ、ひどい目に合わされることになるだろう。
もう、アメリカの言いなりになっていればいいという時代ではなくなったことを知らなければならない。
戦後60年、ひたすらアメリカに従属してきた日本の政治家は、追い込まれれば追い込まれるだけ、ますますアメリカにすがりついてひどい目にあわされるのではないかと心配だ。
日本にとっていま必要なのは独立の精神であると思う。国が独立するためには、国民が独立していなければならない。アメリカに従属してうまい汁を吸うことばかり考えてきた日本の政治家はひ弱で、逞しさがないのではないか。国民の多数も同じように依存的で自立の精神がとぼしいのではないか。
中国や韓国の最近の発展は驚くべきものだ。私がはじめて中国で暮らしたのは20年前だった。当時も、中国は改革開放路線をとって、新しい発展の道を歩きはじめていたが、まだまだすべてにおいて遅れていた。中国製の機械や道具は故障が多かった。私たちは外国人で特権的な暮らしをしていたが、それでも生活は不便だった。
10年前に北京で暮らしたときは、私たちの住んでいた郊外のホテルのあたりが新しい商業センターになり、大きなデパートが二つもできて、日本で暮らすのと少しも変らぬ便利さだった。
20年前に暮らした保定の町も、すっかり近代的になっていた。以前はデパートと言っても、薄暗い大きな雑貨店といった感じだったが、いまはすっかり近代的なデパートに変わっていた。
大学の食堂も立派なレストランになり、学内がにぎやかになっていて驚いた。
そして、去年、20年前に在職した河北大学を小林多喜二シンポジウムで訪れたときは大学がかつては想像もできないほど立派な建物になり、たいへんな規模に拡大していて、さらに、発展しようとしていた。
外国人留学生のための食堂ばかりでなく、中国人学生の食堂も広大で近代的になり、豊富で充実していた。
中国には活力がある。学生たちも生き生きしていた。学生たちが利用できる図書はとぼしく、外的な拡大や近代化にその内実はおよばないという感想をまぬがれなかったが、それでも、その発展の速度と規模は大きく、これでは、日本は負けるなと思わざるを得なかった。
日本では大学の予算が縮小され、規模も、内容も日増しに貧弱になっていく。ほろびゆく大学で学生たちは活力をうしなっているように思われた。
中国人はこの中国の発展をわがことのように喜び、誇りにしていた。中国人といっても、さまざまな世代がある。あの戦争中の記憶がある世代は次第に少なくなっているだろう。戦争中は中国人の暮らしは悲惨そのものだった。日本だけでなく世界列強に分割され、植民地化され、人間扱いされなかった。中国人と犬はいるべからずという立札があったことに象徴されるようなみじめさだった。
中国の発展も韓国の発展も、日本の支配から脱し、独立を実現することができたからであろう。独立への強い欲求があり、過去の悲惨な経験が強い国家意識の基盤になっている。
経済的発展の速度は急速だが、何といっても、まだまだその基盤は弱く、一度、政策を誤ればいつ転覆するかわからないのだ。貧富の差が拡大し、おくれた地域の開発は容易ではない。
いま、中国は一方で私利私益の追及に土台をおく市場経済を導入し、強力に生産の発展を志向すると同時に、その矛盾を克服するための国民的共同が必要だ。
中国は広大な国だ。河北省だけでも日本と同程度の面積と人口があるという。
地域による自然条件も極端に異なり、人口は13億におよび民族も55におよぶ言語も文化も異にする多民族国家である。放置すれば対立と混乱は絶えず、国家的統合、共同は望むべくもない。
このような広大な国土と人口、多様な物産に富む国であることは、中国の発展の基礎であろうが、それはまたいつ崩壊するかも知れぬ危険を内包しているのだ。
眠れる獅子という言葉があるが、いま、たしかに眠れる獅子は目覚めた感がある。眠れる獅子を目覚めさせたのは日本であった。日本の侵略に抗してたたかったたたかいの歴史が、中国共産党の権威を保障し、それがこの巨大な国家を統合する求心力になる。
中国共産党は絶えず経済的な発展を実現し、国民の幸福を拡大して行くことによってのみ、その権威を保持し、国民統合を実現することができた。
日本に勝ち、国民党を打倒して人民革命を実現したとはいえ、経済的には後進国であった。土地革命によって農民は地主から解放されたが、依然として貧困と停滞から脱することができなかった。
向ソ一辺倒から中ソ対立の時代、文化大革命を経て米日との国交回復を実現し、改革開放の道を歩み、ようやく貧困を脱し、急速な経済的発展を実現することができた。
その発展は外資を導入し、豊富で低賃金の労働力を提供して、世界の工場になることによって実現された。その発展はめざましかったが、一歩誤れば外国資本に従属し植民地化する危険がある。外国資本に従属するのでなく、外国資本を利用して自国の経済を発展させるとともに、外国に学んで自国の科学技術を発展させることが必要だった。中国の発展は日米、EUをはじめアジア諸国との友好協力の上にのみ実現されたが、一方で国民的主体を確立し保持するために、国家主義的権力が強化され、愛国思想が強調されなければならなかった。
昨年は戦後60年、1905年から100年、この1世紀をふりかえる世界的な記念の年だった。中国では<反ファッショ偉大なる抗日戦争勝利60周年>の記念行事が年間を通して全国各地で盛大に行われた。
日本帝国主義に蹂躙されて、多数の人命をうしない、貧困と隷従を強制された時代をふりかえり、この暗黒の時代を脱して、幾多の苦難に耐えて独立と繁栄を実現した歴史を誇りをもって回想して、あらためて共産党の指導の正しさを確認し、愛国心が昂揚させられたのであった。
しかし、日本では自虐史観などということが言われて、この1世紀の日本の歴史を肯定的に見ようとする動きが強まった。この立場からすれば、あらゆる先進国が植民地を持ち、多民族を支配してその富と栄光をかち得たのであり、日本ばかりがいつまでも謝罪を強いられるいわれはないというのであった。いつまでも日本の侵略を言い立てる中国や韓国は、それで日本から何を得ようとするのかと怒りの感情さえ隠さない動きが強まった。
靖国参拝に固執する小泉首相が支持されてきたのには、そのような感情があったからであろう。このような日本が中国や韓国にとってはゆるせない。過去の侵略の歴史を侵略の歴史として否定せず、侵略してなぜ悪いというような態度をとる日本とはまともにつきあえないというのであろう。
小泉首相は過去の過ちについては謝罪するという。ただ、日本の総理大臣として心ならずも命をうしなった兵士、軍人の霊を慰めるのがなぜ悪いというのだが、中韓からすれば、靖国にはA級戦犯のが合祀されており、靖国参拝はかつての戦争を肯定することになるとして、それをゆるすことができないのである。
この問題についてはすでに何度も書いたし、いま、これについて述べるとすれば長くなりすぎるので、また、あらためて書きたいが、靖国参拝が、昭和の日の制定とか、憲法改定、教育基本法改訂といった動き、さらには日米軍事体制再編の動き、日本の軍事力強化、中国脅威論などと無関係ではないと思うのである。
いま、日本がたいへんな歴史的転換点にあるとき、ライブドアだのなんだのの問題にまぎれて、日本の進路についてまともな議論がされない日本の国会は絶望的だ。
それにしても民主党の醜態はどうだ。前原なんておっちょこちょいだと思っていたがこれほどひどいとは思わなかった。世代交代なんて言っているがこれではどうなることかと思われる。
フランスでは、学生たちが、高校生までもデモとストライキで政府とたたかっている。
日本の若者は自分たちの未来がとんでもない方向に展開しようとしているというのに、ほとんどまったく無関心のように見える。
日本の政治も若者も、なんだか無気力で、ずるずると押し流されて行っているようで、情けない。
またしても愚痴になって自分が情けないが、いま、私にできることは、私たちが、いま、歴史のどのような地点に立っているか、なぜ、いまのような日本になってしまったかををできるだけ明らかにすることだと思う。
春4月、それぞれの春を元気にお過ごしください。
先週は鹿児島、宮崎を旅行し、雨の降る桜が満開の知覧で無残に殺された日本の若者のことを思い、彼らを殺した者たちに対する憤りを新たにした。平和新聞には島尾敏雄の「出発はついに訪れず」、吉田満の「戦艦大和の最後」について短い紹介文を書いた。ホームページに掲載したのでご一読いただければ幸いである。
伊豆利彦 http://homepage2.nifty.com/tizu
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愛国心についてなど(日々通信 いまを生きる 第198号 2006年3月23日)
http://www.asyura2.com/0601/senkyo20/msg/614.html
投稿者 gataro 日時 2006 年 3 月 24 日 08:31:36