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(回答先: 反戦デモを「約10万人」などと書く毎日新聞他マスゴミのインチキ記事には注意されたし 投稿者 匿名取締役 日時 2005 年 9 月 27 日 14:59:33)
30万人参加デモの続報が9月27日付の「しんぶん赤旗」に出ていました。
デモ参加者の思いが取材されています。商業新聞の報道との違いがあるかどうか、参考までにUPします。紙面からの転載なので、URLはありません。
戦争もうイヤ 米国民立つ
イラク開戦後最大デモ 参加者の思い
「いまこそイラクから軍を帰せ」―ホワイトハウスを包囲した24日のデモは、2年半前のイラク戦争開始以来、米国で最大の反戦行動となりました。参加者の思いを探りました。(ワシントン=浜谷浩司)
母の勇気
集会が始まる1時間も前のことです。ホワイトハウスを背にした舞台から、突然、女性のアナウンスが流れました。
「ニューヨークからワシントンに向かう鉄道が停電で止まっています。この集会に参加する仲間たちは、いまペン駅(ニューヨーク市)でデモをしています」
その朝、全米各地からバスで到着したばかりの参加者らが、このアナウンスに大歓声で応えました。
事前に参加目標を「10万人以上」とする声がありました。「開戦後最大」をアピールしたものの、実際どれほどになるか、主催団体の「国際ANSWER」と「平和と正義のための連合」にも不安があったようです。
その不安を一気に吹き飛ばした「30万人」(主催者発表)。翌日の米ワシントン・ポスト紙は「15万人」と推定しながらも、「目標を達成した」と伝えました。
会場で、儀礼用の正装の軍服に身を包んだ若者に出会いました。「国中が軍を支持している。そして、わたしたちはこの戦争を支持しない」
この兵土にもデモ参加者にも、切羽詰まった怒りが満ちていました。
ブッシュ大統領は開戦2カ月後の2000年5月、空母艦上で「任務完遂」と胸を張りました。それがまったくのうそだと分かってか
らは、「最後までやり抜くのだ」と強調してきました。
しかし、戦争の大義とした「大量破壊兵器」や「9・11テロヘの関与」はでっちあげでした。米兵の死者は1900人を超えました。軍事力でイラクを平定できないことはだれの目にも明らかです。
世論調査でいま、ブッシュ大統領の支持率が急落しています。その最大の理由がイラク戦争です。米国民の間にえん戦気分がますます強まっていることを示しています。にもかかわらず、ブッシュ大統領は撤退を拒否し、犠牲を出し続けています。
「この戦争にはほとほとあきれた。ただ、国民に理解が広がるにはそれなりの時間がかかることもある」―こう話すのは、ワシントンで反戦集会に参加したのは初めてというジェイソン・デュマスさん(41)=ミシガン州デトロイト在住=。ブッシュ大統領の支持率が落ち込んでいることを示す手作りのグラフをプラカードにしました。
こうした国民のいら立ちが反戦行動に結びつくには「弾み」が必要でした。それが、死んだ息子を思うシンディ・シーハンさんの勇気ある行動でした。
思いを述べた参加者のほとんどが「彼女こそ英雄だ」と語ります。一人で行動に立ち上がったシーハンさんが、実際にワシントンに足を運ぶきっかけになっていました。
堤防つくれ
ハリケーン「カトリーナ」が映し出した米国の貧しさも弾みになりました。「堤防をつくれ、戦争でなく」と書いた黄色いTシャツが引っ張りだこでした。
Tシャツに着替えたベバリー・バーカーさん(52)=ニューヨーク市在住=が言います。「米国には、世界に民主主義を押し付けることよりも、国土の安全保障が必要です。イラク戦争の出口を見いだす上で、そこが大事です」
以前のスローガンは「戦争ではなく愛を」抽象的な「ラブ」(愛)が具体的な「レビィ」(堤防)に変わったところに、いまの政治の焦点が鮮やかに示されています。
集会の成功の基礎に、全米各地で取り組まれている地道な活動があることを忘れることはできません。
24日、西海岸でもサンフランシスコで5万人(主催者発表)、ロサンゼルスで1万5千人(ロイター電)、シアトルで5千人(主催者発表)が集会・デモ行進に参加。他の全米各地でも小規模ながら抗議行動が取り組まれました。
オハイオ州から来たゲイル・カーターさん(54)もワシントンで反戦集会に参加するのは初めて。昨年の大統領選挙後、「戦争に反対しなかった民主党を変える」ために「進歩的民主主義のためのウェイン郡ネットワーク」という運動を立ち上げたことが、参加した理由といいます。
「戦争が始まる前からわたしたちは地元で毎通、戦争反対のデモをしてきました」というのはマーティン・フリーダさん(63)。遠くアラスカ州フェアバンクスから参加しました。ブッシュ政権が同州に配備したミサイル防衛用の迎撃ミサイルに反対するTシャツを着ていました。
妻のルータ・バスケスさん(61)が言います。「平和への希望は決して捨てません。わたしたちは活動しなければならないのです」