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国府台陸軍病院で知的障害者と診断された兵士のカルテ=清水寛・埼玉大名誉教授提供
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20050919k0000m040136000c.html
日中戦争から太平洋戦争にかけ、本来徴兵を免除される知的障害者が多数、陸軍に入隊させられていたことが、清水寛・埼玉大名誉教授(障害児教育学)の調査で分かった。戦地から本土の病院に送還された兵士のうち、少なくとも484人をカルテの分析で確認した。兵力不足が深刻になった戦争末期に近づくにつれ、徴兵されるケースが急増。ほかに戦死者も多数いたとみられ、清水名誉教授はさらに多くの知的障害者が徴兵されたとみている。戦地で精神疾患を発症した例も多かったが、恩給や補償の対象外にされたことも判明した。【鵜塚健】
◇末期ほど増加、恩給も対象外…埼玉大名誉教授が調査「国は補償検討を」
極限状態のなか、戦地では精神疾患を発症する兵士が多数発生。こうした兵士のほとんどは、国府台陸軍病院(現・国立精神・神経センター国府台病院、千葉県市川市)に収容され、1937〜45年度に1万人以上が入院した。
清水名誉教授は、同病院が保存する8002人分のカルテ(病床日誌)を5年がかりで分析。このうち徴兵検査時に知的障害があったとみられる兵士が484人(6%)いたことが判明した。
入院した時期で分けると、37年度は4人だったが、戦争末期の44年度には157人、45年度は81人となっていた。ほとんどが入隊後数カ月以内で病院に収容されており、終戦間際になるほど、より重度の障害者が増えていた。
当時の兵役法では「疾病其ノ他身体又ハ精神ノ異常」がある人は「兵役ヲ免除ス」と規定している。清水名誉教授によると、当時の解釈だと知的障害者もこの規定による免除の対象となるが、戦争末期には兵士が不足し、徴兵が急増したとみられる。
一方、戦地で身体的、精神的傷病を負った兵士には、恩給や療養費が支給される。しかし、知的障害の兵士の場合、大半が戦地で新たな精神疾患を発症するなどしていたにもかかわらず、もともと障害を抱えて入隊したとみなされ、恩給や補償の対象外とされた。
清水名誉教授は「戦死した例も多数あるとみられ、把握できた知的障害者は一部だろう。法を無視して徴兵されたうえ、戦地で加わった疾患で、戦後も苦難を味わったはず。今からでも国が調査し、補償を検討すべきだ」と話している。【鵜塚健】
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◇弱者を襲う戦場の過酷…派遣後、症状さらに悪化、「死ぬ方がいい」と脱走も
本来兵役を免除されるべき多くの弱者が戦地に駆り出されていた。想像を絶する戦場で、新たな疾患を発症した知的障害の兵士たちは補償も受られずにいる。調査した清水名誉教授は「国の事情で兵士として戦場に送り込まれ、戦地で役立たないとわかると『もともと不適格だった』と切り捨てられた」と憤る。
清水名誉教授が調べた8000人を超えるカルテには、1人あたり数十枚の記録が綴じられ、入隊後の経過、身体や知能の検査過程などが詳しく記録されていた。
千葉県出身のある男性は1942年1月、20歳で召集され、陸軍一等兵として中国河北省の戦地に送られた。しかし軍隊での行動に適応できず、43年3月に千葉県の国府台陸軍病院に送られた。
カルテによると、男性は「算数力ハ零ニ等シ」と診断され、精神年齢は6歳8カ月とされたという。最終的に重度の知的障害と診断され、3カ月後に同病院を退院した。戦地に派遣されてから精神のバランスを崩したとみられ、カルテには「症状増悪」などと書かれていた。男性の精神状態が戦地で悪化した様子が詳細に残されていたが、国はもともと障害があったとして、恩給の対象と認定しなかった。
茨城県出身の男性は20歳で徴兵されたが、入隊後に脱走をしたとして問題に。同病院に送られ、知的障害があると診断された。カルテに書かれた男性の聞き書きには「点呼に立つのが恐ろしい。夜になると皆がたたいたりするから」という記述もあった。本人の手記も添えられ、「兵隊が嫌になってしまった。死んだ方がよいと思って抜け出しました」とつづられていた。
清水名誉教授は「戦争は一番弱い者に対して最もむごい仕打ちをする。その現実を若い人たちにも伝えたい」と話した。
毎日新聞 2005年9月19日 3時00分