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監督:脚本:ルネ・クレマン
脚本:ジャン・オーランシュ
ピエール・ポスト
撮影:ロバート・ジュリアート
音楽:ナルシソ・イエベス
出演:ブリジッド・フォッセー
ジョルジュ・プージュリー
スザンヌ・クールタル
リュシアン・ユベール
ロランヌ・バディー
ジャック・マラン
物語
1940年。ドイツの進攻を逃れ、難民の列が南フランスの田園地帯に連なっていた。空にはドイツ軍の爆撃機が群れをなしてやって来た。空から爆弾が降る。あちこちに土煙が上がった。
犬を抱いた幼い少女ポーレット(ブリジッド・フォッセー)を連れた夫婦は、少女をかばい敵の機銃掃射で背中を打ち抜かれ息絶えた。
ポーレットが母親の頬をつつくが動かない。犬もどこか撃たれたものか痙攣していた。
一人歩くポーレットは後ろから来た馬車に乗せられた。乗っていた女はポーレットの抱く犬を見て、「死んでるよ」 犬を川に放り投げた。
川を流れる犬の死骸を、馬車から抜け出たポーレットが追いかける。犬を拾い上げ、そのまま犬の死骸を抱いたポーレットはのどかな田園を歩いて行く。
牛を追ってきた近くの農家の少年ミッシェル(ジョルジュ・プージュリー)がポーレットに出会った。
「・・・どうしたの?」 「・・・犬が死んだの」 「どこから来たの?」 「あっち」 「ママは?」 「死んだ」 「パパは?」 「死んだの」
ミッシェルは犬をそこへ捨てさせ、「別の犬をやるよ」 と言って、ポーレットを家に連れ帰った。
農家のドレ家では長男ジョルジュ(ジャック・マラン)が迷い馬に蹴られた怪我で床に伏していたが、ミッシェルが連れてきた都会育ちに見えるポーレットを珍しがり可愛がった。
2階に上がったミッシェルとポーレット。
「いいこと考えた、墓を作ろう!」 「墓って?」 「死んだ人たちを埋めるところさ」 「一緒に埋めるの?」 「さびしくないようにね」 「わたしの犬はさびしいわ、ひとりぼっちよ」 「そうだな」
翌朝、ポーレットは捨てた犬を拾いに行き、廃墟になった水車小屋の中に穴を掘った。ミッシェルも来た。水車小屋には主のようなフクロウがいる。ミッシェルはその裏に隠してあったエサのモグラの死骸を持ってきて犬と一緒に埋めてやった。
「・・・父と子と聖霊の名によりて、彼と天国に迎えたまえ・・・」 ミッシェルは村の司祭から教わったお祈りを奉げた。ポーレットも真似をして胸に十字をきりながら土を被せていく。
「十字架を立てよう」 「十字架って?」 「神様だよ」 枝を折り、十字架にして土の上に立てた。ミッシェルはポーレットにそうして墓の意味を教えたのだった。
長男のジョルジュの容態が悪化して死んだ。一家は嘆き悲しんだ。
そんな頃、隣家のグアール家の長男フランシスが脱走して家に帰ってきた。ドレ家とグアール家は犬猿の仲だった。だが、ドレ家の長女ベルテ(ロランヌ・バディー)とグアール家のフランシスは恋人同士であり、互いに親の目を盗んでは逢引きを重ねているのだった。
ジョルジュの葬式が教会で行われた。ミッシェルとポーレットは教会の中のあちこちに飾ってある十字架が気になってしかたがない。
お墓にジョルジュの棺桶を埋める。そこにも十字架がたくさん立てられていた。
葬式の後、ミッシェルが教会の祭壇の十字架を盗もうとして司祭に見つかり、こっぴどく叱られた。
2階で墓作りの話題に熱中している二人。ゴキブリが這いずってきた。
「ヒューン、ドカン!」 ミッシェルが鉛筆で上からゴキブリを突き刺した。
「殺さないで、殺さないで、殺しちゃいや!」 ポーレットが泣き出す。
「爆弾だよ」 ミッシェルは当惑した。ポーレットは両親が機銃掃射で死んだことを思い出してしまったのだろうか。
「・・・お墓に十字架がたくさんあるわ」 「!・・・そんな、死んだ人に引っ張られるよ・・・」
その夜、二人は抜け出して納屋へ入った。手押し車を取りに行ったのだが、納屋ではミッシェルの姉ベルテとグアール家のフランシスが密会しているのだった。ミッシェルは機転がきく子供だった。ベルテの密会のことは決して親に言わないし、かえって機会を提供することもある。
ミッシェルとポーレットは墓から手押し車一杯の十字架を盗んできた。
ジョルジュが死んで初めての日曜日、墓参りに来たドレはジョルジュの墓の十字架が無くなっているのに気付いた。隣家のグアールの仕業に違いないと勘違いしたドレは後から墓参りに来たグアールと殴り合いを始めた。
喧嘩を止めに入った司祭が言った。「十字架を盗んだのはミッシェルだ」
ミッシェルは飛んで逃げていく。
水車小屋の中は、様々な動物、昆虫の墓で一杯なっていた。それぞれに色んな十字架が立っていた。ミッシェルは惚れ惚れと眺めては悦にいっていた。ポーレットに早く見せてやりたい。ここは二人だけの秘密の場所なのだ。
「盗んだ十字架をどこへやったの?」 ベルテはポーレットを問い詰めた。だが、「知らない」 とポーレットは繰り返す。そのうちに家に忍び込んだミッシェルは、ベルテに言うのだった。「俺も言っちまうよ、誰と納屋にいたか・・・」
これを言われるとベルテには何も言えなくなってしまう。
その翌朝、警察がやって来た。ドレは十字架盗難の件かと思い、ミッシェルを殴りつけ十字架のありかを問うたが、ミッシェルは口をつぐんだ。
しかし、警察が来たのはポーレットを施設に移送するためであった。
「行きたくないよ」 ポーレットは拒み、ミッシェルは「行かせないで!」と叫ぶ。
だが、十字架のありかを言ったら、ポーレットを家においてやるという約束を破り、父親は警察の書類にサインをしたのだ。
ミッシェルは走った。『誰にも絶対に渡さない!』 水車小屋に行ったミッシェルは十字架を抜き取って川に投げ捨てた。
首から札を吊るされたポーレットが修道女から、「ここを動かないでね」 と言われ、名前を呼ばれるのを待っていた。ここは孤児を施設に振り分ける集会所だった。様々な人々が行き交う雑踏だった。
突如、「ミッシェル!」 そのことばがポーレットを捉えた。ポーレットは立ち上り、「ミッシェル、ミッシェル・・」と叫びながら、雑踏の人ごみの中に消えていった。
映画館主から
「太陽がいっぱい」(’60年)の名匠ルネ・クレマン監督の反戦映画の傑作。
両親を失った5歳の少女と、南仏の農家の11歳の少年がドラマの主軸で、二人が動物や昆虫の墓を水車小屋に作っていく姿が哀切をこめて描かれていきます。
少女は墓作りに熱中し、少年は少女を喜ばそうと墓から十字架を盗みます。
『禁じられた遊び』とは、墓作り、更に十字架を盗むことでした。
しかし、とルネ・クレマンは訴えます。本当の『禁じられた遊び』とは、大人たちが起こしている戦争ではないのかと。そこでは戦場の兵士のみならず、多くの一般市民たちの命が虫けらのように奪われているのですから。彼はあどけない子供たちが『死』を遊戯としている姿を描くことで、戦争によってより大きな『死』を争っている大人達を批判したのでした。
ラストで少女はふと、「ミッシェル」という声を耳にし、群集の中に紛れていきます。この少女はいったいどうなってしまうのか、どこへ行くのか、見るものに余韻を残すラストでした。
少女を演じたブリジッド・フォッセーと、農家の少年を演じたジョルジュ・プージュリーは、スターに対するようなルネ・クレマンの演技要求に見事に応え、我々が自然にドラマに感情移入するのに成功しています。
ブリジッド・フォッセーは1946年生まれですから私の1年上です。彼女はその後、女優として数々の作品に出演しましたが、私が見たのは、「さらば友よ」(’68年)と「ニュー・シネマ・パラダイス」(’89年)の2本のみ。しかし、はたしてどこに出ていたのか残念ながら思い出せません。
「禁じられた遊び」を名画とした要素にあまりにも有名な主題曲がありますが、この原曲はスペインに古くから伝わる作者不詳の「ロマンス」だそうで、スペイン人のナルシソ・イエベスが短調に変調したギター演奏は、多くの名画がそうであるように、映画と音楽は車の両輪のように不可分の関係にあることを決定付けました。
実は私は昔、ギター演奏に憧れてギター教室に通ったことがありますが、三日坊主で続かなく、「禁じられた遊び」はもとより未だに何にも弾けません。20歳の苦い思い出です。
参考文献:「週刊20世紀シネマ館 NO.5」 講談社