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対テロ イタリア イスラム指導者を国外追放(コリエレ紙)〜’発言’で
モスクの祈りでビン・ラディンに共感を寄せる発言をしたモロッコ出身イマーム。
ロンドン7/7直後に施行に移された”対テロリズム法”に基づき”秩序と公衆の
安全を守る”ために国外追放に。
在イタリア20年以上、肉屋の店主兼イスラム導師。911後にイスラムコミュニティの
若き 穏健派・人権派リーダーとしてメディアに登場。イタリアのイスラム社会
についてコメントを求めるならブゥークタ師という扱いで、政治討論番組にも
しばしば出演。画面を見ずに声だけ聞いているとイタリア人と思うほど言葉が流暢で、
唯一、相手がどんなに感情的になっても声が穏やかさを失わない点に外国人を感じ
させた。(^^;;
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日本でいうなら読売と朝日。競合紙コリエレとレップブリカのサイトが、幾つか
文節単位の差し引きはあるものの、ほぼ同じ文章を載せていて驚きました。
コリエレ紙の記事 全文訳
http://www.corriere.it/Primo_Piano/Cronache/2005/09_Settembre/06/imam.shtml
・・・・
対テロ、トリノのイマーム国外追放へ
ピサヌー通達(内務相の名、対テロ法)が適用された。
夜間に徴発。他にも国外追放か。
トリノ発 −ジュゼッペ・ピサヌー内務相が発令した対テロ法が適用され、
トリノのイスラム導師ブゥーリキ・ブゥークタ(Bouiriqi Bouchta)が
国外追放となった。ビン・ラディンに関する発言で論争の的になっていた
肉屋の店主ブゥークタ師は、月曜から火曜にかけての深夜にポルタ・
パラッツォ(地名)の自宅で警察に徴発された。 しかし、ブゥークタ師
ひとりではない可能性がある。「省は他の外国人市民も、同様の懸案で
調査中」。 内務省は文書で強調してきた。
20年前、トリノに最初にあらわれたイマームのひとりブゥークタ師
ポルタ・パラッツォ地区で有名なアラブ肉屋を営む師は、さまざまな
キャンペーンを主導した。 保守強硬派に潰されたものも幾つかある。
911後にモスクの祈りでビン・ラディンに共感を表明して非難を受けたが、
導師は常に非難を差出人に送り返してきた。イラクでステフィオ、クペル
ティーノ、アリアーナが人質にとられると、広場に下りて開放を求める
デモに加わった。
「憎しみではなく、愛を育もうではないか」
カルマニョーラのアブドゥル・マモゥル導師 国外追放の折り、レガノルド党
(*外国人は出て行けという政権内政党)が「移民の現実を映している。
イタリアは民主主義の国、追い出されるのはふさわしくない者だけ」と
評すると、こう切り返した。その順番が、今度はブゥークタ導師に回ってきた。
師の国外追放のニュースを伝えてくれたハリマ夫人は、不信と怯えの表情で
その夜をこう描写する。「(警察は)私たちを真夜中に叩き起こすと、彼を
連れて行ってしまった。それきり彼を見ていないし、なんの情報もないの」。
ある情報筋によると、既にモロッコにいる。家族はトリノ警察にいると信じて
いる。
「もし父が追放されるなら、ぼくもついてゆく」
途切れ途切れに話すのは、ブゥークタ師の3人の息子のうちひとり。「父は
ぼくに肉屋の鍵を渡しました。行って鍵を開けるように、心配しないように
と言いました。そして彼らが連れ去った」。 少年は言われた通りに肉屋に
行き、そこで1日働いた。仕事を終えて家に帰っても、父親はいなかった。
05年9月6日