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(回答先: 百人斬り訴訟で遺族敗訴だが朝日新聞記事と東京日日新聞記事は違う 投稿者 木村愛二 日時 2005 年 8 月 23 日 22:56:03)
http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/7/roxqrf/kwtqrf.html#kwtqrf
次の文章は『写真記録 日本の侵略:中国朝鮮』 ほるぷ出版1983年 解説黒羽清孝・梶村秀樹からの孫引きです。一読して百人斬りの報道との共通点が多いことに気づかれます。当時の新聞には同様の記事が各社競って掲載されたでしょう。
−東京朝日新聞 1937年8月22日号−
支那兵廿名西瓜斬り
上海陣の”宮本武蔵”
【上海にて高橋特派員二十一日発】
我が東部右翼最前線柴田部隊は十九日午後から二十日払暁にかけて我に十数倍する敵軍と猛烈な戦闘を続けてこれを撃退したが十九日夕刻の戦闘において的の正規兵、便衣隊の中に斬り込み血しぶきを浴びて敵の頸を四つ刎ね又十六名をなぎ倒した二勇士の奮戦ぶりが陣中の話題になっている。【写真は讃井(上)迎の両勇士==大■■発】
<■■つぶれて判読できず>
柴田部隊の讃井、迎両兵曹長がそれぞれ二手に分かれ部下数名づつ引率して敵最前線に近づくと、突如空家と思われた民家の蔭から数十名の便衣隊が次々にピストルを持って発砲してきた。その中に数名の正規兵も混って発砲している。「何を小癪な」とばかり両平荘町は部下を指揮して猛襲する。勇敢無比の我が兵士は片っ端から敵兵を引捕まえてくる。両兵曹長は勇敢にも敵中に躍り込んで日本刀を抜き放って斬って斬って斬りまくる。斯くて讃井兵曹長は敵の頭を四つ刎ね、迎兵曹長は斬りも斬ったり十六人をなぎ倒した、二十一日朝柴田部隊を尋ねるとちょうど讃井、迎両兵曹長が最前線出動の前を仲良く並んで一休みしている所だ。両兵曹長は鞘を払って見せてくれた。氷のような日本刀にはまだ生々しい血がついている。両兵曹長の持物も無銘であるが相当の業物だ。十六名を斬ったというのに一カ所の刃こぼれもない。
支那兵なんてまるで大根か蕪のようなものさ、いくら斬ったってちっとも手応えがない、この調子だと戦が済むまで百人以上は楽に斬って見せるぞ。
両兵曹長は豪快に笑い立ち上がって再び前線に向かった。
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表面的には勇壮な白兵戦ですが、「敵兵を引捕まえてくる」という戦況ですから、五分の白兵戦でないことは明らかです。また、白兵戦において「敵の頭を刎ねる」ということなど不可能なことは言うまでもないでしょう。下士官が日本刀をふるったことを誇る気持ちとそれを称揚する報道行動が相い携えて「百人斬り競争」への道を準備したであろうことは想像にかたくありません。