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社説:終戦記念日 とんがらず靖国を語ろう
終戦の日から今年で還暦。小泉純一郎首相はじめ世間の多くの影響力ある人たちにとってさえ、あの戦争は記憶の中にあるのでなく記録の中にある。
だからこそなのだろう。この60年を問い直す動きが内外で盛んにわき出している。小泉首相の靖国神社参拝への賛否に象徴されるあの戦争とその後の60年全体に対する再評価の必要性が切実さを増している。それなしには前に進むことに支障をきたすことが現実にふえている。
今年春中国で起きた連続的な反日デモ、国連安全保障理事会常任理事国入りに対する中国や韓国の非常に積極的な反対運動、教科書の記述内容などで再燃した歴史認識問題、東シナ海ガス田開発や竹島領有権問題が象徴する不必要な境界紛争など「戦後」にまつわる解決困難な問題が次々にクローズアップされている。
◇日中不仲は双方損だ
その結果たとえば東アジア共同体構想、アジア全体の自由貿易協定、北朝鮮の核問題に象徴される東アジアの安全保障、さらにはグローバリゼーションが進む中での日中協力の基本的な将来像作りと日米関係再構築のバランス、米軍再編成に伴う日本の安全保障体制の再設計などなど、将来を決める重要テーマの前提が不安定になっている。
日中首脳会談が自由に開けない現状それだけでも、日本中国両国だけでなく世界にとって迷惑な話になっている。たとえば元の為替自由化を近い将来に控え、円ドル委員会30年の経験を中国通貨当局に伝えるかどうかに始まって、数々の省エネ技術から上海万博のお客さん対応での門外不出のノウハウを愛知万博当局から伝授するかどうかまで、中国が必要としている日本のノウハウは実は無限に近くあるのだ。それらを気持ちよく共有できるかどうかは日中両国信頼関係の根源につながっているし、世界経済運営への影響も絶大なのだ。なにも伸び盛りの中国だけが優位に立っているわけでは決してない。
むしろ日中不仲で、日本が60年かけて積み上げてきた各方面さまざまなノウハウや特許、知的所有権やシステム設計力と中国の生産意欲や活力やダイナミックな社会変化の力が奇跡的にでも結びついて、現在地球上で最も強力な経済連携地域ができないことに、米国や欧州はほっとしているのかもしれない。
たとえば小泉首相の靖国参拝で再び中国で猛烈な反日デモが起きて困るのは誰なのか。周囲の情勢変化によって影響も反応も同じではない。時には参拝が中国当局に対する脅しにさえなることを小泉首相は途中から十分に認識しているに違いない。力関係だけからみれば攻守逆転しかけているともいえる。
だがそうしたそのつど主義だけで目先の難問を解決したつもりになっているのは誤りだろう。あの戦争が100%否定され、中国共産党が一点の曇りもない正統な存在だ、いや全くそうではないと全否定同士のぶつかり合いを続けて、レベルの高くないナショナリズムをあおりあって、国内政権維持に利用しあうのはおろかなことである。
時の政権がそれぞれ自分に都合のいい歴史の見方をするのは古来仕方のないことで、そういうことをする力を政権という。それを日中ともお互いが否定しあうだけでは実に幼稚である。
お互いの言い分の存在を認めた上で、矛盾したり不都合な部分をどう案配していくか、それが外交である。それができなければ今時、現代、つまり過剰なほどの情報が世界中を行きかっている時代の立派な政府とはいえないということだ。「二度と戦争を起こさないと靖国参拝して、どこがいけないのか理解できない」と支持者の内々で言うなら勝手だが、日本国の首相が国会でそんなレベルの低い言い方をしてはいけない。
戦争被害者からみれば日本軍は自分に都合のいい理屈の下で勝手に押し寄せてきて、山ほど殺されたのだ。その日本軍に命令を発し続け、見ようによってはもっと早く戦争終結が可能だったのを続行に全力を傾注し、国際的に認められていた戦争捕虜の権利を兵に教えず、「生きて虜囚の辱めを受けず」と玉砕を強要し、数百万人以上の死にかかわる決定を下し、そう行動した東条英機元首相ら戦争指導者が祭られている靖国神社を首相が参拝してはいけない。
◇分祀はやればできる
ましてやその賛否論を通してあの戦争は正しかったとナショナリズムをあおる人たちは上品でない。愚手だ。
もともと天皇が参拝してこそ意味のある靖国だ。靖国に祭られる最後の御霊(みたま)がなくなったころ小泉首相はまだ幼児、長じて首相になったからといって眦(まなじり)を決して参拝しても遺族の参拝以上のありがたみはない。力をこめればこめるほど見ているほうが気恥ずかしくなる。
今後も首相が代わるたびに毎回同じことを繰り返すことに大きな意味は見いだしがたい。政教分離問題もあるが、終戦から暦が一巡したのを機会に、A級戦犯ほか希望者の分祀(ぶんし)によって靖国を内外ともわだかまりなく参拝できるようにすればいい。
靖国神社や特定の遺族だけで分祀はできないと決める資格はないはず。戦没者の扱いは全国民の関心事だからだ。分祀など靖国があまりにも歴史の短い神社なのでやったことがないだけのことだ。このたび初めて分祀すればそれがしきたりになる。
毎日新聞 2005年8月15日 0時27分
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20050815k0000m070112000c.html