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【社説】
2005年08月15日(月曜日)付
(戦後60年) 元気と思慮ある国に
長い戦争の末、みじめな敗戦を味わったあの日に生まれた赤ん坊が、きょう、ついに満60歳を迎える。「戦後」はそれほどの歳月を刻んだことになる。
世界はすっかり変わった。廃虚と占領に始まった日本の変貌(へんぼう)は特にすさまじい。この間、一度も戦争をすることなく、経済・技術の発展は社会を別世界に変えた。60年前に比べれば、はるかによい国になった。
だが、その日本がいま、もやもやとした不安の中にある。
長い不況はようやく脱したが、気の遠くなる財政赤字や急激な少子高齢化で、明るい展望が描けない。働く意欲のない若者も増える。このままでは子供を産みたくても産めない、という親が増えている。
いまや終戦直後のベビーブームなど夢物語なのに、その産物の団塊世代が間もなく続々と定年を迎える。年金が破綻(はたん)しないか、働き手は足りるか。社会のひずみが膨らむことも、戦後60年がはらんだ不安だ。
●勇ましさの功と罪
そうした中、小泉純一郎という異色の首相が人気を保ってきたのは、その元気さからではないか。
「改革」の看板を掲げ、苦境にめげず摩擦も恐れずに立ち向かう。首相の好きな西部劇さながらの勇ましさが受けるのだ。郵政法案の否決に不敵な笑みを浮かべて踏み切った今度の解散は、その典型だった。
古来、むら社会を基盤にしてきた日本は、強権発揮より全体の合意を大事にしてきた。じっくり調整し、そこそこ我慢し、そこそこ満足し合う。総務会で全会一致を原則とする自民党も、終身雇用と年功制の企業風土も、やはり「むら」だった。
だが大きな変革の時代、それでは素早く大胆に対応できない。元気を取り戻すため、痛みを伴う大改革をしたり、思い切って外資を入れたりした企業は多い。「むら」を壊してでも進む小泉流が、だからいま、頼もしく見えるのだろう。
その勢いはまた、不安も招く。
「テロとの戦い」を掲げる米国に呼応して、アフガン戦争ばかりかイラク戦争まで勇ましく「支持」に踏み切り、自衛隊の派遣までやってのけた。そして泥沼に陥ったイラク。テロの行方におびえつつ、いまはその後始末に悩んでいる。
不安といえば、中国や韓国で高まった「反日」も日本のいら立ちの種なのだが、これは互いのナショナリズムの悪循環だ。首相の靖国神社参拝、新しい教科書の動き、そして自衛隊を軍隊にしようという改憲論。これらが隣国の不安をかき立てているのも事実だからだ。
日本のナショナリズムにも理由はあろう。加害の歴史を半世紀以上も責められ続け、首相が繰り返し謝ってきた。それでいて、中国ばかりか北朝鮮まで核やミサイル開発で周囲を脅かす。「加害者扱いはもういい加減に」と被害者意識が広がっていたところに、北朝鮮の拉致問題では本当の被害者になった。
中韓両国の抗議を聞き入れずに靖国参拝を続けた小泉氏は、「内政干渉を許すな」という反撃気分を盛り上げた。中国を侵略したことなど忘れたように「あれはアジア解放の自衛戦争だった」と言い張る勢力まで元気づけてしまった。
●アジア村で生きる術
だが、さすがの小泉氏にもアジア村では人事権も解散権もなく、ダメならぶっ壊すというわけには行かない。もとより戦前のように、力ずくという道もない。揚げ句は国連安保理の常任理事国入りに、両国からあれほど強く反対されようとは。アジアでの和解を目指してきたはずの日本にして、戦後60年の大失態だった。
東アジアは大きく動いている。中国の経済は急成長し、矛盾を抱えた社会には激動の予兆もある。朝鮮半島は行方の定まらぬまま、南北融和ムードが新たな民族感情を育てている。こうした事情が行き過ぎた「反日」にも結びつきがちだ。
一方で、日中には密接な経済関係が育ち、日韓には前代未聞の韓流ブーム。そんな貴重な財産もつくったというのに、無用な元気で彼らの神経を逆なでし、「反日連合」をつくらせるほど愚かなことはない。
つまるところ、アジア村ではじっくり話し合い、何とか合意を求め、譲り合って行くしかないのだ。エネルギーや環境問題など、互いの悩みを共同作業で解決する方法もある。経済でも民主主義でも、日本がリーダー国だと思うなら、そんな旗を振る度量と余裕が必要だ。
冷戦時代が終わって15年。内も外もつくづく難しい時代だ。摩擦を覚悟してやり通すべきは何なのか。和はどこに求めるべきなのか。60歳になった戦後日本に求められるのは、そんな勇気と思慮である。
http://www.asahi.com/paper/editorial20050815.html#syasetu1