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ファルージャ総攻撃についてビデオを見せながら語るイサム・ラシード氏。
シバレイのblog 新イラク取材日記 reishiva.exblog.jp
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仮想現実的な脳と戦争と暴力装置としての「民主主義」
もう一週間近く前になるが、先の月曜日、来日中のイラク人ジャーナリストのイサム・ラシード氏の院内報告会に参加、いろいろ現地の状況について聞かせてもらった。今、とりあえず急ぎで片付けなくてはいけない件があるのだが、とりあえず写真をアップ。
会場に来ていた知人の某ニュース番組のディレクターとも話したのだが、ラシード氏が持ってきたような映像ってのは、日本のメディアは「残酷すぎる」とか言って使わないんだよね。普段、多くのニュース番組は、貴重な証言を含む映像でも「爆発とか派手なシーンがない」なんぞとほざいて使わないくせに、遺体や流血を含む"派手な"映像はご法度だとは。結局、まともな報道をするつもりがないのだろうか。知人のディレクター氏も「おかしいっすよね」と憤っていた。
そもそも、ファルージャ総攻撃に関しては、虐殺の下手人たちである米海兵隊員らは沖縄の基地で訓練を受け、そこからファルージャへと出撃していったのである。つまり、日本の納税者・有権者は加害者に結果的に協力しているわけなのだが、それで現地の悲惨な状況を"残酷だから”といって見たくない/見せたくないというのは、全くおこがましい話だ。
思うに戦争とは、人々の、現実に起きていることを仮想現実的にしか受け取められない麻痺した脳が作り出すものなのである。真の脅威とは人々の問題意識の欠如であり、無責任さであり、そして(一見)安易な「解決策」に対する熱狂的な支持なのだ。
あるイラク人の友人は米国の暴虐さに憤怒して「民主主義なんか信用できない」云々と吐き捨てたが、「民主主義」とやらは、あるには越したことはないものではあるものの、所詮は制度にすぎず、制度を上手く使いこなせる国民がいなければ、むしろ凶悪な暴力装置となる。ナチスドイツやブッシュ政権下の米国がその実例だが、今の日本の状況も大して変わらない気がしてならない。