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# 2005.08.08 Monday # 01:01
# Kaisetsu
北朝鮮とイランの「核」問題は米国の理論と技術的問題
http://blog.kaisetsu.org/?eid=128065
◆相手国の主権を認めるなら、現在の国家理論によれば、国際社会では、国家は全て同等の権利と義務の主体であるべきだ。
◆勿論、日本国のように、自ら、武器としての「核」を放棄できるが、「核」の平和的利用を他国が禁止することは不合理である。
◆この部分が、「イラン」「北朝鮮」から、米国に突きつけられた主張である。
◆しかし、この問題は、米国の現政権が直面する内在的技術的問題であり、この問題の解決を経ないで、他国への干渉を始めた米国の問題である。
◆「核」の、武器としての利用と、民生利用は、「近接」している。ところが、米国は、大量破壊兵器の所持を疑うと言う理由付けで、他国への干渉を始めた。イラク、イラン、北朝鮮である。これに対する、イラクの方法は、「大量破壊兵器」の不所持を主張することだったが、疑わしいことを理由に、攻撃を始められてしまった。(本来、「疑わしきは罰せず」が原則であるのに。)
◆イラン、北朝鮮は、「大量破壊兵器」と「民生利用」の両睨みで、自国の技術水準を引き上げ、この二つの仕分けを、米国(欧米)に、「どうぞ、合理的な基準、を適用してみて欲しい」と言い出しているのだ。
◆つまり、ボールは、また、米国に投げ返された。しかし、こうした技術的基準のアプローチは、冷静さと知的取り組みの問題であり、ライス氏率いるポスト・モダンの国際政治術にとっては、得意の領分だ。チェイニー氏とライス氏の攻防である。