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8月7日(日)午後2時放送「ザ・スクープスペシャル」
ザ・スクープスペシャル 終戦60周年特別企画
「検証!核兵器の真実 〜それは人体実験だった〜」
今から60年前の8月6日午前8時15分―
B29・エノラゲイ号から投下されたウラニウム型原爆は、広島上空580mで炸裂、約14万人の命を奪った。
人類史上唯一、原爆という大量破壊兵器を実戦で使用したアメリカ軍。
彼らは、なぜ敗色濃厚だった日本にあえて原爆が投下したのか?
エノラゲイの元機長ティベッツは、2年前、我々の取材にこう答えた。
「人類にとって原爆投下が最善の道だった。我々は殺戮を止めたのだ。」
しかし、投下成功を知ったトルーマン大統領はその喜びをこう表現している。
「我々は20億ドル以上の費用を使って、“史上最大の科学的ギャンブル”を行い、勝利をおさめたのだ。」
この言葉に象徴されるように、原爆投下は核という最新兵器の人体実験という要素がきわめて強く、実際、米国エネルギー省の公文書で、広島・長崎は 核実験場に分類されている。
その後、米ソ冷戦を背景に核開発競争は泥沼化し、核実験の総数は1998年までで2057回、爆発エネルギーは広島原爆の20万倍を超えた。
そして今、北朝鮮が核実験強行の姿勢を示し、イランが脱退すればNPT (核不拡散条約)体制自体が内部から崩壊しかねない。
60回目の原爆記念日の翌日、広島平和公園からの生中継を交えながら、 この恐るべき無差別兵器の非人道性を徹底検証し、もう一度、このメッセージを発信したい。
“NO MORE HIROSHIMA!”
<第1部> 第五福竜丸51年目の真実
広島、長崎に続く第三の被曝者は太平洋で操業中のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員たちであった。彼らは「死の灰」を浴びたのである。
1954年3月1日、マーシャル諸島を地獄絵と変えた水爆「ブラボー」。
火の玉の直径は40km、爆発の威力は15メガトン。
それは、広島型原爆の約1000倍に上る20世紀最大の地球環境汚染であった。
「西から太陽がはい上がってきた」「雨に混じって白い粉が降り積もった」
水爆の放射能は、第五福竜丸乗組員やマーシャル島民を襲い、被曝の苦しみは21世紀の今も、子孫の世代に渡って続いている。
一体、なぜ彼らは被曝しなければならなかったのか?
そして、なぜ被曝という事実そのものさえ隠蔽されたのか?
あれから半世紀、情報公開されたアメリカの極秘文書や日本の外交史料が恐るべき真相を語り始めた。「マーシャル島民は被曝者の最も完全なデータセット」であり、 「ある種の不幸な実験が第五福竜丸乗組員に対して行われた」と・・・
<第2部> 知られざるヒバクシャたち
米国立公文書館で発見された1952年の機密文書にこんな記述がある。
「米軍医療委員会は核戦争の調査に人体を利用する事を満場一致で承認した」
そして、放射能の影響を調べる「実験材料」は福竜丸乗組員やマーシャル島民ばかりではなかった。核開発競争の中で、アメリカは自国民の被曝さえも厭わなかったのだ!
長崎原爆に使われたプルトニウムが製造されたワシントン州ハンフォードでは水蒸気に混ぜた放射能が町中に散布された。墓地には乳児用の小さな墓標が数百並んでいる。
1956年にビキニなどで行われた水爆実験「レッドウィング作戦」では 米空軍パイロットがキノコ雲の中を横断飛行し、ネバダ州の核実験場で8回にわたって行われた「砂漠の岩作戦」では、核爆発直後に爆心に向かって部隊を進攻させた。
人体にプルトニウムを注射する実験を指揮していたフリーデル博士は、 原爆投下直後の広島に入り、被曝者の生物学的反応などを徹底調査している。 米軍の科学者たちにとっては、広島や長崎さえも「人間が死に至る放射線量」のデータを収集する千載一遇の実験場に過ぎなかったのである。
※放送内容が変更になる場合があります。
http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/