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Yahoo!ニュースからhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050804-00000058-mai-sociより引用
<広島原爆>感光レントゲンフィルム 60年ぶり発見
原爆投下による放射線で感光し、真っ黒になった広島赤十字病院の大判レントゲンフィルムが、旧理化学研究所(東京都文京区)の仁科芳雄博士の研究室から見つかった。大本営の現地調査に同行した仁科博士の指示で現像され、爆弾を原爆と断定する決め手となったが、その後、約60年間、行方不明となっていた。原爆投下直後の状況を物語る貴重な資料として注目される。【中村牧生】
研究室は「仁科記念財団」が当時のまま保存していたが、昨年6月に建物の耐震工事を実施。仁科研OBで理研元副理事長の中根良平さん(84)が資料を整理したところ、古新聞にくるまれビニール袋に入ったレントゲンフィルム7枚と撮影用の撮り枠を見つけたという。
一緒に出てきたリストから、7枚は広島赤十字病院(爆心から1.5キロ)で見つかったフィルムが5枚、陸軍三滝分院(同2.5キロ)が1枚、共済病院(同3.5キロ)が1枚。広島赤十字病院2階のレントゲン撮影室の保管庫にあった大判の1枚(約35センチ、横が約27.5センチ)だけが真っ黒に感光し、残り6枚はほとんど感光していなかった。
仁科博士は原爆投下から2日後の1945年8月8日、大本営調査団と一緒に広島入り。「レントゲンフィルムを現像してみれば(原爆かどうか)分かる」と指示。近くの病院にあった新品のレントゲンフィルムを次々に現像させた。
広島赤十字病院は爆心地から最も近く、地下室の倉庫や亜鉛製の箱に入っていたものは感光していなかったが、撮り枠にはめられ保管庫にあったフィルムだけが強く感光していたことが報告書に記されている。
仁科博士は原爆による放射線が、コンクリート壁と保管庫の木製ドアを透過し、フィルムを感光させたと判断。調査団が8月10日に開いた陸海軍合同の研究会議で「本爆弾は原子爆弾ナリト認ム」と結論を出す根拠となった。放射線で感光した広島赤十字病院のフィルムは、広島平和記念資料館にも小さく切り取ったものが二つ保管されている。
中根さんは「当時は最後まで『落ちたのは原爆ではない』と主張する軍人がいたことを考えれば、証拠となったレントゲンフィルムは歴史的な価値がある。敗戦で解散になった広島の陸軍学校が送って寄こし、仁科先生が保管していたのではないか」と話している。
(毎日新聞) - 8月4日15時6分更新