★阿修羅♪ > 戦争72 > 944.html
 ★阿修羅♪
ロンドン7・21 小麦粉爆弾だったと容疑者が・・(イタリア報道)
http://www.asyura2.com/0505/war72/msg/944.html
投稿者 kamenoko 日時 2005 年 8 月 04 日 05:43:11: pabqsWuV.mDlg
 

7月21日シェパーズ・ブッシュ攻撃未遂の実行犯とされ、ロンドン、フランスを
経由してローマ郊外のアパートにたどり着いたところをイタリア警察に拘束された
ハムディ・イーザック(Hamdi Issac/イギリスの報道ではオスマン・フセイン、
短髪のエチオピア人青年)をめぐり

  参考 
 英21日テロ 実行4人全員逮捕 東アフリカ系「なぜ」 【産経新聞】
 http://www.asyura2.com/0505/news1/msg/456.html
 投稿者 愚民党 日時 2005 年 7 月 31 日

直後のイタリアは、逃亡中にかけられた携帯電話記録とアパートで発見された
書類から、”アルカイダの東アフリカネットワークに繋がるか?”
     ”サウジと直結するか?”
とイスラム国際テロリストネットワーク路線と
     ”兄弟でイタリアの攻撃準備?”
との報道が続き、コリエレ紙も「偉大なソマリア、アルカイダ’細胞’」という
記事まで掲載しました。
http://www.corriere.it/Primo_Piano/Esteri/2005/07_Luglio/30/somalia.shtml

同時に、イーザック容疑者の即時引渡しを要求するイギリスと、国内に潜伏する
国際テロネットワークの捜査優先を主張するイタリアとの間に、緊張が芽生えて
います。 

そのような状況下で

以下、8月3日付で最大読者数を持つ全国日刊紙コリエレ・デッラ・セーラ
(ベルルスコーニ首相傘下)に掲載された記事です。
 
・・・・・・・・
http://www.corriere.it/Primo_Piano/Esteri/2005/08_Agosto/03/paura.shtml

「イギリスの刑務所が怖い」

弁護士を通じて独房から懇願。 「私がここ(イタリア)に居続けられるために
全力を尽くして欲しい。私は誰も殺していない。デモ行為だった」

ローマ発 -恐怖。ハムディ・イーザックが弁護士と話す際に繰り返される表現だ。
「イギリスの戻るのが怖い。イギリスの刑務所で蒙るであろうことが怖い。一生
監獄で暮らすのが怖い」。 彼の不安は弁護士への懇願に変わった。「お願いだ、
私がここ(イタリア)に居続けられるために全力を尽くして欲しい」。 
昨日レビッビアの刑務所の面会室で3時間以上話し合われたテーブルの一方には、
アントニエッタ・ソネッサ(Antonietta Sonnessa弁護士)、もう一方にはロンドン
惨劇の2週間後、7月21日で行動を起こしたテロリスト。彼らは英国が堅固に繰り返す
犯罪者引渡し要求に対する”NO”の司法措置について話し合った。地下鉄爆破
実行犯、果たした役割を軽減するゲームだ。 「人を殺したことなど一度もないし、
自爆攻撃をしたいなどとは夢にも思ったことはない。私は自分の人生に納得して
おり、死ぬなど考えたことはない。そんな考えただけでも体が震える。あれは
デモ行為だったと何度も繰り返している。誓って言う。袋には雷管も入っていたが、
中身は小麦粉だった。爆発させて周囲を驚かすはずだった。それだけ、他に何も
していない」。

 英国警察は信じない。イタリア司法も信じていない。
爆弾が爆薬、釘、ガラス片で構成されていたと公表したスコットランドヤードは、
「あの爆弾は新たな攻撃に使われる惧れがあった」とみている。 ローマは鑑定
結果を待っている。 一方警察は、電話記録と友人・身内宅から押収した書類の
調査に取り掛かっている。 逃亡中に希望を求めた糸を遡り、有益な情報と彼の
真の目的を探るために。

 イーザックの逃亡は、7月25日ウォータルー駅から
フランス行きの列車内ではよく眠り、乗客に紛れて国境検問を突破。(ロンドン
爆破事件後)シェンゲン条約を保留にしたフランスは、国境検問を復活させている。
最初の電話はパリからで −自分の電話が既に追跡対象になっていたとは、夢にも
思わなかったに違いない -ウディネ(Udine)にあてたものだった。その後
ブレッシャ(Brescia 北イタリア)の親戚と知人に何本かと、サウジアラビアの
女性に1本。それを傍受した警察は、数年前からローマに住む弟レムジィ(Remzi)
の電話番号を求めていると予想した。 数時間後にそれを手に入れたハムディ・
イーザックは、到着を告げる。ミラノ・ボローニャを経由する昼夜の旅の後、
首都(ローマ)に到着した。

 「それは旅の中継点でしか過ぎなかったのだ
捕まったらどうなるかを考えたら怖くなり、エチオピアに帰るつもりだった」。
自供は傍受された電話会話にもあった。「イタリアに寄ってからエチオピアに
行く」。 Nocs、Digos(警察の特別部隊と機動隊)の隊員が、翌日レムジィの
アパートに潜んでいた彼を捕まえた。 ブリキ缶から発見された贋パスポート、
携帯電話、書類によって手錠をかけられ刑務所に送られた。兄弟たち、ラムジィと
ブレッシャ在住のフェーティ(Fethi )。 フェーティいわく「酷すぎる。
(ハムディとは)10年以上も音信不通なのに」。 レジーナ・コエリ刑務所に
いるレムジィも、何が起きたか理解できずにいるようだ。 ソネッサ弁護士に
「末の弟ハムディを大切に思っている。やつはテロリストなんかじゃない、
もちろん私も、だから助けたんだ。私がイスラム教徒であるのは真実だけれど、
過激派を憎んでいる。肌が黒いというだけで刑務所で一生過ごすなんて、あまりに
不当ではないか」。

 ハムディは独房に隔離されている
簡易ベッドの上で、よく眠り、ほとんど食べず、祈りを捧げる日々を送っている。
テレビ、本、新聞は禁じられ、弁護士を除く外部との接触は一切無しで。彼女の
訪問の時だけ、瞳が輝く。「あなたが私を助けてくれると知っているから」。
彼女は自分の判断による影響力を行使しないという事実が、昨日イーザック両兄弟
の弁護士選びに通じた。彼女を全面的に信頼しているようである。 防御作戦を
練る必要がある。引渡しを遅らせるためにも、(*イタリア政府が)ローマ予審判事
に要求した国際テロリスト再調査訴訟(*ロンドン爆破後施行に移された)を
取り下げるためにも。 弁護士はことばを選び、「我々は、英国政府への引渡しを
避けるための全ての可能性を調べています。イーザックはここ(イタリア)で
公平な裁判を受け、彼の行動が本当にデモンストレーションだったと証明できると
信じています」。 実行犯容疑者は、7月7日に数十名の犠牲者を出した”細胞”
との関係を最初から否定しており、「ロンドンに組織があるのは事実でしょう。
しかし私は構成員ではない」と明言し、「間違いを犯した。もし時間を遡れる
ものなら、絶対に同じ過ちを繰り返さない」。 英国警察はそれも信じていない。
彼らはイタリア司法すらも信じていないようだから。

Fiorenza Sarzanini
03 agosto 2005 8月3日

 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

▲このページのTOPへ       HOME > 戦争72掲示板



  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。