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(回答先: [AML 転載] 実事求是: チベット問題 ダライ・ラマ CIA (1) 投稿者 木田貴常 日時 2005 年 8 月 04 日 02:34:10)
(引用つづき)
[AML 2765] 実事求是: チベット問題 ダライ・ラマ CIA (2)
IKEDA Toru ikedatoru at online.de
2005年 8月 1日 (月) 05:47:35 JST
http://list.jca.apc.org/public/aml/2005-August/002670.html
(注)マオの発言のコンテクストを調べればぼくの解釈がそれなりに妥当性をもつことがお分かりになるでしょう。このテーゼは1927年の「在緊急会議上的発言」(http://www2.big.or.jp/~yabuki/soso/so84102.htm)が出典です。くわしくはサイトを見て欲しいのですが、このテーゼは国民党(クンミンタン)が北伐を遂行しているただなかで発せられたのです。
ご存知のように、中華民国(人民共和国ではない)というナショナルステートの創設にまつわる革命軍の進軍の途上で、国民党の蒋介石(シャン・シェンチー)は共産党を粛清したわけですが(1927年の第一次国共合作の破綻)、そうした結果をもたらした当時の共産党指導部の政策(都市蜂起路線)の失敗を総括して、そうした失敗の教訓として打ち出されたのが、さきのマオの発言なのです。
コンテクストからすると、だからこの発言は、「国民党がやったようにこれから俺たちもやるぞ」といっているわけです。とすれば省港さまの理解によれば、この教訓を与えてくれた先生にあたる本家本元の国民党の北伐も、「ワルーイ軍閥を懲罰する」という大義名分に名を借りた軍閥という「地方政権」に対する「軍国主義的侵略行為」であり、三民主義も軍国主義思想とならざるをえず(「五族共和論」(1912)によりチベットの独立を否定したのは孫文自身でしたよね)、ゆえにいまだに三民主義を国是とする台湾も覇権主義的軍国主義国家ということになりかねません(ふたたび「大陸反攻」か?)。
あるいは形式的にいえば、「鉄砲から政権が生まれる」というテーゼを真とし、軍国主義思想の端的な表明と解釈したうえで、このテーゼを現実の歴史的事象へと適用すると、マオの工農紅軍のみならず、CIAが援助しダライラマ氏に率いられたチベット独立運動のゲリラたちも、上の理由から「軍国主義」的思想の実践となる。国家創設の暴力を実践していたのだから。
で、これでは困るので文章の意味内容を否定して、さきのテーゼを偽とすれば、つまり、CIAに援助されたチベットのゲリラは、外国侵略軍に対する自衛戦争であるゆえに、かかる軍国主義思想とは関係ないと前言を翻すのであれば、マオのテーゼも軍国主義思想を表明したものとは見なせなくなる。八路軍や新四軍により遂行された抗日遊撃戦争も、日帝にたいする民族防衛戦争(同時に農地革命の遂行という「革命戦争」でもありましたが)という性格を共有していたわけですから。まあ思考ゲームを楽しむのはこれくらいにしておきます。
問題は論の形式を整えることではないでしょうから。要するにぼくが言いたいのは、このテーゼのみをもちだして、このテーゼを理由として、中共をのみ軍国主義国家と断じる判断に対して、ぼくは与し得ないことが言いたいだけです。
その検証のためには、建国以前、マオの統治時代、改革開放路線以降の各時代における同テーゼ、あるいはマオやその他の指導者の発言と、彼らの諸政策との関連、さらには両者の絡み合いを通じたテーゼの意味・用法の変遷を、緻密に検証する必要があるでしょう。
なおここでマオと中国革命、さらに建国後の政策に関するぼくの理解を云々する場ではないですが、あえて一言付け加えれば、新中国建国までの、いわゆる農村根拠地路線と対になっている遊撃革命戦争の実践、ならびにその理論的業績をぼくは高く評価するものです。
が、それは先のテーゼの「文字通りの理解」から、マオ自身がかぎりなく離れた実践を遂行したから、つまり、国家の収奪機構とその暴力装置の外部で、きわめて特異な人民の自己統治機構を遊撃戦争と農地革命の結合形態として創出したからです。もうすこしくわしく言えば、軍国主義を軍事を国家の最重要課題とする思想・政策と定義すれば(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E5%9B%BD%E4%B8%BB%E7%BE%A9)、この特異な「共産主義」は軍国主義ではありえないことになります、なぜならそれは逆に、国家の捕獲装置から逸脱した武装組織を農民の生産形態の変革へと内在化させ、敵という概念を土地の防衛という枠内に限定しつつその効果として反射的に前者を「脱軍事化」したからです。
遊撃戦争の要諦が、軍事上、個々の戦闘の勝利ではなく、持久戦であった、つまり敵が自滅することを待つ戦略だったことをここで想起すべきでしょう。(実際問題としていえば、そもそも紅軍にはまともな武器さえなかった事情もこうした戦略を生み出す背景としてありますが)。ともかく、マオの発明したこの制度を理解せずしては、ひるがえって新中国建国後の体制とその失政、たとえばチベット問題に見られる民族問題のみならず、大躍進や文化大革命の発動も、さらには現在の人民解放軍の実態とその変化も理解することができないでしょう。
チベット亡命政府が武装闘争路線の行き詰まりから独立要求をとりさげ、中国国内における完全自治へと路線をシフトさせたのは80年代の半以降です。それと相即して、西欧のオリエンタリズムを逆手にとったプロパガンダ(私見では、文化を共同主観的な価値として自明化・フェティッシュ化したうえで、政治的言説として文化を語る者は、すべからく「反動」です)と、非武装平和主義路線へのシフトに着手しはじというわけでしょう。そしてこうした路線転換の背景には、文革後の中共の政治状況(改革開放路線)の変化のみならず、米帝との関係の変化も大きかったことは確実でしょうね。
ダライ・ラマ氏個人についていえば、周知のように同氏は89年にノーベル《平和賞》を受賞しました。この7月ドイツのヘッセン州も《平和賞》をあげたそうです(http://62.93.212.24/website/rubriken/nachrichten/index.jsp?rubrik=5710&key=standard_document_8177598
ちなみにダライ・ラマ14世とツーショットで写っているヘッセン州首相のコッホはCDU(キリスト教民主同盟)所属の政治家です。で、CDUとは、たとえば昨年、「ドイツ在住のアラブ系外国人がドイツ語を覚えようとしないのは愛国心が足りないからだ」とドイツ版愛国主義教育を主張して世論の顰蹙を買った右翼政党であることは周知の通りです)。
まあ、武装闘争にかかわったという理由でノーベル《平和賞》をやるなとは申しませんが(イスラエルからみれば「テロリストの親玉」であるアラファトや、「民族の槍」の創設にかかわった南アフリカのマンデラももらっているわけだから)、政治の領域とことなる精神的価値の存在についてダライ・ラマ氏が云々したいのであれば、精神の領域を論ずる前に、まず多大の物質的な犠牲をともなった武装闘争の総括を公的にやってからにしてほしいものです。
あの中共でさえ文革を歴史決議で自己批判したわけですから。でなければ、そんなお説教は政治的、倫理的にきわめて欺瞞的な行為となることでしょう。
なお省港さまはチベット問題にかんして関心をお持ちになられているようですが、
http://list.jca.apc.org/public/aml/2005-June/002078.html
http://list.jca.apc.org/public/aml/2005-June/002091.html
事実認識に重大な欠落があることは、同問題の素人であるぼくにも、ネットでちょっとしらべてみただけで判明したしだいです。
そこで、以下にぼくが調べた書誌情報、資料を添付しておきます。どこが誤りか指摘するのは控えます。なお中国人や韓国人と議論するのも結構ですが、基本的事実を知ったうえで政治的な決断を下さなければ、意図せずしてチベット亡命政府の走狗になるだけでしょうし、《軍国主義者》たるマオも「調査なくして発言権なし」と申しているとおり、かの国々の人たちとの議論がかみ合うことも決してないでしょう。
The Making of Modern Tibet
http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/1563247135/qid=1122725013/sr=1-1/ref=sr_1_1/002-3078814-4851224?v=glance&s=books
もっとも信頼できるチベット通史のひとつ。なおCIAのチベット問題に対する介入の記述もちゃんとあるようです。邦訳もあります。
同書の邦訳書評として矢吹晋氏のそれを以下に貼り付けて起きます。
『現代チベットの歩み』八巻佳子訳、東方書店 http://www2.big.or.jp/~yabuki/doc/tmomt.html
海外の中国人サイトでのチベット問題にまつわる記事のサイト
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~TIBET/CND00.htm
“一国二制度”−チベット問題解決の鍵
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~TIBET/cnd20.htm
−自由アジア放送チベット部主任ンガポ・ジグメ氏単独インタビュー−
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~TIBET/cnd17.htm
中共とダライ・ラマとの対話に寄せて
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~TIBET/cnd19.htm
曹長青、ダライ・ラマに聞く
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~TIBET/cnd14.htm
反亡命政府系チベット紹介サイト(英語)
http://members.tripod.com/~journeyeast/tibet.html
同サイトにおける本の紹介
http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_reply?reply=23119
別の記事二本
The Dalai Lama's hidden past
http://www.greenleft.org.au/back/1996/248/248p23.htm
Friendly Feudalism: The Tibet Myth by
Michael Parenti
http://www.dissidentvoice.org/Articles9/Parenti_Tibet.htm#n27
中国の少数民族教育にかんする包括的な日本語研究書
岡本雅享、『中国の少数民族教育と言語政策』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/478450379X/249-2303990-9549152
同書は博士論文が元になってます。その要旨です。
http://www.soc.hit-u.ac.jp/thesis/doctor/99/exam/okamoto.html
なお、チベット問題がこれほど複雑化したのにたいして、中華民国あるいは人民共和国が成立した際、他の各少数民族においてもチベット問題と同様の問題が発生しなかったのはなぜか(?)、こうした素朴な疑問に対してある程度その回答になっていると思われるのが、以下のきわめて野心的な研究書です。
平野聡、『清帝国とチベット問題―多民族統合の成立と瓦解』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4815804877/qid=1122732158/sr=1-4/ref=sr_1_10_4/249-2303990-9549152
同書は昨年サントリー学術賞を受賞したのですが、その書評です。
http://www.suntory.co.jp/sfnd/gakugei/si_reki0053.html
念のために確認しておけば、中共の支配に問題がないとぼくは言いたいのではありません。
Amnesty Internationalのチベット関連事項
http://www.amnesty.org/results/is/eng?queryType=0&searchIn=0&query=Tibet&start=1&num=10&max=25&sortBy=
しかしそれは、チベット亡命政府や米帝と、その思想的走狗連中が主張するのとは異なる質の問題であろう、ということだけは言っておきます。ただそれを論じるのも省略。