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8月3日―メディアを創る
核軍縮と日本
原爆記念日がもうすぐやってくる。最近の新聞から、核軍縮と日本をめぐる興味深い記事を見つけたので紹介したい。いずれも深く考えさせられる記事だ。
米国の核の傘
「米国の核の傘」に守られているという考えが、実は米国の、「日本核武装」に対する警戒、から生まれたものである事を、8月1日付の朝日新聞は教えてくれている。
米国民間研究機関ナショナル・セキュアリティー・アーカイブ(NSA)が入手した米国務省公文書によれば、日本の二人の首相が「核武装論」にふれる発言を米国高官にしたことが米国の警戒感を刺激し、日本の核武装を抑え込むという観点から、65年1月のジョンソン・佐藤会談で初めてジョンソン大統領より「核の傘」の提供が明言されたというのだ。
すなわち、61年11月箱根で開かれた日米貿易経済合同委員会でのサシの会談で池田首相はラスク米国務長官に、
「日本にも核武装が必要だとする論者がおり、それは自分の閣内にもいる」
と漏らした。ラスクは核拡散に米国が反対であると必死に説得した。その後64年12月には、佐藤首相がライシャワー大使にこう語った、
「ウイルソン英首相は他人が核兵器を持てば自分も持つのは常識だと言ったが、私も同じ考えだ」
これについてライシャワー大使は次のような電報をワシントンに打電している、
「佐藤が池田よりも慎重さに欠けるとの評判どおりだ・・・彼が危険なコースに陥らないよう、池田にした以上の教育が必要だ」
これを受けたラスク国務長官は「これ以上の核拡散」に反対すべきであることをジョンソン大統領に進言、65年1月12日、ホワイトハウスでジョンソン大統領の佐藤首相に対する次の発言に至った。
「日本は核兵器を持たず、われわれは持っているので、日本が防衛の為に核抑止を必要とするなら、米国は約束を守ってそれを提供する」
佐藤は「核武装論」などなかったかのように、次のとおりそれを受け入れた。
「それが聞きたいと思っていたところだ」
核政策の不在を認めた栗山元外務次官
同じく8月1日付の朝日新聞で、元外務事務次官の栗山尚一氏が、インタビューに答えて次のように述べている。
問: 「核の傘」に依存する一方で、「核廃絶」を提唱する。さらに原子力エネルギーを利用する。これらを統合する基本的な核政策はあるのですか。
答: 私の知る限り、残念ながら、そういうものは無かったと思いますね。
問: 国民の反核感情は強いのに、外国からは日本の「核武装」を懸念する声があ
る。このギャップをどう見ますか。
答: 大多数の日本人は平和主義を真剣かつ大事なものと思っているが、その中味についてはあまり議論されてこなかった。外から見ると、本物かなと思われても仕方のないところがあるのは事実だ。ナショナリズムの動きなどと重なると日本の平和主義はもろいものだというふうに見られるところがある。
問: 北朝鮮の核問題が深刻化し、米国が新核戦略を打ち出している今、日本は総合的な核政策を持つ必要があるのでは。
答: 私も問題意識はあるが、明快な答えは直ちには出てこない。漠とした考え方で言うと、今の米国と日本の考え方は違うでしょう。究極的な核絶廃をめざす。理想主義的だと言われても、それが基本的立場
日本の外交を形作る外務官僚のトップであった人物が、その職を辞した後になって、日本には総合的な核政策はなかったと公言する。何故核政策を作ろうと努力しなかったのか。あれほど対米追従外交を率先した人物が、外務省を辞めた今になって、米国と日本とは考え方が違うと平然と言う。どうしてそれを実践しなかったのか。やりきれない思いだ。
NPT再検討会議での日米両大使のやりとり
5年ぶりに開かれた今年5月の国連本部での核不拡散条約(NPT)再検討会議は、合意文書どころか議長声明すらまとめることが出来ず、完全な失敗に終わった。
最大の原因は、自らの核軍縮は棚に上げて、核不拡散にこだわり続けた米国の姿勢にあった。その米国に協力的態度を求めたわが大使の要請を一顧だにしなかった米国の大使。そのやりとりを8月3日の朝日新聞が次のように報告している。これでも日本は米国を最良の同盟国といい続けるのだろうか。
・・・日本の外務省は、日本が長年取り組んできた包括的核軍縮条約(CTBT)の早期発効への環境づくりに向けて、批准していないすべての国、特に発効要件国である11カ国に対し、可能な限り早く批准するように促した。そうした試みを表舞台でくじけさせたのが、CTBTに反対するブッシュ政権であった。
・・・会議がようやく実質討議に入った後、サンダース米軍縮大使が核軍縮問題を扱う第一委員会で演説し、「米国はCTBTについては支持しないし、加盟もしない」と断言した。
・・・日本の美根慶樹軍縮大使はサンダース大使にCTBTの発効促進の文言を認めるよう何度も説得を試みた。サンダース大使は「ワシントンと相談しなければならない」、「検討する」を繰り返したが、最後に日本側に伝えてきた言葉は、「CTBTは無理だ」だった。
・・・美根大使はサンダース大使とじっくり話し合うため、約束を取り付け、一人で会談場所の国連総会場へ向かった。だが、約束の場所にサンダース大使はいつまで待っても現れなかった。美根大使は肩を落として総会場を後にした。
再検討会議をふり返り外務省幹部はこう語る。
「そもそもサンダース大使には当事者能力がなかったし、米国には合意をまとめようという危機感はなかった」
何のために再検討会議に出席したのか。
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