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「東京新聞」7/27夕刊(文化欄より)
「米軍を悩ます2つの死」 米谷ふみ子(作家・米国在住)
─味方の流れ弾と上官殺し─
ベトナム戦争の時に遣いだした言葉らしいがフレンドリー・ファイアという言葉がアメリカにはある。「味方の流れ弾」という訳が適当かどうかは知らないが、味方の弾に当たって死ぬ、負傷することなのである。
有名な元フットボール選手がアフガニスタンで戦死した。彼は立派なキャリアを捨てて、「九月十一日」が起こったために国のために戦うと兵隊に応募した。栄誉ある戦死であるとペンタゴン(米国防総省)がものすごく褒めて発表した。それが最近の新聞報道によると、彼の母親がどんな状況のもとで戦死したのか詳しく知りたいと弁護士を立ててペンタゴンに問いつめたところ、フレンドリー・ファイアでやられたと分かった。それでもこれは栄誉である戦死として扱うとペンタゴンが言ったいう。
敵の弾であろうが味方の弾であろうが親にとっては死んでしまったらどうにも取り返しがつかないのを、言葉で誤魔化しているにすぎない。親が兵隊に応募するなと言っても政府が愛国を振り翳して若い心をかどわかすので応募する若者も多くいる。
また、最近の新聞記事に「この大佐の死の原因は分からないが、イラクの戦争での最高位の軍人である」と書いてあったのを読んで思い出したことがある。イラク戦争をテーマにしたテレビの討論会で、ラリー・ハイネマンという作家が次のような話をしていたのである。
「最近のイラクの戦線に行かされた兵隊が約束の期間一年より一年半と延ばされているという話を聞くと、あー上官殺しがはじまるなあと僕は思うのだ。僕はベトナム戦争に行ったことがあり、あの時、ずるずると長びいて兵隊たちが上官に腹を立て手榴弾や銃を使って殺したケースが多かったからだ」
「この間うちの家に水道屋が来ていて、修繕しながら突然話し始めた。”僕は湾岸戦争に行ってたんだ。イラクの砂漠に降り立った僕の部隊は誰も銃を持たされていなかった。素手で戦争ができますかね。一体これはどういうことか分かる?”と彼が尋ねた。分からないと言うと、”上官がね、兵卒に銃を渡すとベトナムの時のように殺されるのを怖がって手渡さなかったのさ”と言った」
この話にショックを受けた私は、いつも死因不明という記事を読むと、フレンドリー・ファイアか上官殺しじゃないかと思うようになった。日本の軍隊にもあったのだろうか?第二次大戦の時、どうだったのか?戦友の肉を食べたという「ゆきゆきて、神軍」という映画はみたことがあるが、あの時、兵卒が上官にどういう態度でいたのかと思うことがある。
私の属している反戦グループの人々は八十歳の女性も含めて毎週、ロスアンジェルス東部にある少数民族の多い高校で朝の七時から生徒や親に兵隊にリクルートされない方法を印刷したビラを配っている。私は夜が遅いので朝が早いのには参加できないが、ある日、ラテン系の男子生徒がやってきてビラを奪い取り、捨ててしまったという。
皆驚いていると、どこからかポリスがやって来てその生徒を取り押さえた。平和なデモを乱したという理由だと言った。そこにいた友人がポリスに「その生徒は何も人を傷つけたのでないでしょ。放してあげて」と言って、けりがついたという。
「こういう高校生は兄弟が兵隊に行っていて、解釈に困っているのよ、きっと」と彼女は同情的だった。「でも朝、子供を車で送ってきた親たちは感謝してくれている。高校生の中には、もう兵隊になることが決まっていて、卒業するとすぐ訓練を受けるという女子生徒がニ、三いたわ。もうどうしようもない。兵隊がすむと大学に行けると騙されているのよ。それまでに死ぬかもしれないことは絶対にリクルーターは告げないのだから」
多くの反戦グループがこの運動をつづけているので応募者の数が減り、ペンタゴンが困っていて募集の方法を変えると上院の聴聞会で話しているのを聞いた。兵隊の数が足りないと今戦線にいる兵隊が長期間滞在することになり、また上官殺しが増えることだろう。なんたる皮肉!