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日本の戦後と靖国問題@
臥 龍 通 信 第111号 <2005.06.17発行>
http://www.nakajima-msi.com/mzbox/mz0111.html
日本の外交問題が大きな政治問題化しています。小泉首相や閣僚の発言が外交問題となり、日本の周辺諸国との摩擦も増えています。日本の戦後問題が再び日本の周辺諸国との大きな問題となりつつあります。物騒な時期だからこそ、日本の戦後問題と靖国問題を特集します。
最初は、日本の戦争責任です。第二次世界大戦の戦争責任もありますが、第二次世界大戦以前から継続していたアジアに対する侵略戦争の責任も当然あります。アジアに対する日本侵略戦争で、日本国民は戦争責任についての自国の戦争責任者を処罰し、総括したかというと日本の戦争責任については、現在も曖昧なままです。
アジアに対する戦争責任は、整理するといくつかのパターンがあります。
@当時の国家最高責任者である天皇に戦争責任がある。
A当時の日本のすべての政治指導者に戦争責任がある。
B当時の日本のすべての軍部指導者に戦争責任がある。
C当時の日本のすべての財閥指導者に戦争責任がある。
D当時の日本のすべての日本国民に戦争責任がある。
E当時の戦争に従事した日本のすべての軍人・軍関係者に戦争責任がある。
F戦後に戦犯として東京裁判で裁かれたA級戦犯に戦争責任がある。
G戦後に戦犯として東京裁判で裁かれたA、B、C、戦犯に戦争責任がある。
H当時の日本に侵略された国家にすべての戦争責任がある。
I当時の日本に侵略戦争の戦争責任は存在しない。
侵略されたアジア国家の国民から考えれば、HとIの選択はありえず、@からGまでのすべてに戦争責任を要求するでしょう。私が中国人や韓国人であれば、軍国主義の実行者の軍人も軍国主義に加担した日本の政府指導者も国民もすべてに戦争責任があると考えます。侵略を受けた国民から見れば、日本という国家のすべてが戦争責任者です。
一方、日本人は兵士として国家に徴兵されて、国家の命令で戦争に従事し戦った国民と戦争に従事しなかった一般国民(非戦闘員)は、国家の命令で戦争に加担しただけで、戦争責任はないと感じています。しかし、日本人が戦争責任を国家の責任とするならば、国家の戦争責任者とはいったい誰なのでしょう。また、日本に侵略された戦争被害国から見れば、戦争に加担した多くの日本国民も戦争責任者と考えるのは当然のことです。
日本と日本に侵略された周辺諸国は、戦争責任については国民感情ではなく政治的な妥協の解決として、基本的には日本国民全体の@からGではなく、戦犯のGだけを戦争責任者と合意しています。特に責任があったA級戦犯には日本の戦争責任をすべて負わせることに日本は同意しました。まさに、国家間の政治的な妥協によって、中国や韓国は日本国民全体に対する戦争責任追及をあきらめ、日本国民全体は戦犯に戦争責任を負わせて、日本国民全体の戦争責任は許されることになりました。
今になって、日本が政治的に「戦犯に戦争責任はない。」とGの戦争責任を否定する発言したら、日本の戦争責任の合意はなくなり、日本に戦争責任者は存在せず、アジアに対する戦争責任は@からGまでのどれが戦争責任者であるのかを再度アジアと協議しなければならなくなります。侵略戦争の加害者である日本の戦争責任者が存在しないなど、被害者のアジアは決して容認しないし、日本国民全体に対する国民個人の戦争責任の追及が始まりかねません。日本国民がどこに従軍して何人の中国人を殺したかを問われるなど、いまさら日本人個人の殺人者追及が始まりかねません。戦犯を政治的に犠牲にしてしまった日本人の思いは理解しますが、日本国民には政治的に戦争責任はないと中国や韓国から言われたからといって、戦犯にまで戦争責任はないと戦争責任を許された日本人が言ってしまっては日本の戦争犯罪の全否定になり、日本国民全体の個人が戦争責任を追及されます。
日本人は中国や韓国から日本国民には戦争責任がないと政治的妥協で言われても、@からGまでのすべての日本国民に戦争責任があると考えるべきでした。問題は日本国民の戦争犯罪人の罪の追及と度合いの問題がありましたが、日本人は日本人の戦争犯罪を自らが裁き、総括しませんでした。
「武力による侵略戦争で領土拡大する国家行為は間違いである。」と日本が言うためには、「武力による侵略戦争を実行した日本の戦争責任者の処罰」はアジアや世界に対しても必要不可欠なことでした。日本の侵略戦争の「A級戦犯は戦争犯罪人でないし、政治家も軍人も国民も日本人全体に戦争責任者は存在しない。」と言うことは、「武力による侵略戦争で領土拡大した日本の行為は間違いではないし、責任を追及されることでもない。」と宣言するようなものです。領土侵略の紛争理由を日本が作り出し、戦争を仕掛けて勝っては領土拡大を繰り返した日本の行為が間違いではないと日本が宣言すれば、「一方的な戦争行為による領土拡大は当然のことである。」と認めることになり、21世紀は日本に厳しい時代になるかもしれません。中国と韓国の連合した挑発と紛争が戦争に発展して、勝たなければ領土を取られるということが当然ということになります。新たな戦争の始まりです。日本人は徴兵されて、中国や韓国と現実的に戦う覚悟があるのでしょうか。中国や韓国はすでに徴兵と戦死の覚悟がありますが、日本人に徴兵と戦死の覚悟があるのかといえば、日本政府に国民が強硬姿勢を要求しても戦争になれば自分が徴兵されて戦い戦死する覚悟がありません。日本は過去に、勝ち続けるアジアでの戦いに日本国民は節度を忘れ、平和に対する政治的妥協という道を閉ざしました。勝ち続けた日本国民の自尊心が米国との妥協を拒否したのです。米国にまで勝てるという日本国民の妄想は米国との政治的妥協を拒否して、第二次世界大戦で大きな国民的被害を生み出しました。政治的妥協を容認しない日本国民のナショナリズムがどれだけ政治家を追い詰め、日本国民を滅びの歴史に追い込んだかを日本人はいまだに反省していません。当時の政治家や軍部は自己保全のためにも日本国民が熱狂する偽りの戦争勝利を繰り返すしかなかったのです。中国や韓国との政治的妥協は、21世紀の日本の平和と徴兵制阻止のためにも簡単に拒否してはいけないと感じます。今の日本に「過去の復讐戦に湧き上がる中国と韓国の軍隊」に対抗できる武力はありません。日本人は徴兵も嫌だし、死にたくないから米国の軍隊に代わりに戦って死んでくださいといっても、米国も簡単に日本の代わりに中国や韓国と戦ってはくれないでしょう。
さて、日本の戦争犯罪の責任を冷静に考えれば、日本の戦争責任は第二次世界大戦の戦争責任だけではなく、日清戦争(1894年)から始まる日本のアジア侵略の戦争責任全体に及んでいると考えられます。中国や韓国が問題とする靖国問題ですが、Gの第二次世界大戦の戦犯でアジアに対する戦争責任だけで解決するのではなく、本来はもっと長い期間の戦争責任が問題となるはずですが、中国や韓国との合意では戦争責任は満州事変から第二次世界大戦の戦争責任と戦犯に限られています。日本の50年以上のアジア侵略戦争の戦争責任が1928年以降の満州事変から第二次世界大戦(1945年)までの戦犯に限定されたのは、まさに日本と連合軍の政治的な妥協でした。日本には有難い妥協ですが、今になって妥協した有利な条件を、戦争犯罪人は日本に存在しないと再び日本人全体を戦争責任者にしてしまうことは、現実的にも政治的にも愚かな選択です。
アジアに対する戦争犯罪の実行者はEの侵略戦争に従事した軍人と軍関係者で、命令者は@の天皇とAの政治指導者とBの軍部指導者です。協力者はCの財閥指導者とDの日本国民全体です。日本の侵略戦争の実行者も命令者も協力者も相応の裁きを受けるべきでしたが、連合軍や周辺諸国との政治的妥協というGの戦犯を犠牲に、日本国民は戦争責任を追及されることもなく、戦争責任の期間と所在と処罰を曖昧にしてしまいました。平和への政治的妥協を拒否して、戦争による勝利と領土拡大を政府と軍部に要求してきた日本国民は、21世紀もまた政治的妥協よりも徴兵の覚悟もないまま、周辺諸国との対立を激化させて自尊心を満足させるだけの紛争と戦争を選択するのでしょうか。命よりも大事なものがあると戦争を始め、命より大事なものはないと戦争を止める愚かさを日本人はまた繰り返すのでしょうか。
それから、靖国神社にも問題があります。靖国神社は1869年に「靖国招魂社」として作られ、1979年に「靖国神社」になりました。
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