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たむたむのページ
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/index.html
より抜粋引用。
記事は孫引きであり、正式見出しは不明。
新着ニュース(05年01月〜)
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/shinntyaku05.htm
☆ 終戦間際の1945(昭和20)年7月20日、米軍により長岡市左近町に落とされ、4人が犠牲になった模擬原爆の被害を記した「模擬原爆投下地点跡地の碑」が現地に建立され、投下からちょうど60年の05年7月20日、除幕式が行われた。除幕式には遺族や地元住民、森民夫市長らも出席。投下と同時刻の午前8時13分に全員が黙とうし、犠牲者のめい福と世界の平和を祈った(05年07月21日付『新潟日報』)。
☆ 終戦間際、米軍が訓練目的で全国30の都市などに落とした模擬原爆の最初の標的となった福島市で、投下から60年の05年7月20日、犠牲になった斎藤隆夫君=当時(14)=を題材にした芝居「人類の破片」が市民の手で上演された。ヒロシマ、ナガサキにつながる“もう一つの原爆”の悲劇を語り伝える取り組みである。1945年7月20日朝、福島市の田園地帯に模擬原爆が投下された。草取りをしていたが少年死亡し、爆心には約300平方メートルの沼ができ、半径2キロの範囲で住宅の窓ガラスが壊れるなどしたが、新聞は「被害は軽微」とだけ伝え、隆夫君の死は公にされなかった(05年07月21日付『神戸新聞』)。