★阿修羅♪ > 戦争72 > 621.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
同時多発テロ後、世界各地で炭疽菌入りの粉が入ったとおぼしき封筒が多数見つかり大騒ぎになったことは記憶に新しい。
結局、一番被害が多かった米国での炭疽菌騒動ではいまだ真相は闇の中。一部には米国極右の仕業とも言われているが、しかし全容は今だ謎のままである。
ところでその米国での炭疽菌騒動についてはそもそも炭疽菌は米軍研究所に保管されていた物と同一との話があった。
それについては私は米軍の物と断言していた情報ソースが探し出せなかったが、しかし米軍が炭疽菌研究自体を行っていることは事実であろう。たしか疾病管理センターと同等のレベルの陸軍の病原体研究施設がある。
今回はその陸軍の病原体研究と日本軍の731部隊との関わり、そして731部隊での炭疽菌の研究について日本軍戦争犯罪人の調書を抜粋し投稿しようと思う。
『証言・人体実験・731部隊とその周辺』・同文館 より
秦 正 軍医中尉 731部隊で翻訳作業に従事
「私は直接、実験と研究を行ったことはない。部隊の研究会に出席しただけだ」
「その研究会は731部隊隊長北野の主宰で、通常、毎月1回開かれた。」
「1944年12月頃、北野政次隊長、第二部部長碇軍医大佐の指揮の元、安達実験場で六名ほどの愛国者(少なくとも一名はソ連人)を足枷をつけたまま、運んできた車から下ろし、後ろ手にして約20メートル間隔の木柱に縛りつけて、地面にひざまずかせた。飛行機が100ないし200メートルの高さから炭疽菌の細菌弾を投下し、細菌弾の爆発とともに、純粋培養された炭疽菌が散布され、これら愛国者の鼻、喉の粘膜を襲った(研究会でみた映画によって知った)。
数日ないし十数日後、診療部長の永山太郎軍医大佐が、炭疽に感染した愛国者にさまざまな「治療」を行った結果、ついに死亡させた。私が翻訳した「炭疽の二例」の中の治療法は、永山によって実験に使われた」
萩原 英夫 731部隊の最重要人物石井四郎と同郷で731部隊に職工として従事
「石井の本籍は千葉県山武郡千代田村加茂で、同地には計四五戸の家があった。
・・・中略・・・
私の母の実家も加茂で、石井と同村である。(萩原 英夫氏の祖父は村長、石井四郎の家は大地主で血縁関係はないものの両者は親しい関係にあった。萩原 英夫氏の叔父の仲人は石井四郎の実兄でもあった)
・・・中略・・・
1945年四月、私の妻が出産したので、当時石井部隊で働いていた叔父の石井(石井四郎とは血縁関係なし。石井四郎の実兄に仲人を頼んだ人物)が、私の部隊の駐屯地であった老黒山に来て祝ってくれた。
そのときの叔父の話だが、その年の二月に南方から戻った人員を歓迎するため、石井部隊で宴会が開かれた。席上、石井は「いまの状況下で、石井部隊が考えなければならない問題はなにか」
と聞いた。
これに対して、多くの上級幹部が石井部隊の任務を完了させるためにさまざまな意見を述べたが、正解者は一人もいなかった。
最後に、結局石井がみずから回答をだした。彼は「それはほかでもない、部隊の処理の問題だ」といったという。
石井はそのときすでに、日本が負けるのは間違いないとはっきり認めていたのである。培養中の細菌と研究機材、さらに特別班に収容している実験用の人間をどう処理するかについて、彼にはすでに考えがあった。
・・・中略・・・
日本が敗れたとき、石井は建物そのほかすべての研究器材を壊し、隊員を全部連れて真っ先に満州を離れた。しかも彼は(・・・中略・・・)かつて交戦国だったアメリカへ逃げたのである。
・・・中略・・・
つまり、彼は帝国主義分子だったばかりでなく、先の読めるずる賢い人間なのだった。ところがアメリカ帝国主義は昨日の交戦相手、日本の細菌王である石井を処罰しなかっただけでなく、逆に彼をかばい、彼の共犯者である天皇をかばった。そして朝鮮戦争の劣勢を挽回するために石井を起用し、細菌戦争を積極的に行っているのである」