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同文館という出版社からは実に興味深い書籍がいくつか出版されているのをご存知だろうか。
日本軍戦争犯罪人が中国での軍事法廷で供述した証言録である。それも特に悪魔の所業である人体実験専門部隊関東軍731部隊についての証言録である。
731部隊については米国が押収した資料が公開されたことによって研究が進んだと言われているが、最近はその資料を補完する、しかも特に一級の価値があると思われる中国側の731部隊についての資料、戦犯の供述調書も、手にいれることが出来るようになり(近年の中国改革解放の流れの影響で)、さらに部隊の詳細が明らかになりつつある。
同文館はその中国での戦犯の供述調書を三冊ほどの本にまとめ、翻訳出版しているのである。
今回はその731部隊関連戦犯の供述調書の中から、特に重要と思われる証言を抜粋してここに紹介しようと思う。
『証言・人体実験・731部隊とその周辺』同文館より
上田祢太郎
陸軍衛生兵除隊後、請願書を書き、731部隊に入隊。1941年5月から1943年7月まで細菌の
生産及び中国人を使用した人体実験に参加。
「前略・・・・731部隊設立の首謀者および指導者は関東軍軍司令官[軍医部長]梶塚隆二中将と石井四郎少将である。
731部隊設立の目的について石井四郎がつぎのように話すのを聞いた事がある。将来の戦争は必ず科学戦になる。なかでも細菌戦はとくに重要だ。だから、細菌兵器の研究に努めなければならない。科学の発展に国境はないが、研究者は祖国の為にすすんで研究しなければならない、と。
・・・・中略・・・・
また731部隊は天皇裕仁の直接命令によってつくられたものだと聞いたこともある(製菌技術員・伊藤の話)・・・・・後略」
河本大作
関東軍高級参謀・張作霖爆殺の首謀者。のちに満州炭鉱株式会社理事長などを歴任。
「前略・・・・日本軍は1918年11月頃から細菌研究をはじめた。
・・・・中略・・・・
あとで一度中断したが、満州事変勃発後の1933年頃、関東軍副参謀長石原莞爾少将が研究再開を進言し、同時に牡丹江付近で研究と実験をおこなうよう提案した。こうして関東軍によってこの研究がはじめられたのである。
石井四郎がいつ参加したかについては、私は当時軍を離れていたのでわからない。しかし、石井四郎がハルピンで研究所をつくり、研究作業にとりかかったのは1933年以後のことである。
石原莞爾はこのことについてかたく機密を保持していたので、私はよく知らない。ただ、あるとき列車の中で、私が関東軍参謀のとき公主嶺に駐屯していた中馬大尉と出会い、彼の口から牡丹江で細菌研究が極秘にすすめられていることをはじめて知らされた。」
田村良雄
731部隊の少年隊員として細菌製造に従事
「1939 年6月中旬、山口班班長の山口技師から命令されて、班員約六名がノモンハン事件に使用する細菌榴散弾を製造した。私は少年隊教官佐々木大尉の命令により、ほかの二人とともに山口班軍曹の直接指揮のもとで2000個の榴散弾の弾片を製造した。
これらの榴散弾は、山口班の人員が野砲を使って、ノモンハンの前線で発射し、外蒙古とソ連の人民を殺害した。・・・・・後略」