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共産党機関紙、しんぶん赤旗7月21日付に映画評論家山田和夫氏が「なぜ今自衛隊映画か?」
と題して、今年に急増している軍部=自衛隊賛美映画の内幕を語っている。
今年される予定、あるいは既に公開済みの軍部=自衛隊賛美映画は『終戦のローレライ』、『男たちの大和』、『亡国のイージス』、『戦国自衛隊』と異常な数に上っている。
それは一体何が背景にあるのか。以下山田和夫氏の赤旗コラム・映画時評からの一部引用である。
前略・・・
戦後六十年の今年、自衛隊がらみの戦争映画、軍事物が、しかも大作としてつぎつぎと日本映画に登場するのはなぜなのか?
第一に映画というメディアは機械のメカニズムとダイナミズムに抜群の描写力を発揮する。(中略)「本物」の戦車や飛行機や軍艦がでただけで他ジャンルの芸術メディアが及ばぬインパクトで観客に迫る。特に若者の感性は敏感に反応する。(中略)
その「本物」を自衛隊がほとんどタダ同然に貸してくれるのだから、映画会社にとってこんなおいしい話はない。
憲法改悪の動きでタカ派が活気づいているから、自衛隊の宣伝になれば観客動員も見こめる。企業側の思惑は一見単純で、特に政治的意図があるとは見えないが、(中略)防衛庁・自衛隊が協力するからには、必ず協力条件がつく。
例えば『戦国自衛隊1549』(中略)
防衛当局がぐどいほど念を入れたのは「どんな事態になっても、自衛隊は先に発砲しないこと。専守防衛ですから」と。(中略)
実際の画面ではその通り、タイムスリップした自衛隊部隊が、どんなに織田軍の攻撃を受けて、犠牲者が出てもいちいち指揮官に連絡をしないと発砲できない。
観客は「射てばいいじゃないか」と思ってしまう。結局「専守防衛」と戦闘部隊である自衛隊との矛盾を「交戦権」肯定に導くのではないか。
『亡国のイージス』では、
反乱を起したイージス艦が、僚艦に撤退を求める。「撤退しないと艦対艦ミサイルで攻撃する。しかし貴艦は海上自衛隊の規則で先制攻撃はできないから、撤退しか道はない」と通告。僚艦は拒否して反乱イージス艦のミサイル攻撃で爆沈する。「某国」(誰が見ても北朝鮮)工作員は「撃たれる前に撃て。それが戦争の原則だ」とくり返し強調する。ここでも「交戦権」を認めない現憲法第2項の規定が、いかに彼らにとってカセになっているか、カセを外したがっているかが、歴然だ。
『亡国のイージス』の原作は「某国」を「北朝鮮」と明記し、反乱するのは副官ではなくて館長など、さすがに防衛庁は当初協力を拒んだが、石破防衛庁長官の積極的な働きかけと、映画の製作委員会メンバーである産経新聞の斡旋で、シナリオを改訂、防衛庁は一転全面協力に踏み切った。
結局反乱自衛官を含め、最後には国の為「某国」工作員の陰謀とたたかって、愛国心を示す展開が「協力」の決め手であったろう。と同時に自由民主党の憲法「改正」案が何より第九条第二項の改悪、自衛隊の軍への昇格、「交戦権」の事実上の承認を志向しているとき、とりわけ一連の自衛隊映画の社会的な影響と責任は免れまい。