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きまぐれ読書案内 得丸久文
木村元彦著「終わらぬ『民族浄化』 セルビア・モンテネグロ」
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k7/170719.htm
きまぐれ読書案内 木村元彦著「終わらぬ『民族浄化』 セルビア・モンテネ
グロ」
(集英社新書、2005年、700円)
* 現代芸術並みに難解な旧ユーゴスラビアの今
宮嶋茂樹著「空爆されたらサヨウナラ 戦場コソボ、決死の撮影記」(クレ
スト新社、1999年、1600円)は、1年ちょっと前に、近所のブックオフの105円
コーナーで偶然見つけて読んだ。(宮嶋さん、ごめんね、印税の足しにならな
くて)当時、私は、宮嶋の名前を知らなかったので、まったく無名のジャーナ
リストの文章として宮嶋の文章を読んだ。(ごめんね、宮嶋さん、僕が無知
だっただけですから気にしないでください)
この週刊文春で鳴らした突撃カメラマンは、1999年3月末から、NATO軍の
F-117ステルス爆撃機やトマホーク巡航ミサイルによってセルビア国内の各都
市が空爆されたときちょうど現地に潜入して滞在しており、街の地獄図や町の
様子を写真とルポに残した。
彼のルポは、自分の見たこと、聞いたこと、したこと、そこにあるもの、そ
して自分が考えたことを淡々と(かつおもしろおかしく自他の失敗談を交えて)
綴っている。これはアゴタ・クリストフの小説「悪童日記」にある真実のルー
ルに従っている。
宮嶋のルポを読むと、NATO軍によるコソボ空爆が「コソボのアルバニア系住
民を、セルビア治安部隊から救う」ためだったという宣伝が、嘘に思えてく
る。コソボ自治州を独立させようとしているコソボ解放軍(KLA)と、それを支
援しているNATOこそが、あえてセルビアの平和を乱しているように思えた。
かつて私は「現代芸術より難解な現代世界」などという表現を使ったことが
ある。(国境のない惑星、World Plaza No.47, 1996.8-9) そのときも旧
ユーゴ紛争を例にして、「連邦の分裂とそれに続く戦火が『民族の違いを原因
とする紛争』だという説明は疑わしい」。「真因は、経済的に自立可能だった
スロベニアとクロアチアが、他の貧しい連邦共和国への富の配分を渋って連邦
離脱したこと」、「ドイツが性急に両国を国家承認」したことにあるのではな
いかと、私なりに見聞きしたことをまとめて解釈を行った。
おそらく、テレビや新聞がまことしやかに報道する、善悪や白黒のはっきり
したわかりやすい説明のほうが嘘で、あるがままを素直な目で見ることのでき
るジャーナリストが、七転八倒しながら現地で実体験し見聞きしたことが真実
なのだ。彼らの行動を追体験することで、我々もじわじわと真実の理解を共有
できるのではないだろうか。
高度情報化社会といえども、いや情報があふれる社会だからこそ、ネタモト
のネタが本当か嘘かを見破る眼力が大切である。
* 国連管理下のコソボで、セルビア人の民族浄化が行われている
宮嶋カメラマンが脱出した後、1999年6月に、セルビアは和平案を受諾し、
セルビア治安部隊をコソボから撤退させ、大量に発生していたアルバニア難民
がコソボに帰還する。そしてコソボは、国連コソボ暫定統治機構(UNMIK)の統
治下に入った。
そのコソボで、空爆終結から今に至るまで、セルビア人たちが3,000人もア
ルバニア人たちによって「浄化」され続けているという。国連が統治している
のにもかかわらず。なのに、その事実を誰も伝えない。沈黙への義憤によっ
て、著者木村元彦氏は「終わらぬ『民族浄化』」を書いた。(詳しくは本書を
読んでください。)
冷戦終結後、欧米の武器輸出や勢力拡張の思惑によって、旧ユーゴスラビア
で民族対立を演出して殺し合いがひき起こされ、共和国が解体され、大量の難
民が生み出された。何回となくユーゴスラビアを訪問して取材を続けた著者
が、自分の同時代史とシンクロナイズさせてしまった旧ユーゴの同時代史を読
んでいただきたい。難解な現代世界につきあうためには、客観的事実と著者の
考察だけで構成された一人称・同時進行のルポを読むのが一番だ。
本書についての論評をウェブで探すと、木村氏のセルビアびいきを批判的に
書いているものもあった。しかし、われわれ読者のほとんどは、セルビアも、
コソボもともに行ったことがないのだ。だったら、セルビアか、コソボか、あ
るいはその両方を知っている人間が書くルポが、いくら我々の既成概念と違っ
ていたとしても、そこに書かれていることを、敬意をもって、ひとまずは素直
に受け止めるべきではないか。
直接、著者が見て、こいつは信用できる、こいつは怪しいと思ったとした
ら、それは大切な情報だ。著者の判断を信じるべきかどうかは、著者の書きぶ
りや、既刊書をもとにして、判断すればよい。自分が大手マスコミや著名文化
人に植え付けられた既成概念だけで、現地を歩いた著者の著作を否定するなん
てことだけは避けなければならない。
* 第三次世界大戦はすでに始まっている?
本書を読んで思ったこと、感じたこと。
第一次世界大戦と第二次世界大戦が、ともにバルカン半島で始まったのは、
ヨーロッパにとって、そこがもっとも身近な兵器市場であり、もっとも身近な
支配可能地域であるからではないか。
冷戦が終結後の余った兵器が、たくさんバルカン半島に持ち込まれて販売さ
れたようだが、兵器が持ち込まれたから紛争がおきた。あるいはむしろ兵器を
売るために、民族紛争が演出されたのかもしれない。
なぜ、旧ユーゴの報道は少ないのか。それは欧米がバルカン半島で自分たち
が行っていることを隠したいから。
どうして、人は、旧ユーゴで起きていることに興味をもたないのか。ひとつ
には、そこで行われていることが、現代芸術のように我々の既成概念を超越し
ていて理解しがたいからである。
なぜセルビアは悪者にされたのか。旧ユーゴを解体することで利益を受ける
人々にとって、一番手軽で確実な解体手段は、セルビアを貶め、それ以外の共
和国や自治州に独立をたきつけることだったから。ロシアでロシア人を貶め、
中国で漢民族を貶め、それによって少数民族共和国や自治区を独立させようと
するようなものだ。
不幸なことに、旧ユーゴスラビアは、ロシアや中国ほど大きくもないため、
ヨーロッパの大国の思うがままに翻弄されてしまう。またヨーロッパに隣接し
ているために、密貿易でも密入国でも密約でもなんでもありの位置関係にあっ
た。だから、世界大戦は二度ともここから始まったのだろう。もしかすると三
度目も。おそらく後世の歴史家たちは、コソボ空爆をもって第三次世界大戦が
始まったと見なすであろう。
* 世界人類の運命の象徴としてのコソボ紛争
宮嶋氏や木村氏のルポを読むことで、現代芸術のように難解な旧ユーゴの状
況に、少しずつ我々の耳目は、意識は慣れてくる。そしてはじめて、答えのな
い、解決策のない、希望のない状況を、認識できるようになる。
この希望のなさ、解決策のなさも、われわれの意識を旧ユーゴから遠ざける
一因である。 だが、現実から目を背けてはならない。旧ユーゴスラビアで起
きている様々な紛争や悲惨な状況は、地球規模で人類が直面している閉塞状況
の象徴であると私には思える。
石油の生産もピークを過ぎ、干ばつや砂漠化によって食糧生産も不安定にな
ると、人口を間引くという選択肢が現実のものとなる。分子が少なくなったな
ら、分母を減らすまで。旧ユーゴにおいては、その正当化理由として、民族と
いう記号が利用されているだけではなかろうか。
アメリカが2001年に行ったアフガニスタン侵攻や、2003年に行った対イラク
戦争とその後の占領は、名目は違うものの、かげりのみえてきた資源をアメリ
カが抑えるための戦争である。これらはすべてまとめて合わさって、人類史の
ひとつの大きな時代の区切りとなる「第三次世界大戦」として呼ばれるように
なるのかもしれない。
人類は増えすぎた。人類は資源を大量に消費しすぎる。本能や記憶を失った
ハダカの猿にすぎない人類の文明は、まもなく終わりを迎えようとしている。
旧ユーゴの救いのない惨状は、これから何十年のうちに、すべての人類がひと
しく迎えるカタストロフィーの前奏曲である。
それから、自動車文明も、植民地も、世界大戦も、原爆投下も、民族浄化
も、環境破壊も、すべてことごとく20世紀の人類が体験した時代のエピソード
であったと、わずか数行か数ページの歴史教科書に書き記される時代がくるの
だろうか。あるいは、それすら行われないままに、人類は地球の歴史から姿を
消すのかもしれない。
(2005.7.11, 得丸久文)