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被爆者「今も心に傷」76% 原爆60年アンケート調査
2005年07月17日03時02分
広島、長崎の原爆で被爆した人のうち全国4万人余りを対象に、朝日新聞社は健康状態や原爆被害への考えなどを尋ねる「被爆60年アンケート」を実施した。回答者は1万3204人(回答率32%)。健康不安を抱えている人が約9割に達し、被爆体験を今も日常生活の中で思い出す人が約8割にのぼった。被爆直後に脱毛や出血などの急性症状を体験した人ほど、心身に不安を抱いていた。原爆被害の責任については、日米両政府にあると考える人が半数を占め、約6割が再び「核兵器が使われる可能性がある」と考えていた。
回答者の平均年齢は72.4歳。アンケートは「からだ」「こころ」「くらし」などについて選択・記述式で51項目を質問した。
「からだ」への影響では、健康に不安を感じるかどうかの問いに「いつも」と「時々」と答えた人がともに45%だった。被爆直後(45年末まで)に急性症状があったと回答した人は全体の35%。この人たちの場合、いつも健康に不安を感じている人は59%で、急性症状がなかった人の32%を大きく上回っていた。
子や孫の健康に不安を感じたことがあるかとの問いには、全体の57%が「ある」と答えた。放射線の遺伝的影響は解明されておらず、被爆者であることの不安は子や孫の健康に対する不安にも結びついていた。
広島の爆心地から2.5キロで被爆した女性(63)=兵庫県在住=は、結婚後9年間、子どもができず、被爆のせいではないか、と周囲から冷たい視線を感じた。
「ようやく妊娠しても3カ月で流産。その後3人の子に恵まれたが、肝機能障害の疑いを指摘されるなど、不安がよぎる。子孫にどんな影響が出るかおびえる日々」と回答に記していた。
「こころ」の項目では、被爆体験を日常生活の中で思い出すことがあるかどうかという問いに「よくある」が23%、「時々ある」が53%。年齢別にみると、被爆当時10歳未満だった若年被爆者(70歳未満)でも、6割近くが「よく」「時々」あると答えていた。子どものころの被爆体験も「心の傷」になっていることを示した。
広島の爆心地から2.6キロで被爆した東京都の女性(74)は原爆の轟音(ごうおん)で左耳が聞こえなくなった。幼少から音楽家を志望。戦後、音楽大に入ったがピアニッシモ(極めて弱く)の音が聞き取れず1年で断念した。
「今も地下鉄の音や雷の音を聞くと、体がこわばる。いい加減、忘れたい」
被爆体験を日常生活で思い出すかどうかの回答を、急性症状があった人でみると、「よく」「時々」をあわせて88%に達し、ここでも急性症状がなかった人の場合の71%を大きく上回った。
戦後、被爆者であることで差別や偏見を受けたことがあるのは20%。「ある」人に、どんな時だったかを複数回答で尋ねると結婚が84%、就職が17%だった。
原爆被害責任については日米両政府にあると考える人が50%を占め、米政府にあると考える人は28%にとどまった。
広島の原爆で母や妹を亡くした東京都の男性(76)は、日米両政府に責任があると答えた。「勝ち目のなくなった戦争をいつまでもやって、原爆を使わせてしまったことの方がおかしい。あの当時、大人はいなかったのか? 当時、17歳の少年でもおかしいと思った」と書いた。
核兵器が今後使われる可能性については59%があると考え、廃絶される方向にあると思う人は10%。核兵器廃絶に向け、日本政府に望む最優先の課題は「非核三原則の法制化」が最多で、57%を占めた。
1万人を超す規模の被爆者調査は、国が65年以後10年ごとに「被爆者実態調査」として健康を中心に実施している。核兵器への意識などを含む包括的調査は、85〜86年に日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が実施(回答者約1万3000人)しており、今回はそれ以来の大規模調査となった。
◇ ◇
〈被爆60年アンケートの方法〉 朝日新聞社は、日本被団協と広島、長崎両大学の研究チームの協力を得て質問項目を作成。3〜4月、送達が可能な約4万人を対象に、各都道府県の被爆者団体を通じて郵送や手渡しで配布した。5月末までに、47都道府県に住む計1万3204人が朝日新聞広島総局へ回答を返送した。回答者の居住地の都道府県は、広島36%、長崎13%、東京12%など。広島で被爆した人が65%、長崎31%、不明4%。両地で被爆した人が9人いた。
http://www.asahi.com/life/update/0717/001.html