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【テヘラン高橋宗男】17日に行われたイラン大統領選で、改革派の有力候補モイーン元高等教育相が完敗を喫した。97年、01年とハタミ大統領の地すべり的勝利を呼び寄せた国民の改革熱が冷めてしまったのはなぜか。モイーン氏の敗因を探ると、「理念」では動かないイランの閉塞(へいそく)的な状況が見えてくる。
内務省によると、得票率では、穏健現実のラフサンジャニ前大統領21%、保守強硬派のアフマディネジャド・テヘラン市長19%で、この2人が決選投票に進むことになった。
モイーン氏の完敗を如実に物語るのが首都テヘランの選挙結果だ。テヘランはハタミ政権1期目の地方議会選挙で改革派が全議席を独占し、改革派の牙城。だが今回、モイーン氏は3番手に終わり、得票数はトップの保守強硬派アフマディネジャド氏の半数にも満たなかった。改革派支持層が大挙して保守強硬派に票を投じたとは考えにくく、多くの改革派支持層が投票をボイコットしたのは確実だ。
モイーン氏を支えたハタミ大統領の実弟でイスラム・イラン参加戦線のレザ・ハタミ党首は毎日新聞に対し、「真のライバルは他候補ではなくボイコットだ」と語っていた。選挙結果は「ボイコット」というライバルを克服できなかったことを示している。
また、ラフサンジャニ氏を支持した市民の多くが「実行力」を投票の基準に挙げており、改革の成果を思うように上げられなかったハタミ大統領に対する失望感は想像以上に大きく、改革派支持層からラフサンジャニ氏に流れた票もあったとみられる。
さらに、モイーン氏の敗因として挙げられるのは、ボイコットを表明していた知識層や学生を投票に向かわせることに力を傾注せざるを得ず、大衆層に浸透できなかったことだ。
大衆層が直面しているのは高失業率や急速なインフレなど生活に密着した問題であり、人権問題などでのモイーン氏陣営の理念的な訴えは届かなかった。第1回投票では同じ改革派のカルビ前国会議長が「18歳以上の国民全員に毎月50万リヤル(約55ドル)を支給する」との公約を掲げ、予想外の高得票を集めた。イラン国民が、「生活」をより重視したことを示している。
現地ジャーナリストは「この敗戦は改革派にとって大きな打撃。今後のイランの改革は長い、長い道のりになるだろう」と語っている。
毎日新聞 2005年6月19日 20時12分
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/afro-ocea/news/20050620k0000m030054000c.html
イラン大統領選、24日に決選投票 上位2候補決まる
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17日に投票されたイラン大統領選は18日夕(日本時間同日夜)までの開票の結果、ラフサンジャニ最高評議会議長(70)と保守強硬派のアフマディネジャド・テヘラン市長(49)の2候補の間で24日に決選投票が実施されることになった。決選投票は、79年のイスラム革命後9度目の大統領選で初めて。
内務省当局者によると投票率は62%だが、確定かどうかは不明。同日午後6時(日本時間同日午後10時半)ごろ国営イラン通信が伝えた開票終了時の結果によると、7人の候補のうちラフサンジャニ師が得票率20.83%で首位、アフマディネジャド氏が19.26%で2位となり、直前までリードしていた穏健改革派のキャルビ前国会議長(67)を逆転。キャルビ師は17.47%だった。
有権者の多いテヘランでの知名度を利用し、アフマディネジャド氏が票を伸ばしたとみられ、決選投票は、保守派の重鎮で対米融和など現実路線を取るラフサンジャニ師と、イスラム革命体制護持と反米を掲げるアフマディネジャド氏との一騎打ちとなる。
今回選挙は、市民の自由拡大を掲げたハタミ大統領は連続3期の就任を禁じた憲法規定で出馬できず、保守派、改革派とも分裂。ラフサンジャニ師は、失業にあえぐ若者の雇用確保に加え、25年も断交が続く米国との緊張緩和を表明、行き詰まる経済の打開などを期待する広範な支持を集めるとみられたが、票は予想ほどには伸びず、同師とアフマディネジャド氏、キャルビ師の3候補で接戦を展開した。
投票前は、ハタミ師後継のモイン前科学技術相と保守派若手のガリバフ前警察長官が2位を争うとみられていた。
「asahi.com」 2005年6月19日
http://www.people.ne.jp/2005/06/19/jp20050619_51070.html