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(回答先: 長崎原爆:米記者のルポ原稿、60年ぶり発見 検閲で没収 (毎日新聞) 投稿者 彗星 日時 2005 年 6 月 19 日 17:15:21)
長崎原爆ルポ:
ジョージ・ウェラー記者原稿全文 その2
ジョージ・ウェラー記者原稿(2)
【9月8日長崎】三菱の兵器工場の骨組みが曲がったりぺしゃんこになっている様子は、鉄や石に対しての原爆の威力がどのようなものだったかを示している。だが、長崎郊外の二つの病院では、炸裂した原子が人間の肉体や骨に対してどのような力を持っているかは、明らかにならないままだった。爆心地から3マイル(4・8キロ)離れた、攻撃された米領事館の正面壁や、爆心地から別方向に1マイル離れたカトリック教会の壁を見てもしょうが入り菓子パンのように崩壊していた。飛び散った原子はすべてを突き抜ける勢いだった。
運良く被害から逃れた人々は、壊れず残った長崎で最大級の2病院で小さな家族部屋に座っていた。彼らの肩や腕、顔は包帯に包まれていた。
降服後、初めて長崎に入った米国人外部者の私に、プロパガンダを意識した案内役の役人は明らかに意味ありげに顔をのぞき込み「どう思うか」を知りたがった。この問いかけが意味するのはこうだ。「あなたは米国人が日本にこの兵器を放つことによって行った非人間的な行為を伝えるつもりがあるのか。それが私たちの書いてもらいたいことなのだ」−−と。
やけどを負っていたり、やけどを負ってはいないが髪の毛の一部がはがれ落ちた何人かの子供たちが、母と座っていた。前日には日本人写真家が彼らの写真をたくさん撮っていった。およそ5人に1人は体中に包帯を巻いていたが、だれも痛そうには見えなかった。
何人かの大人たちは痛みの中、布団に横たわり、低いうめき声を上げていた。ある女性は夫の世話をしながら、目を涙で曇らせていた。あわれな光景だったため、同行の役人は、そこから立ち去るべきかどうか見極めようと、私が同情を禁じえないかどうか表情を密かに探った。
多くの担架を訪ね、2人の一般医と1人の放射線専門家と長時間の話をし、多くの情報と被害者たちの意見を得た。統計というにはまばらで、記録もほとんどないが、この主要な市営病院に今週までに原爆患者が約750人いたが、約360人が死亡したということは確かだ。
死亡原因の約7割は通常のやけどだった。日本人たちが言うには、爆心地から0・5〜1マイル(0・8〜1・6キロ)以内で外にいた誰もがやけどで死亡した。だが、これは事実ではないと思われる。工場にいた連合国の捕虜のほとんどはやけどを負わずに逃げ出しており、わずか約4分の1がやけどを負ったに過ぎないからだ。いずれにしても明白なのは、8月9日の午前11時2分に、多くは思いがけない火にとらわれ、その火は半時間燃え続けたということだ。
だが、重いやけどを負った患者が死亡した今、軽症患者のほとんどは急速に治癒している。不幸なくじを引いたがために治っていない人々には、原爆の威力の不思議なオーラが現れている。彼らは、現在は長崎港の入り口にある第14収容所の連合国司令官であるオランダ人軍医のヤコブ・ビンク大尉が「疾病」と呼ぶものの犠牲になっているのだ。ヴィンク氏自身は、三菱工場の装甲板部門に隣接する連合軍捕虜の食堂にいて天井が崩れ落ちたものの、多くの連合国側捕虜や日本人市民が患った、この不思議な「疾病X(エックス)」からは免れていた。
ビンク氏は病院で黄色い布団の上にいる女性を示した。女性は、病院の医師であるコガ・ヒコデロウ氏とハヤシダ・ウラジ氏によると、まだ運び込まれたばかりだという。被爆地帯から命からがら逃げたが生活のため舞い戻っていた。小さなかかとのやけど以外は、ここ3週間は何ともなかったが、今は破傷風患者のように黒い唇を閉ざしたままうめき、明確な言葉を話すことはできない状態だった。彼女の足や腕には小さな赤い斑点が所々にあった。
彼女のそばにいる15歳の少し太った女児にも同じできものがあり、できものは赤く小さく先端は血で固まっていた。さらに少し先には、1〜8歳の子4人と一緒に横たわっている寡婦がおり、下の2人の子は部分的に髪の毛がなくなっていた。彼らは誰もやけどは負っていなかったし、骨折もしていなかったが、原爆の犠牲者と思われた。
ハヤシダ博士はものうげに頭を振り、三菱工場の周りの土地が汚染されているという米国のラジオ報道のような、何かがあるに違いないと語った。だが、続く言葉は、その考えの支えを奪い去るものだった。寡婦の家族は爆発以降、破壊された地域にはいなかったし、同じ症状は、その地域に戻った人々にも同様にみられたからだ。
日本人医師たちによると、後になって症状が現れた患者らは爆発から1カ月たった今も、1日約10人の割合で死亡しているという。この3人の医師たちは、この疾病にはとまどうばかりで、休息させる以外に何の治療も与えていないと静かに話した。米国からのラジオのうわさは、この症状に対する同様な考えを嗅ぎ取ったものだった。患者たちは、治療のためにできものをなめてもらっていたが、それほど心配している様子はなかった。
原文はこちら
http://mdn.mainichi.co.jp/specials/0506/0617weller.html
毎日新聞 2005年6月17日 3時00分
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050617k0000m040168000c.html