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6月19日―メディアを創る
アミラ・ハスというイスラエルの女性ジャーナリスト
立ち寄った本屋で一冊の本を購入した。「パレスチナから報告します」(くぼたのぞみ訳、筑摩書房)というタイトルに惹かれたからだ。そしてその著者が、イスラエルの占領下にあるパレスチナ自治区に住んで、パレスチナ人の窮状を発信し続けたイスラエルの記者であることに興味を持ったからだ。
一読してたちまち魅了された。漠然と抱いていた私の占領地のイメージが、100倍もの実感として伝わってきた。ここにはパレスチナ問題のすべてが凝縮されている。イスラエルに占領されたままのパレスチナ自治区を私は一度も訪れた事がない。その私には、パレスチナ問題を語る資格はないかもしれない。しかしその私が頭の中で思い描いていたパレスチナ問題が、まったく正しかったとことをアミラは教えてくれた。
パレスチナ問題は、「パレスチナ人のテロとイスラエルによる報復の連鎖」として報道され、理解されがちだ。しかしそれは違う。パレスチナ問題の本質は、「暴力の応酬」ではなく、パレスチナ人をして絶望的な暴力に走らせるイスラエルの「占領」にあるのだ。そしてそのような耐え難い悲惨な状況が、これほど長い間国際社会で放置され続けているのは、皆が「傍観者」でいるからだ。
訳者のくぼたのぞみが「あとがき」で引用している次の詩が印象的だ。
敵をおそれることはない。敵はせいぜいきみを殺すだけだ。
友をおそれることはない。友はせいぜいきみを裏切るだけだ
無関心な人々をおそれよ。かれらは殺しも裏切りもしない。
だが、無関心なひとびとの沈黙の同意があればこそ、地上に裏切りと殺戮
が存在するのだ
思うにパレスチナ問題は単にイスラエルとパレスチナの問題ではない。中東問題だけでもない。それはこの地球上に存在するおびただしい不合理な暴力、強者の弱者に対するいじめ、権力者のおごりと偽善、逃げ場のない絶望などの象徴なのだ。だから私はパレスチナ問題に強い関心を持つのだ。
アミラ・ハスというジャーナリストは有名なジャーナリストらしい。私が知らなかっただけだ。それでも今、私は彼女の存在を知った。
「怒りが私にエネルギーを与えているのです」、「世界の如何なる問題にも私は抑圧される側に立ちます。第二次世界大戦のときなら、私は日本に反対する立場に立っていたでしょう」、「私は傍観者にならない。傍観者であることは無関心だということです。つまり不正義に対し無力感を持ち、何もしないということです」、「(報道は客観的でなければならない、一方の側に立って書くことはあってはならないとよく言われるが)それはまったくナンセンスです。もちろん伝える情報は公平であるべきです。いろいろな情報をチェックする必要はあります。しかし自分の意見は持つべきです。私たちは牛やロバではない」などと語るアミラ・ハスの考え方に、私は限りない共感を覚えるのである。
沖縄問題は「基地問題」にとどまらない。「戦争責任」の原点だと思う
知ろうとする気があれば一片の文章からでもよく学ぶ事ができる。知った以上もはや無関心ではいられなくなる。そして考えさせられる。
次の紹介する文章を読むだけでも沖縄問題の本質がわかる。現代に生きる同じ日本人として、沖縄人の無念と怒りを感じ取れる。そして沖縄問題は我々すべてに責任のある極めて今日的な問題である事がわかる。
沖縄戦後60周年を6月23日に迎えるにあたって、我々は歴史に思いを馳せ、いまもなお基地問題に苦しむ沖縄の住民の苦しみを共有しなければならないと思う。
・・・人口約900人の沖縄県金武志町伊芸区。集落から高速道路を挟んでわずか300メートルのところにゲリラ戦を想定した米陸軍都市型戦闘訓練施設の建設計画が浮上した。隣の恩納村やグアムでもその危険性から建設中止になったいわくつきの施設だ・・・金武町の戦後は基地被害の歴史そのものだ。1964年、小銃の銃弾が民家に飛び込み、19歳の女性が右足に負傷を負った。66年、67年、71年には女性3人が相次いで米兵に殺された。復帰後も基地従業員ら4人が射殺され、女性が戦車にひかれて犠牲になるなどした。それでも基地反対と言えない事情があった。さとうきびと稲作が主力の区は、土地の8割を米軍に接収され農業は衰退した。軍用地代は町収入の3割にあたる約17億円を占め、数十人が基地に勤め生計をたてる。「私が米軍演習に反対したら、母の魚屋に不買運動が起きた」と町議会議長は振り返る・・・「米軍は反対運動なんか気にしない」と工事関係者は指摘する。
小泉首相は、在沖縄米軍の国内、国外移設を表明したが、住民に希望は見えない。池原区長は「伊芸だけの話ではないのに」と嘆く。政治に翻弄される沖縄の基地問題の虚実が、この小集落に凝縮されている・・・(6月18日毎日新聞)
・・・沖縄戦は国体護持をかけた、日米最後の地上戦でした。沖縄戦は、沖縄の人々の生命や財産を守ることではありません。米軍を沖縄にくぎづけし、本土決戦の準備と、終戦交渉の時間をかせぐことを目的とした、「捨て石」作戦です。制空権も制海権も米軍に完全に押さえられた孤立無援の・・・沖縄戦の特徴は、一般住民の死者の数が軍人の死者を上回っていることです・・・天皇の軍によって住民は戦場に動員され、砲弾にさらされました。軍は住民に投降する事を許さず、処刑したり、「集団死」を強要した。「集団自決」という言い方がありますが、決して住民が自主的に死を選択したのではありません。「生きて虜囚の辱めを受けず」という天皇の軍隊と地域の指導者の強制と誘導によって、肉親どうしの殺し合いを強いられたのです・・・(沖縄国際大学安仁屋政昭名誉教授―6月19日あかはた日曜版)
・・・6月19日、野戦病院が解散になりました。前は海岸、後ろは敵。行くところもなく、隠れる場所を探していると、農業用の排水管を見つけました。中には日本兵が入っていました。「一人だけならいい。もっと入ると殺すぞ」と短剣を突き出すので、私たちは入り口に縮こまっているしかしかたありませんでした。夜が明けると米軍の総攻撃が始まります。朝見た摩文仁は緑豊かだったのに、11時ごろみると、米軍の砲撃で様変わりでした・・・連行されて歩いた摩文仁の道は、死体がごろごろしていて、つま先で歩かないと通れないほどでした・・・私立昭和高等学校 稲菊マサさんー同赤旗)
19日の各紙は、例によって写真入で小泉首相がオペラ鑑賞をしたという記事をのせていた。今度は舞台にのぼってオーソレミオを熱唱しご満悦であったという。
その小泉首相は、19日に硫黄島を初訪問し戦没者追悼式に出席するという。そして23日には沖縄を訪れ「沖縄全戦没者追悼式」に出席する。彼にどこまであの戦争の歴史認識があるのだろうかと疑う。オペラ鑑賞と同じようにニセ涙を流してパフォーマンスすることだけは許さない。
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