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(回答先: 九七式中戦車は「走る棺おけ」 投稿者 ruinous 日時 2005 年 6 月 12 日 10:43:39)
指摘されている通り、ドイツが戦車にガソリンエンジンを搭載したのは、「出力」の問題からでしょうね。
ソ連は、ご存知のように「水冷ジーゼルエンジン」を搭載させていました。
水冷の方が空冷よりも寒冷地では使いやすかったのではないでしょうか。
日本が空冷を採用したのは、重量や整備の問題からかもしれず、または南方作戦を想定してのものであったかもしれません。
火砲の問題は日本は陸軍は大変に遅れていたのですね。
ノモンハン事変でジューコフが機甲部隊の大部隊を率いて攻撃してきた時には、
ドイツ軍事顧問の指導によって編成された「機甲部隊」の威力を試したいとの考えもあったのではないでしょうか。ノモンハン事変は勿論、戦略的判断により起こされたものでしょう。ノモンハンでソ連軍が大損害を受けていたとの情報が数年前に出ましたが、恐らく事実であり作戦継続不可能に至ったのでしょう。損害が大きくては意味がありません。シベリア鉄道での補給しかないのですから。
ドイツでタイガーやパンサーと言った強力なものを登場させたのは、T−34のようなソ連の強力なものに対抗させる為で、むしろ遅れていたのですね。日本やソ連のように始めから「ジーゼル搭載で行く」との方針を立てては居なかったからでしょう。
その様な中で、出力の問題を解決するにはガソリンエンジンを使うのが早道だったでしょう。ドイツ戦車の燃え易さには困ったのでしょう。97式中戦車についてはドイツは車体構造の優秀性にも着目して対ソ戦で使いたいとも言ってきたと聞いています。ご紹介の中で指摘されている「お粗末さ」とは違った話で申し訳ありませんが。
私は、「戦争準備」と言う事について考える時、
ドイツは「機甲部隊」についての「思想の先駆性」にも拘らず、装備、部隊編成が立ち遅れていた事、
日本は機甲部隊編成と火砲開発の立ち遅れていたた事、
に注目しており、両国は広く言われているように十分な戦争準備をして戦争に臨んだのではなく、時代の流れに引き回されて戦争に突入したと見るべきであると考えています。
ドイツよりもソ連の方が軍事的には整備されていました。当時は共産主義のメッカだったのだから当然の事でしょう。
ドイツと日本の戦争準備には不備が多いので整ってはいなかったのです。
米軍と戦った日本軍将兵の話を聞くと、米軍には戦略や戦術と言えるものは無く、兵器をぶちまける戦いぶりだったと言うものです。飛び石戦略の様な大きい戦略は持っていましたが、戦争の技術に優れた国ではないのですね。今でもこの事を引き摺っています。
米国の兵器は工業水準の高さからする信頼性の高さに特徴があり、性能的には一流よりも少し劣る程度のものが昔から今まで多いのです。
思わず長くなりました。ご参考に。
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