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ロンドンで爆弾を爆発させる為に「自爆」の方法を取る必要は無い筈だ。
何故、「自爆」と言う方法が採用されるのかについて考えてみよう。
必要に迫られて採用されるのだが、その「必要」とは何か?
イスラエルにおいてのパレスチナ人の抵抗について考えると、イスラエルは戦時体制にあると言えるのであり、イスラエル人のほぼ全員がいつもパレスチナゲリラの攻撃に備えている。その様な中にあっては爆弾を使った攻撃も普通の方法では失敗する可能性が高いのである。仕掛けても、回りのイスラエル人に見つけられてしまって未遂に終わる可能性が高いのである。パレスチナ人は少数派であり、イラクのイラク人のような多数派ではない。
従って、パレスチナゲリラはやむを得ず成功の確率の高い「自爆テロ」を選ぶのである。
はじめから自爆そのものに宗教的意味を込めて「必ず採用しなければならない」と考えてのものでは無い筈だ。宗教的意味は後で付けたものである。
過去の日本の「神風特攻」も同じである。これは、戦果をあげる事が難しくなったから採用された戦術である。
神風特攻に神道的意味づけなどはなされていなかったのである。個人的に神道的解釈づけをしていた人はいたかもしれないが。
自爆テロも神風特攻も「武士の切腹」とは意味が違う。
「切腹」は「儀式化」されていた。切腹には責任を取る意味だけではなく、「儀式」としての意味が確立されていたのである。
この様な事情の上に更にロンドンの状況を考えると、「自爆テロ」の戦術を採用する「必然性」は見えてこないのである。
ロンドン市民はイスラエル国民のように常に攻撃に備えていることは無いのだ。
従って、爆弾を仕掛けてから自分は安全なところへ逃げ去ることは十分に可能なのである。
仕掛けた爆弾の総てを爆発させる必要は無い筈だ。幾つかの未遂があっても許される範囲内である筈だ。
また、宗教的な意味からどうしても自分も死ななければならないという理由は無い筈だ。
切腹のように儀式としての自分の死が必要なわけも無い。
従って「自爆テロ」はあり得なかった筈なのだ。
英国政府と捜査当局は「自爆」を主張するのならば、「自爆」を必要とした意味を世界に向って語らねばならない。
自爆扱いする必要が有るのは、自作自演をした真犯人達ではないのか。
「本当は自爆ではなく、自作自演なのだが」、
「事件を、もう終わったものとして幕引きをしたい」から、
「自爆扱い」しているのではないのか。
犯人達はもう死んでしまっていて、首謀者も海外に逃亡したとあっては、犯人達の自白を得ることは出来ない。そのようにして終わらせたいのではないか?
しかし、劇場が古くて、もうシナリオも見飽きたものであり、幕引き用の幕も破れてしまっていて、舞台背景が垣間見えている。
スペイン列車爆破事件は、自爆テロ扱いにはなっていなかった筈だ。
追及の目を逃れる為の言い逃れであろう。
犯人達とされているパキスタン人の青年達は、何処かへ隠されてしまったものか、又は旅行に出されて、ほとぼりが冷めた頃に帰ってくるのかもしれない。
英国はこれをきっかけにして、強権的ファシズム政治に入ってゆく可能性はある。
「共謀罪」を国会で審議中の我が日本国も英国の後を追わされる可能性はある。
英国民とロンドン市民は騙されてはいけない。民主主義を守り抜かねばならない。
英国を「ファシズム国家」にしてはならない。
何とも人を馬鹿にした事件である。
英国民は黙っているだろうか?
日本国民のように「無口な埴輪(ハニワ)」ではあるまい。
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