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(回答先: 平和条約後の「戦犯」を語る事の論理的矛盾 西岡昌紀 投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 7 月 12 日 18:11:59)
西岡昌紀さん、レスをありがとうございます。
いつもながらアングロサクソン流儀とも思しき西岡さんの言語操作能力には感服いたしております。そして、西岡さんの論理構成的な趣向には大いに惹かれるものがありますが、この問題について論考する場合にはできますならばもう少し世界史的な視座から日本の政治史を俯瞰していただきたく希望します。
さて、少し話を戻しましょう、西岡さんにおきましては靖国神社に祀る約束の存在を全ての論拠にされていますが、戦地より帰還した一兵卒だった父からも、また予科練出身の叔父からも、私はそのような話は聞いたことがありませんし、その周辺事情については全くの無知であります。多分に私の不勉強に起因していると想いますが、恥を忍んで是非ともかかる約束の全容を記述した史料についてご案内いただければ幸いに存じます。
そして、よしんば約束があったとしても、実際に如何なる意味合いにおいて靖国神社に祀ろうとしたのかという問題が表出してくるでしょう。すなわち、合祀の主旨を知って合祀されることを望まぬ本人や遺族達の意向を無視してまでも靖国神社に合祀したのならば、それは信義と云うよりは最早国家のエゴでしかあり得ません。したがって、西岡さんの主張はその本意に反して、今日の為政者達にとって都合のように歪曲されて絡め取られるのがオチでしょう。
それから、東條英機等の戦争指導者達が何故靖国神社に合祀されたのか、未だ以ってその論拠がよく伝わって来ないと感じるのは果たして私だけでしょうか。これについてはサンデイ・プロジェクトでも同様な違和感を覚えました。
以上の点についてのご回答をお時間の都合のつく限りで結構ですので、よろしくお願い申し上げます。
また、会いましょう。