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7月9日―メディアを創る
テロという言葉を安易に使うべきではない
英国で起きた無差別爆破事件について、今我々が考えるべきことは何か。それは「テロに屈しない」ということでは決して無い。このような非人間的な無差別暴力行為が起こらないよう、その原因を見つけて除去することだ。世界が一致してその努力に力をあわせることだ。
9・11事件といい、今回の爆破事件といい、その原因は極めて明白だ。パレスチナやイラク、アフガンで起きた米国の国家的暴力とそれに加担する英国に対する自爆的報復なのだ。そのことは犯行声明で明白に述べられているではないか。世界はそれを知っているはずではないか。
世の中には、「テロ」と呼ばれる反体制的違法な暴力行動は、その原因の数だけ存する。しかしそれらを一把一からげにして「テロは断固許さない。徹底的に戦う」と唱えることは、間違いであり、問題の真の解決にはつながらない。むしろ、みずからの権力行使を正当化するために権力者が世論誘導する、その道具にされるのがオチだ。
考えても見るがいい。イスラエルや米国に加担してパレスチナ人をいじめていなければ、あるいは米国の不当なイラク、アフガン攻撃に加担していなければ、今回のような暴力の脅威にさらされることは決してない。米国の巨大な暴力に叩き潰されようとしている彼ら反米武装組織にとっては、そんな余裕は全く無い。
日本のように中東問題に手を汚していない中立的な国は、このような暴力の危険からまったく関係の無い国であった。それどころか日本は中東から好意的に受け止められ、助けを求められる国であった。もし自衛隊をイラクに派遣するような誤りを犯していなければ、今回のような暴力行為の危険に日本は全く無関係でいられたのだ。
膨大な予算を組んで警備を強化したり、駅前のゴミ箱を撤去するといった異常な仕事を末端の職員に強いるよりも、自衛隊をイラクから撤退させるということを宣言するだけで、たちどころに日本の安全は確保される。それはテロに屈することではない。いままでの間違いを正すだけのことだ。米国とアラブの戦いに中立になり、真の中東和平を訴える本来の日本の立場にもどるだけのことだ。
日本のメディアは、再び「テロ報道」一色で塗りつぶされている。これは二つの意味で有害である。一つは国民をいたずらにテロの恐怖に陥れることだ。もう一つはテロ騒動により、小泉失政の深刻なツケに関し責任追及が追いやられてしまうことだ。
アルカイダがどうのこうのとか、真犯人はだれであるかとか、一般市民に向けられた暴力は許されないとか、テロには世界的結束が必要であるとか、そんな議論は何の意味も無い。俄か専門家とメディアの金儲けと時間つぶしに貢献しているだけだ。それが終わると次は芸能、スポーツなどの話題にすぐ切り替えるドライなメディアは反省すべきではないのか。その間にも、多くの人間が、米国の暴力とそれに抵抗する反米組織の暴力の犠牲に泣いている。その痛みをもっと真面目に受け止めるべきだ。何で世の中はこんなに暴力的になってしまったのかと。誰がそれで一番利益を受けているのかと疑うべきだ。
専門家よ、メディアよ。もっと本当のことを語ってくれ。もっと深刻な事実を語ってくれ。テロに屈してならないのは当然である。貧困や人権を抱える中東のイスラム社会にも民主化は必要だ。しかしその前に、まず、アフガンやイラクの治安と人権の回復が先だ。米、英の軍事占領の終結が先だ。中東問題の要であるパレスチナ問題の公正な解決の為に、イスラエルと米国の横暴さを糾弾することが先なのだ。
何故こんなわかりきった真実を誰も指摘しないのか。そういう偽善さこそ、「テロ」を助長していると私は確信する。
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