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@サイパンで沖縄出身戦没者の追悼式、両陛下訪問前に(読売新聞)
【サイパン=栗原渉】日本の委任統治領だった旧南洋群島に移民し、太平洋戦争で犠牲となった沖縄県出身者の追悼式が1日午前、北マリアナ諸島(米自治領)のサイパン島で開かれた。
今月下旬には戦後60年を機に天皇、皇后両陛下が同島を訪問されるが、参加者らはその訪問を意識しながら、改めて犠牲者の冥福(めいふく)を祈った。
追悼式は同県の引き揚げ者でつくる「南洋群島帰還者会」がほぼ毎年続けているもので36回目。民間人が集団で身投げした「スーサイド・クリフ」のふもとにある慰霊碑「おきなわの塔」の前に、遺族や同島の政府関係者ら約360人が集まった。
南洋群島には戦前、約5万人の沖縄県民が移住。サイパン島では民間人約2万人のうち、地上戦で半数以上の約1万2000人が犠牲となった。
式では、帰還者会の宜野座(ぎのざ)朝憲会長(74)(那覇市)が「両陛下がサイパンを訪問され、戦没者の慰霊や市民と交流もされるとのことで、遺家族はもちろん、御霊(みたま)もさぞ喜ぶでしょう」とあいさつ。同県恩納村の伊波(いは)興正さん(76)が遺族代表として「軍人・軍属、多くの学徒、たくさんの女性や子どもがこの島で散華(さんげ)されたことは、永久に忘れることの出来ない深い悲しみ。私たちにできることは、戦争をなくし、恒久の平和を築くこと」と訴えた。
サイパン戦当時、15歳だった伊波さんは、従軍看護婦だった姉2人と幼い妹1人をこの島で失った。長姉は傷病兵らの手当てをしながら逃亡中、砲弾の破片で足を負傷。草むらに担架ごと捨てられ、「水を下さい」と叫びながら死んでいった。3番目の姉も従軍看護婦で約20人の同僚とともに青酸カリで集団自決。末妹は米軍の捕虜となった収容所で、栄養失調のため3歳に満たず亡くなった。
伊波さんは両陛下の慰霊の訪問について、「沖縄には政府の代表も皇族も来てくれるが、サイパンには誰も来なかった。日本の防波堤として死んでいった者は犬死になのかと思っていたが、『天皇陛下、万歳』と死んでいった者を両陛下が慰霊されるなら、御霊もきっと満足でしょう」と話した。
(2005年6月1日14時54分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050601i408.htm
伊波さんの戦争体験も大変悲惨ですね。「私たちにできることは、戦争をなくし、恒久の平和を築くこと」と「日本の防波堤として死んでいった者は犬死になのかと思っていたが、『天皇陛下、万歳』と死んでいった者を両陛下が慰霊されるなら、御霊もきっと満足でしょう」という二つの言葉の間の矛盾したニュアンスを感じましたね。
また戦争をするために天皇制や「英霊」が使われようとしてますからね。