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6月1日―メディアを創る
◇昭和天皇こそ最大の米国追従者だった?
1日の朝日新聞が大スクープを放った。立教大学の中北教授と沖縄国際大学の吉次助教授が、それぞれ米国で公文書を発見し、終戦直後から70年代初めの間に、昭和天皇が米国の日本占領に感謝し、米国の軍事力の行使を賞賛していた数々の発言をしていた事を明らかにしたと報じたのだ。
これが本当なら日本の戦後史は書き換えられなければならない。中北教授は「・・・天皇の発言は憲法上の問題をはらんで(おり)、反共を共通点とした天皇制と米国の結合関係を浮き彫りにしている。戦後の保守的ナショナリズムが親米を基調とした理由の一端をうかがわせる意味でも興味深い・・・」と書いている。
興味深いどころの話ではない。戦後の対米従属外交の源は昭和天皇にあったということではないのか。戦後の日本外交は、天皇、保守政治家、官僚、財界が一体となって、反共、米国追従政策を推し進めたと言えないのか。目からうろこが落ちるとはこのことだ。
実は昭和天皇の安保体制への関与を明らかにした学者は以前にもいた。その一人が豊下楢彦氏である。彼は確か現在は、関西学院大学かどこかの教授であると記憶しているが、その豊下教授が京都大学の助教授時代に、「安保条約の成立―吉田外交と天皇外交―岩波新書(1996年12月発行)」−という著書を世に出した。その中で氏は、昭和天皇が新憲法の下で象徴天皇になった後も、マッカーサー司令官と単独で何度も会見し、自らの戦争責任の回避と、そのための米国の日本支配について要請し、もたつく吉田茂に安保条約の早期締結をつよく求めたと推論しているのである。
豊下教授はその著書の中で、例えば次のような言葉を引用している。1946年当時、頻発する労働争議について天皇がマッカーサー司令官に自らの思いを伝えたくだりである。
「・・・日本人の教養いまだ低く、且つ宗教心の足らない現在、米国に行われるストライキをみて、それを行えば民主主義国家になれるかと思うような者も少なからず・・・」と激しく日本国民を批判し、マッカーサー司令官にその取締りを要請した・・・
そして豊下教授は次のように述べている。
「わずか一年数ヶ月前まで、天皇への限りない『宗教心』を持って『天皇の戦争』を戦った一億の日本人を、教養が低く、且つ宗教心が足らないと天皇陛下がマッカーサー司令官に言ったことを、国民が知ったら、激怒したに違いない」
今日でも昭和天皇について語ることはタブーである。しかも終戦前後の昭和天皇の発言などについては断片的なものしか公表されておらず真実は謎のままである。しかし少なくとも米国公文書では様々な情報が記録、保存されている。わが国においてこのような文書が公表されないことは残念だが、少なくとも米国公文書だけでも丹念に解き明かし、事実を後世に残すことは、わが国の歴史家や学者たちの責務であるとつくづく思う。
◇過去を記録する重要性
1日の朝日新聞、「世界の窓」において、英オックスフォード大学のアッシュ教授が極めて的確な論評を書いている。
それは戦後60年たった今も欧州の人たちが過去を分かち合っているようで、それは同じ過去ではないというのだ。彼は先般ロシアを初め各地で開催された終結60周年記念式典を通じて、次のように書いている。
「・・・60年の歳月を経てなお、ワルシャワでの戦争の記憶はモスクワの記憶とは相容れない・・・プーチン大統領にとって1945年5月9日は赤軍が単独で欧州の大半をファシズムから開放した日だが、バルト三国の人々にとっては、その日は全体主義的支配者がナチからソビエトに移行した日だ・・・ブッシュ大統領は赤の広場での戦勝パレードに出席し演説したが、その中でロシア側(の立場にたつこと)でなく、中・東欧諸国の歴史認識に同調した・・・いつもは臆病な欧州委員会も、『われわれは、第二次世界大戦終結が独裁主義の終結とはならず、真の自由がベルリンの壁の倒壊までもたらされなかった。(その間犠牲になった)何百万人もの人々を忘れない』という声明を発表した・・・」
彼は続けてこう述べている。私がもっとも強く共鳴を受けた箇所である。
「・・・最後の生き証人が亡くなっても歴史的事実は変わらないことを認識すべきだ・・・政治機関が明らかな史実を否定したり隠したりし始めたとすれば、それは吹き出物がはしかの前兆であるのと同じように、要注意の兆しだ・・・野蛮な過去の事実を知る権利が欧州市民の一人一人にあるというのが、この大陸が政治的に健全であるための前提条件だ・・・」
アッシュ教授のこの論説を読んでつくづく思う。文部省の教科書検定は廃止すべきではないのか。自虐史観でも皇国史観でもなんでもいい。好きなように教科書を書かせればよい。小泉首相のように勝手な発言も好きなだけさせればよい。しかし史実は一つである。その史実をどのように解釈し捻じ曲げようとも、間違った解釈や主張はやがて内外の批判に耐え切れなくなるに違いない。大切な事は史実を語り継ぐ事である。最後の生き証人がなくなりつつある今こそ史実だけは正確に残していかなければならない。それを政治で捻じ曲げようとすることは、天に唾することなのだ。
◇「日本車の値上げは不要」とロックフェラーが言った
1日の日経新聞に、小さいが、しかし見逃せない記事が出ていた。米外交政策に大きな影響力を持つジョン・ロックフェラー上院議員(民主)が5月31日の都内の講演において、「(日本車を)値上げしようと思っている方がいるようだが、そういう考えは良くない・・・米国は自由な市場。米国人は国の名前で自動車を買うわけではない」と述べたのだ。
この問題は、かつて4月25日に、経営苦境が続くGMなどの米国自動車業界に配慮した奥田日本経団連会長が、「技術提携や値段をいじるとか、多少息つく時間を与えることは大事だと思っている」と発言したことから始まる。
その翌日の26日、ホンダの雨宮副社長は、同様にホンダの記者会見で、「(価格設定は)顧客や市場を見ながら決めていくもの。顧客を無視して、支援的意味合いの値上げなど考えられない。トヨタや自動車工業会との間で(値上げ検討の)話をしている事実も一切無い。独占禁止法(の存在)を(奥田さんは)どう考えているのか」と否定的な見解を示した。
これに対して奥田会長は5月9日の記者会見で再び発言し、「私も日本経団連の会長だし、トヨタ自動車でここまでやってきた人間だ。当然そういうことを十分に考えて言っている。よその会社に協力を求めたことは一切無い。つべこべいろんなことを言うのはけしからん」とつよく反論するというおまけまでついた。
そこへきて31日のロックフェラー氏の発言である。ロックフェラー氏は北米市場で日本車のシェアが高まることに問題はない、かつてのような日本車排斥運動は起きないと強調したのである。むしろトヨタが米国メーカーを凌駕するような態度を見せることを心配すると不快感を示したのである。
奥田会長はロックフェラー氏の発言に果たしてどのような反応を見せか、これは見ものである。
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