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以下引用
“靖国史観”とアメリカ
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靖国神社・遊就館の図録
靖国神社の問題というと、中国や韓国・北朝鮮など、アジアの近隣諸国との関係がすぐ問題になりますが、日本の戦争を賛美する靖国神社の戦争観――“靖国史観”で問題になるのは、アジア諸国だけではありません。その攻撃の矛先は、日本と戦ったすべての国ぐに――アメリカをはじめ、反ファッショ連合国の全体に向けられています。
“「大東亜戦争」を引き起こした責任は アメリカにあった”
「日本は明治開国以来、欧米列強の植民地化を避け、彼らと同等の国力をやしなうべく努力してきました。日本をじゃまもの扱いにし始めた米英の抑圧と、中国の激烈な排日運動にもがまんを重ねてきました。
でも、日本民族の息の根を止めようとするアメリカの強硬な要求は、絶対に受け入れることはできなかったのです。
戦争を避ける道がなかったわけではない。すべての権益を捨てて、日清戦争以前の日本にもどるという道もあったのではないかという人もいます。しかし、それは戦争をしなくても、戦争に負けたと同じことです。
……
極東の小国・日本が、大国を相手に立ち上がった大東亜戦争、これは国家と民族の生存をかけ、一億国民が悲壮な決意で戦った、自存自衛の戦争だったのです」。
これは、戦争のさなかに、軍の統制下にあったラジオ放送の解説報道ではありません。いま靖国神社の展示館「遊就館(ゆうしゅうかん)」の一室で、毎日上映しているドキュメント映画「私たちは忘れない」のナレーションの一節、なぜ日米戦争が始まったかについての解説です(この映画は、靖国神社の後援のもと、「日本会議」と「英霊にこたえる会」が作成したもの)。
太平洋戦争をひきおこし、アジア・太平洋地域にあれだけの大惨害をもたらした元凶は、アメリカだった――こういう宣伝が、靖国神社では、毎日繰り返されているのです。
“ルーズベルトが日本に「開戦」を 「強要」した”
「遊就館」というのは、靖国神社が“靖国史観”の宣伝のために最近大増築した展示館で、そこでは日清・日露、中国侵略戦争、太平洋戦争などの戦争史の全体が、二十の展示室を使って展示されています。その展示に、日本がおこなった侵略戦争や他国への植民地支配にたいする反省は一かけらもありません。
日本がやった戦争のすべてが、日本の「自存自衛」と欧米勢力からアジア諸民族を「解放」するための戦争として描きだされています。そこには、「侵略」という言葉さえなく、戦争の呼び名も、侵略戦争の実態をごまかすために日本の政府・軍部が使った呼び名――「満州事変」「支那事変」「大東亜戦争」という呼び名が、そのまま使われています。
「遊就館」が展示でとくに力を入れているのは、「大東亜戦争」で、五室にわたっています。最初の部屋は、開戦事情に当てられていますが、表題はなんと「避けられぬ戦い」です。
そこで説明されている「開戦事情」とは、アメリカのルーズベルト大統領が、不況から脱出できないことと、ドイツと戦争する計画が「米国民の反戦意志」にはばまれていたことに悩み、そこから抜け出す活路を、日本に「開戦を強要する」ことに求めた、ということです。こうして、日米開戦の責任は、あからさまな形で、アメリカ政府に押しつけられます。
「大不況下のアメリカ大統領に就任したルーズベルトは、昭和十五(一九四〇)年十一月三選されても復興しないアメリカ経済に苦慮していた。早くから大戦の勃発を予期していたルーズベルトは、昭和十四年には、米英連合の対独参戦を決断していたが、米国民の反戦意志に行き詰まっていた。米国の戦争準備『勝利の計画』と英国・中国への軍事援助を粛々と推進していたルーズベルトに残された道は、資源に乏しい日本を、禁輸で追い詰めて開戦を強要することであった。そして、参戦によってアメリカ経済は完全に復興した」(「遊就館」展示)。
“アメリカの陰謀の場となった 「日米交渉」”
「遊就館」展示では、この立場から、「日米交渉」の内容にかなり多くのスペースをあてていますが、この問題についても、“靖国史観”の本音は、映画「私たちは忘れない」の解説の方により分かりやすく出ているでしょう。
日米交渉は一九四一(昭和十六)年四月から始まりました。戦争の回避に努力する日本と、対日戦争準備の時間稼ぎだけをねらうアメリカ、映画のナレーションは、こういう図式で、日米交渉のなりゆきを解説します。
そして、この解説によると、開戦への最後の引き金を引いたのは、日本を戦争に追い込むアメリカの陰謀だったのです。
「アメリカのルーズベルト大統領は、いかにして日本に最初の一発を撃たせるかを考えていました。それはイギリスのチャーチル首相の要請でもあったのです。
十一月二十七日、ハル国務長官〔日米交渉のアメリカ代表〕からアメリカ側の回答がよせられました。運命のハル・ノートです。
ハル・ノートは、中国やフランス領インドシナから、いっさいの日本軍隊および警察の撤退、日本、ドイツ、イタリアの三国同盟の破棄、中国における蒋介石政府以外の政権の否認などを要求する強硬なものでした。
このハル・ノートに日本政府は絶望しました。中国大陸には多くの権益があり、わが同胞も多数生活している。それを残して軍隊、警察を撤退させることはできない。ことに満州には、日清、日露の戦いで多くの将兵の犠牲のもとに取得した合法的な権益がある。それを捨てることはとうていできない」(映画ナレーション)。
要するに、日本が望んだのは、中国を侵略・支配する権利をアメリカが認め、その戦争に必要な石油などの軍需物資の供給をアメリカが保障することだった。ところが、アメリカは、中国侵略の中止、日本軍の撤退を要求してきた。これは、日本を開戦に追い込むためのアメリカの無法な要求だ、こんな強硬な要求を出してきたのは、「日本に最初の一発を撃たせる」ためのアメリカの謀略だったのだ、これが「日米開戦」についての、“靖国史観”の解説です。
これは、日本の歴史的な権利だとして、中国への侵略と支配の“権利”に固執した日本の帝国主義者のかつての議論の蒸し返しにすぎません。
それは、“靖国史観”の鼓吹者たちが、いかに戦前の日本の膨張主義の亡霊にとりつかれているか、それをさまたげた中国の抵抗闘争やそれを援助した世界の諸勢力をいかに恨み続けているかを、浮きぼりにしているだけです。
「適切な判断」をくだすべき焦点はここにある
靖国神社が、あらゆる宣伝物を通じて、日本国民のあいだにもちこもうとしている日本の戦争の「真実」とは、こういうものです。
“靖国史観”によれば、この戦争は日本国民にとっても、アジア諸民族にとっても「避けられぬ戦い」だったのです。「正義」は戦争に決起した日本の側にあり、この日本と戦った国ぐには、中国であれ、アメリカ、イギリスであれ、「正義」にそむく不正不義の勢力なのです。この“靖国史観”の矛先は、日本が侵略した中国などのアジア諸国だけでなく、日独伊のファシズム・軍国主義の侵略陣営とたたかった反ファッショ連合国のすべてに向けられています。
そして、この立場から、「避けられぬ戦い」での戦没者を、正義の戦争に生命を捧(ささ)げた英雄と位置づけ、その「武勲」をたたえるところに、靖国神社の特別の役割があります。
この戦争観は、日本の戦争にたいする国際社会の審判に、完全に背を向けたものです。しかも、この神社は、自分たちの戦争観を日本国民のあいだに宣伝することが、靖国神社の固有の「使命」だと宣言しています。
日本共産党の不破哲三議長は五月十二日の時局報告会で、靖国神社を「日本の戦争は正しかった」論を広める「運動体」だと呼び、そのよってたつ精神は、ヨーロッパでいえば、ネオ・ナチの精神に匹敵する、と特徴づけました。
これは、この「神社」の、宗教施設の領域を越えた特別の役割を指摘したものでした。
小泉首相は、自分の靖国参拝の弁明として、「戦没者への追悼」以外に他意はない、という意味の言葉を繰り返しています。しかし、戦争で命を落とした多くの戦没者・犠牲者を追悼する場として、侵略戦争の美化を使命とするこの神社を選ぶことが、「過去の植民地支配と侵略」への反省の言葉と両立するでしょうか。
国を代表する政府の責任者として「反省」の言葉を口にする以上、小泉首相が、いま真剣に考え、「適切な判断」を下すべきは、まさに、この点にあるのではないでしょうか。(北条 徹)
引用ここまで URL “靖国史観”とアメリカ
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靖国神社・遊就館の図録
靖国神社の問題というと、中国や韓国・北朝鮮など、アジアの近隣諸国との関係がすぐ問題になりますが、日本の戦争を賛美する靖国神社の戦争観――“靖国史観”で問題になるのは、アジア諸国だけではありません。その攻撃の矛先は、日本と戦ったすべての国ぐに――アメリカをはじめ、反ファッショ連合国の全体に向けられています。
“「大東亜戦争」を引き起こした責任は アメリカにあった”
「日本は明治開国以来、欧米列強の植民地化を避け、彼らと同等の国力をやしなうべく努力してきました。日本をじゃまもの扱いにし始めた米英の抑圧と、中国の激烈な排日運動にもがまんを重ねてきました。
でも、日本民族の息の根を止めようとするアメリカの強硬な要求は、絶対に受け入れることはできなかったのです。
戦争を避ける道がなかったわけではない。すべての権益を捨てて、日清戦争以前の日本にもどるという道もあったのではないかという人もいます。しかし、それは戦争をしなくても、戦争に負けたと同じことです。
……
極東の小国・日本が、大国を相手に立ち上がった大東亜戦争、これは国家と民族の生存をかけ、一億国民が悲壮な決意で戦った、自存自衛の戦争だったのです」。
これは、戦争のさなかに、軍の統制下にあったラジオ放送の解説報道ではありません。いま靖国神社の展示館「遊就館(ゆうしゅうかん)」の一室で、毎日上映しているドキュメント映画「私たちは忘れない」のナレーションの一節、なぜ日米戦争が始まったかについての解説です(この映画は、靖国神社の後援のもと、「日本会議」と「英霊にこたえる会」が作成したもの)。
太平洋戦争をひきおこし、アジア・太平洋地域にあれだけの大惨害をもたらした元凶は、アメリカだった――こういう宣伝が、靖国神社では、毎日繰り返されているのです。
“ルーズベルトが日本に「開戦」を 「強要」した”
「遊就館」というのは、靖国神社が“靖国史観”の宣伝のために最近大増築した展示館で、そこでは日清・日露、中国侵略戦争、太平洋戦争などの戦争史の全体が、二十の展示室を使って展示されています。その展示に、日本がおこなった侵略戦争や他国への植民地支配にたいする反省は一かけらもありません。
日本がやった戦争のすべてが、日本の「自存自衛」と欧米勢力からアジア諸民族を「解放」するための戦争として描きだされています。そこには、「侵略」という言葉さえなく、戦争の呼び名も、侵略戦争の実態をごまかすために日本の政府・軍部が使った呼び名――「満州事変」「支那事変」「大東亜戦争」という呼び名が、そのまま使われています。
「遊就館」が展示でとくに力を入れているのは、「大東亜戦争」で、五室にわたっています。最初の部屋は、開戦事情に当てられていますが、表題はなんと「避けられぬ戦い」です。
そこで説明されている「開戦事情」とは、アメリカのルーズベルト大統領が、不況から脱出できないことと、ドイツと戦争する計画が「米国民の反戦意志」にはばまれていたことに悩み、そこから抜け出す活路を、日本に「開戦を強要する」ことに求めた、ということです。こうして、日米開戦の責任は、あからさまな形で、アメリカ政府に押しつけられます。
「大不況下のアメリカ大統領に就任したルーズベルトは、昭和十五(一九四〇)年十一月三選されても復興しないアメリカ経済に苦慮していた。早くから大戦の勃発を予期していたルーズベルトは、昭和十四年には、米英連合の対独参戦を決断していたが、米国民の反戦意志に行き詰まっていた。米国の戦争準備『勝利の計画』と英国・中国への軍事援助を粛々と推進していたルーズベルトに残された道は、資源に乏しい日本を、禁輸で追い詰めて開戦を強要することであった。そして、参戦によってアメリカ経済は完全に復興した」(「遊就館」展示)。
“アメリカの陰謀の場となった 「日米交渉」”
「遊就館」展示では、この立場から、「日米交渉」の内容にかなり多くのスペースをあてていますが、この問題についても、“靖国史観”の本音は、映画「私たちは忘れない」の解説の方により分かりやすく出ているでしょう。
日米交渉は一九四一(昭和十六)年四月から始まりました。戦争の回避に努力する日本と、対日戦争準備の時間稼ぎだけをねらうアメリカ、映画のナレーションは、こういう図式で、日米交渉のなりゆきを解説します。
そして、この解説によると、開戦への最後の引き金を引いたのは、日本を戦争に追い込むアメリカの陰謀だったのです。
「アメリカのルーズベルト大統領は、いかにして日本に最初の一発を撃たせるかを考えていました。それはイギリスのチャーチル首相の要請でもあったのです。
十一月二十七日、ハル国務長官〔日米交渉のアメリカ代表〕からアメリカ側の回答がよせられました。運命のハル・ノートです。
ハル・ノートは、中国やフランス領インドシナから、いっさいの日本軍隊および警察の撤退、日本、ドイツ、イタリアの三国同盟の破棄、中国における蒋介石政府以外の政権の否認などを要求する強硬なものでした。
このハル・ノートに日本政府は絶望しました。中国大陸には多くの権益があり、わが同胞も多数生活している。それを残して軍隊、警察を撤退させることはできない。ことに満州には、日清、日露の戦いで多くの将兵の犠牲のもとに取得した合法的な権益がある。それを捨てることはとうていできない」(映画ナレーション)。
要するに、日本が望んだのは、中国を侵略・支配する権利をアメリカが認め、その戦争に必要な石油などの軍需物資の供給をアメリカが保障することだった。ところが、アメリカは、中国侵略の中止、日本軍の撤退を要求してきた。これは、日本を開戦に追い込むためのアメリカの無法な要求だ、こんな強硬な要求を出してきたのは、「日本に最初の一発を撃たせる」ためのアメリカの謀略だったのだ、これが「日米開戦」についての、“靖国史観”の解説です。
これは、日本の歴史的な権利だとして、中国への侵略と支配の“権利”に固執した日本の帝国主義者のかつての議論の蒸し返しにすぎません。
それは、“靖国史観”の鼓吹者たちが、いかに戦前の日本の膨張主義の亡霊にとりつかれているか、それをさまたげた中国の抵抗闘争やそれを援助した世界の諸勢力をいかに恨み続けているかを、浮きぼりにしているだけです。
「適切な判断」をくだすべき焦点はここにある
靖国神社が、あらゆる宣伝物を通じて、日本国民のあいだにもちこもうとしている日本の戦争の「真実」とは、こういうものです。
“靖国史観”によれば、この戦争は日本国民にとっても、アジア諸民族にとっても「避けられぬ戦い」だったのです。「正義」は戦争に決起した日本の側にあり、この日本と戦った国ぐには、中国であれ、アメリカ、イギリスであれ、「正義」にそむく不正不義の勢力なのです。この“靖国史観”の矛先は、日本が侵略した中国などのアジア諸国だけでなく、日独伊のファシズム・軍国主義の侵略陣営とたたかった反ファッショ連合国のすべてに向けられています。
そして、この立場から、「避けられぬ戦い」での戦没者を、正義の戦争に生命を捧(ささ)げた英雄と位置づけ、その「武勲」をたたえるところに、靖国神社の特別の役割があります。
この戦争観は、日本の戦争にたいする国際社会の審判に、完全に背を向けたものです。しかも、この神社は、自分たちの戦争観を日本国民のあいだに宣伝することが、靖国神社の固有の「使命」だと宣言しています。
日本共産党の不破哲三議長は五月十二日の時局報告会で、靖国神社を「日本の戦争は正しかった」論を広める「運動体」だと呼び、そのよってたつ精神は、ヨーロッパでいえば、ネオ・ナチの精神に匹敵する、と特徴づけました。
これは、この「神社」の、宗教施設の領域を越えた特別の役割を指摘したものでした。
小泉首相は、自分の靖国参拝の弁明として、「戦没者への追悼」以外に他意はない、という意味の言葉を繰り返しています。しかし、戦争で命を落とした多くの戦没者・犠牲者を追悼する場として、侵略戦争の美化を使命とするこの神社を選ぶことが、「過去の植民地支配と侵略」への反省の言葉と両立するでしょうか。
国を代表する政府の責任者として「反省」の言葉を口にする以上、小泉首相が、いま真剣に考え、「適切な判断」を下すべきは、まさに、この点にあるのではないでしょうか。(北条 徹)
引用ここまで URL http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-05-27/03_01_1.html