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関連記事 旧日本軍兵の二人、終戦直後にゲリラに収容、戦術教授も(産経新聞)
http://www.asyura2.com/0505/war70/msg/740.html
投稿者 田中大也 日時 2005 年 5 月 27 日 10:45:36: wfVksbjV/Swxo
 

(回答先: 関連情報 同様の旧日本軍兵士生き残りの情報を伝えるMLを発見 投稿者 田中大也 日時 2005 年 5 月 27 日 09:42:57)

以下引用
戦後60年の「奇跡」「よくぞ生きて…」 比ミンダナオ島 旧日本兵
山岳ゲリラに収容


 戦後六十年の節目の年。旧日本兵とみられる二人が、フィリピン・ミンダナオ島で生存していた情報が入った。「本当にお願いします。お待ちしております」。二人は先月、旧日本兵の遺骨収集活動をしている日本人男性あてにこんなメッセージを寄せていた。旧日本兵の生存、帰国は昭和四十年代後半の故横井庄一さんや小野田寛郎さん(83)が有名だが、今回はそれから三十年以上も、経過していた。マニラの日本大使館員が二十七日に身元確認を行う。二人が所属していたとみられる第三十師団の元兵士らは、戦友との再会に大きな期待を膨らませる。

 「本当にお願いします。お待ちしております 山川、中内」

 今年三月中旬、わずか七センチ四方の粗末なメモ用紙に弱々しい文字で書かれたこのメッセージが、旧日本兵の遺骨収集をしている日本人男性のもとへ届けられた。このメッセージが二人の六十一年ぶりの帰国へ、歴史の扉をこじ開けた。

 この日本人男性は、地元の有力者を通じて二人の居場所を確認した。ゼネラルサントス市近郊で、二人を保護することに成功。ようやく、身元確認までこぎつけることになった。

 この日本人男性に入った情報によると、二人は終戦直後に山岳ゲリラに収容され、長年にわたって部隊で戦術などを教えてきた。最近になって老齢を理由に部隊からの除隊を勧告されたため、帰国の思いを強くしていた。

 二人はニッパヤシの部屋で一日一菜の生活を送ってきたが、健康状態はいたって良く、意識や記憶も確かだという。身長は二人とも一六五センチとみられ、一人は現地の女性と結婚して子供や孫もいる。子供たちの家族は、東部の港町ダバオ市で暮らしているという。

 救出に向かった日本人男性は、山川吉雄中尉(87)と中内続喜上等兵(83)の上司である大阪府東大阪市在住の市川豪弌(ごういち)さん(89)から依頼を受け、五月中旬にミンダナオ島入り。ゲリラ経由で二人に日本製のたばこや名刺を渡してきた。

 面会を前に、この日本人男性は産経新聞社の取材に対し、「本人たちは帰国を強く望んでいる。この二人のほかにもフィリピン国内に四十人近い旧日本兵が残っているとされ、日本政府には早急な帰国を実現してほしい」と話している。

                  ◇

 ■戦友「早く会いたい…」

 フィリピンで生存が確認された数人を知る元戦友は、生存の知らせに驚きを隠せなかった。

 「言語に絶する地獄絵図」と表現する戦地で六十年の時を経て生きていた。日本で戦後を生き抜いてきた戦友たちは「早く会いたい」と一日も早い帰国を待ち望んでいる。

 《戦後六十年。本当に御苦労さまでした。ミンダナオ山中、よくぞ生きられたものと思っています》

 和歌山県海南市で暮らす森義友さん(85)は生存が確認されたときのため、そう記した手紙を用意した。所属したとされる陸軍第三十師団。森さんはこの師団の捜索第三十連隊の速射砲手だった。

 ミンダナオ島での戦闘は過酷だった。森さんが所属した小隊は物量で圧倒する米軍の前に敗退。その後逃亡を強いられた。山中に逃げ、食料を探す日々だった。

 「私らは山の中に芋を探しに行って食べていたわけだから、食料が十分な米軍とは勝負にならない。はらが減っては戦はできぬというのは本当ですよ」

 師団に所属した戦友たちがまとめた戦史では、行方不明になったままその後の様子は分からない。師団関係者が開いた慰霊祭では、「死者」として祭られた。

 慰霊祭を中心になって開いてきた、師団の生存者でつくる「豹の会」会長を務める市川豪弌さんも、生存を知り、驚いた一人。

 ミンダナオ島での戦闘中、食料を求め山の中に分け入った。トウモロコシを生で食べると、血便が出た。下痢が止まらず、そのまま死に至った戦友もいた。木を焼いてつくった炭を水に溶かして飲み、市川さんはようやく一命を取り留めた。

 まさにいつ命が果てるとも分からぬ激戦の地だった。戦後、日本に戻った市川さんはどこでどうやって死んだかも、分からない戦友たちの最期を遺族たちに伝えようと、慰霊祭を開いてきた。

 それだけに、生存劇に市川さんは驚きとともに、感動を隠せない。「ゲリラと共生して生きていたのはえらいことだ。本当に立派と思う」。そう話し、遠い異国の地で生き抜いた彼らをたたえた。

 今月二十五日、市川さんは産経新聞に思いを手紙にこう記した。

 《満腔の思いを以ってだき締めたいと思っています》

 その願いは今まさに成就しようとしている。

                  ◇

 【ミンダナオ島】フィリピンでルソン島についで2番目に大きな島。面積は北海道の約1・3倍の9万1000平方キロ。島のほとんどが、熱帯雨林に覆われ、フィリピン最高峰のアポ山(標高3、144メートル)など標高の高い山が連なる。島民1400万人の多くは、海岸沿いの都市に集中して暮らす。地震や台風など自然災害が少なく、気候も一年を通じて温暖で過ごしやすい。

引用ここまで URL http://ime.st/www.sankei.co.jp/news/morning/27iti001.htm

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