★阿修羅♪ > 戦争70 > 659.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
リドリースコット監督の最新作『キングダム・オブ・ヘブン』はフランスの田舎に住む鍛冶屋が十字軍の騎士となりエルサレム王国を巡る攻防に巻き込まれるという内容であるが、しかし残念な事にその出来は百億円以上の制作費に見合うものではない。興行収入でもリドリースコットが過去に手がけた『グラデュエーター』には及ばないものになることは確実である。題材が非常に面白いものだっただけに残念である。
ところで今回はその『キングダム・オブ・ヘブン』を見た方、あるいは興味のある方に映画での設定と歴史的事実がいかに異なっているのかということと、実はこの話がフリーメーソンにも繋がるという奇妙な事実を投稿しようと思う。
まず『キングダム・オブ・ヘブン』の時代設定はサラディンがエルサレム王国と大規模な戦闘を繰り広げる1187年である。この時代については史実通りなのだが、人物設定がやはり映画と歴史の真実とでは違っている。
映画ではハンセン病の王ボードワン四世の後に直に主人公と敵対するギード・リュジニャンという領主が王の妹を娶って国王に即位するのだが、まずこれが事実と異なるのである。このギード・リュジニャンはボードワン四世より疎まれており、実際は別の人物に王位を譲り、その者が病死した後ようやくギード・リュジニャンは王位につく事が出来たのである。
また映画では王の妹がトリポリら他のラテン王国の女王もかねるという設定であるが当然これは事実と異なる。実際はトリポリの領主はトリポリ伯レーモン三世であり、しかも彼はエルサレム王国の摂政であった。なおこの人物、映画でティベリウスという名で主人公の理解者として登場するボードワン四世の側近のモデルであろう。ティベリアスという都市にトリポリ伯レーモン三世の妻子が住んでいたところからそういう名前をつけたのであろう。
さらに映画で描かれる戦闘シーンもやはり事実と異なっている。映画では十字軍が総力をあげてサラディンとの会戦に臨むシーンがある。この戦闘自体はハッティンの戦いとして有名な歴史的事実であるのだが、そこに至る経緯が歴史とはまったく異なっているのである。
事実としては以下のようなことである。この戦いに至る前、トリポリ伯レーモン三世の妻子が住むティベリアスがサラディンに包囲される。しかし十字軍勢力は3万、サラディンの軍勢はその倍、戦うのが無謀というもの、レーモン三世は妻子を見捨て軍の出兵を行わないことを主張する。しかしそこにレーモン三世を臆病者と罵る人物が現れる。巡礼者を異教徒から守るのを仕事とするテンプル騎士団の総長ジェラール・ド・リドフォールである。実はこの者こそ映画の主人公のモデルともいえるべき人物なのである。映画の鍛冶屋の青年と同じく素性ははっきりしない一介の騎士であったのにいつのまにか聖地と巡礼者を守る騎士団(彼らは修道士でありかつ騎士なのである)のトップである総長にのぼりつめた人物だからである。
だがこのジェラール・ド・リドフォール実際はとんでもない人物でかなりの悪評が後世まで伝わっている。事実この男の主張する「サラディンと会戦すべし」という主張が通った事で、十字軍は全滅、トリポリ伯レーモン三世は命からがら逃げ出したものの、国王ギード・リュジニャンは捕虜となり、テンプル騎士団の騎士もサラディンに皆殺しにされてしまうのである。しかもこの男がとんでもないのはなんとテンプル騎士団の総長であるにも関わらず無事に!ただ一人!何のおとがめも無くサラディンに解放してもらったのである。しかもその後は自ら他の都市に立てこもっている数多くの十字軍に降伏勧告を行う始末。人々は「ジェラール・ド・リドフォールはイスラム教に改宗したのでは」と噂したという。
さて映画の方ではハッティンの戦い後サラディンに包囲されたエルサレムの戦いも描いているのであるが、こちらの方も史実とは異なる描き方がされている。史実としては包囲後、サラディンとの交渉で、例え十字軍に参加していたものでも身代金を払った者は無事に帰国が許されるということになったが、しかし身代金を払えないキリスト教徒がかなりいたという。そのものたちは半分ほどはサラディンの温情で無料で帰国を許されたがしかし残りの半分ほどは奴隷として売り飛ばされたり、あるいは強制労働に従事させられた。
ちなみに先に出てきたテンプル騎士団はエルサレム退去の際、一部の人々の身代金を立て替えたのみで、かなりの財宝を温存して退去している。エルサレムを守れなかった上に、金だけはたんまり持っているということでその後このテンプル騎士団の評判はどんどん悪くなっていったという。
そしてその悪評が彼らをやがて破滅へと導くことになる。1312年フランス国王フィリップはその騎士団の悪評を利用し財産を奪い取ろうと一計を案じ、ヨーロッパに本拠を移していた騎士団の多くの団員を処刑しテンプル騎士団を廃止に追い込んだのである。多くの団員が拷問で命を落とし、かつ嘘の自白で生き残っても無実の罪で重い刑罰を言い渡された。しかも自白を撤回するともっとも重い罪として火あぶりの刑にされたのである。
ただフィリップのテンプル騎士団の罪をでっちあげる企みは二人の騎士団最高幹部の叫びによって民衆に暴露されることになる。彼らは火あぶりになりながらも無実を訴え、そして一年ののちにこの陰謀の首謀者を神の法廷に引きずり出すと誓ったのである。そして現実にフィリップはじめ陰謀の首謀者たちは一年ののちにほぼ全員が怪死し、人々はテンプル騎士団こそが神の側にいたことを信じるようになった。
なお彼らの潔い最後はおおくののフリーメーソンに多大な影響を与えた。まずテンプル騎士団の秘密めいた入団式がフリーメーソンにとりいれられ、またテンプル騎士団の女子禁制などの会則もかなりの影響を与えた。またテンプル騎士団が巨額の資金を持っていた事、さらに内部の情報が外の者には窺い知れなかったということからもさまざまな伝説が生まれ、それがフリーメーソンにとりいれられ、テンプル騎士団はもともとフリーメーソンであるということすら主張する団体も現れたのである。そして現在においてもかなりの宗教団体にテンプル騎士団の存在が影響を与えているのである(そのなかにはあの太陽神殿教団のような集団自殺を図った破壊的カルトも含まれる)。
※参照『テンプル騎士団の謎』レジ−ヌ・ペルヌ−