★阿修羅♪ > 戦争70 > 430.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 05/17 05:10 収監者釈放求め人質 ウズベク国境、無法地帯に 共同 投稿者 倉田佳典 日時 2005 年 5 月 17 日 19:21:33)
05/17 18:45 背に銃撃「絶対帰らない」 恐怖の体験、口々に キルギスの難民
【オシ(キルギス南部)17日共同=佐藤親賢】「ウズベキスタ
ンには絶対帰らない。ここで殺されるほうがましだ」―。キルギス
南部ジャラルアバド州の難民キャンプ。反政府暴動が起きたウズベ
キスタン東部アンディジャンを命からがら脱出し、夜通し歩いてき
た市民らが口々に訴える。急造のテント村は、市民に無差別発砲し
たカリモフ政権への恐怖と悲しみが満ちていた。
共同通信のキルギス人スタッフが十七日、日本メディアとして初
めて難民キャンプに入った。キャンプはウズベキスタン国境から約
三十キロに設営され、キルギス国境警備隊が管理している。食事は
お茶とパンだけ。水が不足しているため、体を洗うシャワーもない
。
約五百三十人の難民が十張りのテントに暮らす。十三日にアンデ
ィジャンでデモに参加していた女性マバンダ・クルバノワさん(2
9)は、「治安部隊が突然、発砲を始め、夢中で逃げた」と語る。
一緒にいた夫と四人の子供の消息は分からない。クルバノワさんら
は着の身着のまま、国境へ向かって歩いた。はだしの人もいたとい
う。
十四日午前三時ごろ、川で隔てられた国境にたどり着いた。衣服
をさおに結んだ白旗を掲げ、国境を渡らせてほしいと訴えた。だが
、ウズベキスタン検問所の警備兵らが突然、銃撃を始め、約六百人
の一行は散り散りになり浅い川を渡った。
背後から銃撃が続き、その場で約十人が死んだという。「私たち
は税金の引き下げや宗教の自由を求めただけなのに。ウズベクに帰
れば拷問や虐待が待っているだけ。絶対に帰りたくない」とクルバ
ノワさんは泣いた。
キャンプを管理するキルギス国境警備隊幹部は「彼らをここに置
いておく法的根拠はない。二、三日中に全員を帰国させるつもりだ
」と話す。
しかし、難民らは一様にキルギスへの亡命か第三国への出国を望
んでいる。既に、国連や欧州安保協力機構の担当者が難民の希望聞
き取りを始めており、キルギス政府は今後の対応に苦慮することに
なりそうだ。
20050517 1845
[2005-05-17-18:45]