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5月16日―メディアを創る
傭兵を称賛する曽野綾子
男女の如何を問わず、およそこの人ほど私の考えと反対の意見を持つ人はいないと思う。その人は曽野綾子だ。
曽野綾子は産経新聞紙上で毎週「透明な歳月の光」という評論を連載で書いている。その16日の評論において、彼女は外国人部隊について次のように自らの意見を述べている。
「・・・日本の平和主義者のように、それだけを(戦いはいけない、武器を取ってはいけないということ)唱えていても、世界平和は実現しない・・・あちこちのアフリカの内戦では、武器を持たない人々が武器を持った人々に虐殺されたし、日本の総理が靖国に参って平和を祈願する事を非難する中国は、武器の輸出国だ。世界のどこかで無辜の人々が中国製の武器で無数に傷つき死んでいる。中国はそのことについて、一体なんと説明する積りだろう・・・外国人部隊は、平和主義の美名に酔うよりは敢えて人間の醜い面を正視し汚名を着る道を選んだ。重大な問題には答えを先送りし、それで決定的な非難も受けないようにして生きている私よりは卑怯者ではない、ということだけは明白だ。その覚悟を感じるから世界のマスコミも外国人部隊に関心を寄せ、その存在を通して改めて人生を考え直すのだろう・・・」
なんという乱暴な論理だろう。勝手な解釈だろう。
いかなる理由があるにせよ、金で雇われて雇い主の為に人を殺すことを本業とする傭兵の存在を私は全く認めることは出来ない。それどころか傭兵は、それが国際法で言う正規軍でないという理由から、国際法の枠外で人を殺し、殺され、戦争の悲惨さをますます見えにくくしている。これほど不当な存在があるだろうか。
曽野綾子は、それを「覚悟ある傭兵の存在を通じて、我々は改めて人生を考え直す」のだと称える。人生を確認できる手段は、何があっても生を生き抜くという基本姿勢だ。何よりも命の大切さをかみ締めることだ。人の命も、自分の命も。
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