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(回答先: シリア国境付近で激戦 米兵総死者数は1611人に 壊滅状態の町も(ベリターAP) 投稿者 田中大也 日時 2005 年 5 月 14 日 18:44:05)
□イラクのカイム市に惨劇が広がる/イスラム・オンライン [イラク情勢ニュース]
http://www.freeml.com/message/organizer-news@freeml.com/0000902;jsessionid=ntticukmw2
URUKNEWSイラク情勢ニュース (転送・紹介歓迎)
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2005/05/14(土)
[飛耳長目録 today'snewslist]
☆イラクのカイム市に惨劇が広がる イスラム・オンライン
HumanTragedyUnfoldsinIraq’sAl-Qaim
☆TV朝日: 〜終戦60年・ベトナム戦争終結30年特別企画〜
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☆★イラクのカイム市に惨劇が広がる
HumanTragedyUnfoldsinIraq’sAl-Qaim
イスラム・オンライン 5月13日 カイム発
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http://www.islamonline.net/English/News/2005-05/13/article03.shtml
5月13日、カイム発:
イラク人の何百家族もが進行中の米軍攻撃から逃れようとして、イラク
西部の街カイムを難民となって離れだした。地元住民は米軍による激し
い攻撃の結果、民家の瓦礫(がれき)の下や路上に置かれたままの死体
が異臭をはなっていることを訴え、赤新月社は米軍の攻勢はカイム市を
「大惨劇の場」に変えてしまったと警告した。
イラク赤新月社(IRCS)の広報担当フィルドス・アル・アバディは、100
以上のイラク人家族が、シリア国境に近いアンバル州のカイムから約75
キロ西にあるアアナの街へ避難したと語った。
彼女はさらに、数え切れないイラク人家族が北東約70キロにあるラワ
とハディッサにも逃れていると付け加えた。
アバディは5月12日、IRIN(IntegratedRegionalInformationNetworks)
に対して、「多くの住民は街から離れるのに必死だが、私たちが得た情
報では、米軍はすべての出口を閉鎖している」と説明した。
カイム市で進行中の軍事衝突によって、戦闘で死んだイラク人の死体
を埋葬するためにの医療支援チームさえもが市内に入るのを妨げられ
て、彼らの遺体は家の瓦礫の下と路上に放置されたままになっている。
ワリド・アル・オベイディ医師は13日、アル・クドス通信に、「状況はひじ
ょうに悲劇的なもので、死体が路上に置き去りにされるなど、大惨事とな
るだろう」と話した。
彼は医療支援チームに死体の埋葬が認められるよう、米占領軍とイラ
ク・レジスタンスの双方に軍事衝突を停止するよう要請した。
イラクで最重要手配されているザルカウィと結びついたアルカイダ支持
者を捜索するという口実のもとに、1000人以上の米海兵隊が5月7日
からカイム市への掃討作戦を展開している。
◆選択肢はなかった
街から逃れ出たイラク人家族は、多くの無実の人々が米占領軍とイラ
ク・レジスタンスの軍事衝突に巻きこまれ、家から離れる以外に選択肢
はなかったと訴えた。
アブ・オマルは、「衝突から難を逃れるには、何も持ち出すことができな
かった。私たちはこのモスクの長老に助けられた」とIRINに語った。彼と
4人の家族はカイム市のモスクに避難していた。
街から逃れてきた別のイラク人女性ウンム・マジンは、アメリカ軍の爆
撃から難を逃れるたために居住地を離れたと話した−−AP通信が報じ
た。 「アメリカ人は武装勢力を攻撃しないで、一般市民の民家を攻撃し
た」。
しかし彼らは命からがら逃げるのがやっとで、生き残るのに必要な十分
な物資を持ち出すことができなかった。
「食料や水、医薬品、あるいは衣服にしろ、満足に持っていない・・・私
たちは砂嵐に疲弊させられている」とウンム・マジンは疲れきったように
話した。 「今は誰も戻ることができないし、夫の身に何が起こったかを知
るよしもない」。
12日には、イラク赤新月社が食料と医療品、飲料水、テントを積んだ
救援車両と救急車の一団を同地域に派遣した。
「テント、毛布、台所用品、水、薬、食料を満載したトラックで、15人の
救援チームが今日到着した」−−マゼン・アブダラーが13日、AFP通信
に話した。
◆物資の欠乏
彼らがイラク西部の街を離れるとき、避難民家族はカイムとラワの間に
ある廃校となった2つの学校とモスクで難を逃れた。軍事衝突を避けるた
めに地元のスポーツ競技場に逃れたこともあった。
彼らが生き延びることができたのは、地元の宗教指導者がこの避難家
族に食料と水を与えたからだった。
しかし軍事衝突は救援チームが被災住民のもとに到着するのを阻んで
おり、衝突が続くと、結果としてこの地域が人道上の危機状況に陥る可
能性が強い。
アバディ(赤新月社の広報)は、「カイム市内にいる者との通話では、電
気も電話も通じてなく、24時間の外出禁止令が課せられていると聞いて
いる」と話した。
「イラクは再びファルージャのような人道上の大災難を受け入れること
はできない。無実の人々が戦闘のまっただ中に投げ込まれている。イラ
ク国民、特に子どもたちに対する不当な行為だ」と彼女は言った。
ファルージャでは昨年11月8日、長いあいだ予期されてはきた猛攻撃
が、2000人のイラク国家警備隊と1万人の米海兵隊によって実行され
た。
その猛攻撃は人口30万人の市の機能を止めた。何日間にもわたって
水も電気もなく、食料品店も閉められた。ファルージャ市内の多くのビル
が完全に破壊され、テレビ映像では攻撃中にすべてが潰されてしまった
幾つかの地域が写しだされた。
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☆★5月15日(日)TV朝日 午後2時ー午後3時25分放送
「ザ・スクープスペシャル」
http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/
〜終戦60年・ベトナム戦争終結30年特別企画〜
検証!終わりのない戦争 知られざるヒバクシャたち
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・・・ アメリカは今も、劣化ウラン弾と続出する奇病の因果関係を否定
しているが、軍の極秘文書が「第二の枯れ葉剤」であったことを雄弁に物
語る。ベトナムとイラク。2つの国で米軍が敢行した「環境破壊」を通じ
て、半永久的に地球を汚染し、自国兵も含む人々の体を蝕むことをも厭
わない「アメリカの正義」の正体に迫る。
■第一部
ベトナム戦争終結から30年 〜枯れ葉剤がベトナムに残したもの〜
■第二部
イラクでベトナムの悪夢再び!? 〜検証!恐怖の劣化ウラン弾〜
ベトナム戦争から16年、「枯れ葉剤の悲劇」はイラクを舞台に繰り返され
た。新たな環境汚染の主役は放射性廃棄物から作られた劣化ウラン弾
である。この「もうひとつの核兵器」は、1991年の湾岸戦争で約95万発
投下され、約320トンもの放射性廃棄物がイラク全土にばらまかれた。
1995年頃から、イラクには小児ガンや白血病の子供たちが続出。一
方、戦争に参加したアメリカ兵43万人も被爆し、「湾岸症候群」に苦しむ
帰還兵は約15万人。終戦後に生まれた湾岸ベイビーの先天的障害率
は67%に達すると言われる。しかし、米国政府は劣化ウラン弾の影響を
一貫して否定、2003年のイラク戦争でも国際的非難の中、躊躇なく使
用に踏み切った。
現地調査した慶応大学・藤田祐幸助教授によれば「イラク全土が永久に
放射能に汚染され、もはや人が住める状態ではない」という。もちろん、
自衛隊が駐留するサマワでも高濃度の汚染が確認されている。そして、
去年2月、サマワで復興任務に就いていた米兵たちの尿から劣化ウラン
が検出された。
被爆症に苦しむ帰還兵は言う。「政府は真実を隠している。サマワ全体
に放射能の砂埃が舞っていて、自衛隊員がそれを吸わずに生活するこ
とは不可能だ。」
※放送内容が変更になる場合があります。
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※URUKNEWS イラク情勢ニュース(webサイト)
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