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記者の目:「刺客」戦術 大当たりした首相だが…
毎日新聞 2005年9月21日 0時11分
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/feature/news/20050921k0000m070148000c.html
話題性に富む女性らに事実上当選を約束して担ぎ出し、郵政民営化法案反対派にぶつけた小泉純一郎首相の「刺客」戦術が大当たりした。
比例代表名簿の上位にランクする安全策を講じて、小選挙区に重複立候補させる手法は、現行選挙制度を巧妙に利用したものだ。しかし、政治家として未知数の人物を選挙の洗礼から避難させ、有権者の意思とは無関係に議席を与えるやり方は、どう考えてもおかしい。
「党本部の選挙区の選択の意思決定を尊重いたしまして、岐阜1区から立候補を決断いたしました」。先月20日、野田聖子氏の対抗馬に決まったエコノミスト、佐藤ゆかり氏が自民党本部で決意表明した。同席した武部勤幹事長は、比例名簿について聞かれ「女性枠で当選を期して参りたい」と名簿の上位登載の約束を示唆した。
佐藤氏は地盤のない小選挙区で予想以上の8万1189票を獲得したが、野田氏に1万5000票余り届かずに敗れ、予定通り比例代表で議席を獲得した。
同様に、政界外から急きょ「刺客」として送られた飯島夕雁氏(北海道10区)、阿部俊子氏(岡山3区)、広津素子氏(佐賀3区)が小選挙区で落選しながら上位にランクされた比例代表で復活当選を果たした。
小泉首相はなぜこのような戦術を考えたのか。
「純ちゃんは小選挙区比例代表並立制を忌み嫌って研究していた。それで制度の裏を知り尽くしていたんじゃないか」。神奈川県立横須賀高校時代からの友人という男性はそう証言する。
小泉首相は海部内閣時代に浮上した小選挙区制に対し、反対派議員連盟の代表世話人を務めていた。91年に首相は後援会機関誌のインタビューにこう答えている。「小選挙区選挙で落選しても比例代表の名簿で上位に登載されていれば当選することになる。これは、有権者の判断よりも政党幹部の判断が優先することになる。(中略)選挙不信が生まれてきます」
前述の友人が言う。「純ちゃんは家でマージャンをしながら『(一つの選挙区に1人を選ぶ過程で)党の権限が強くなりすぎ、公認が党主導になってしまう。重複立候補もばかげた話だ』と言っていた」
首相は当時批判していたことを、くしくも自らが党総裁になってやってみせたことになる。
小選挙区比例代表並立制は、海部内閣では成立しなかったが、94年に細川内閣が政治改革法の一環として成立させた。小選挙区制は、従来の中選挙区制では選挙区が広くて選挙費用がかかりすぎるという批判に応えつつ、2大政党による政権選択を容易にすることを目指したものだ。
しかし、単純な小選挙区制では、大量の死票が出て、少数意見が切り捨てられるため、比例代表制を組み合わせた。
細川護煕首相の秘書官だった成田憲彦・駿河台大副学長(日本政治論)は「議席が激変する恐れがある単純小選挙区制の欠陥を補うためと、いわば経過措置の意味もあって比例をつけた。この制度になって自民党の派閥政治を崩壊させた」と制度の利点を語る。
一方、自民、民主党などの事務局に勤務した政治アナリストの伊藤惇夫氏は「妥協の産物だ。小選挙区制で英国のような2大政党制を作るのか、比例代表を重視して英国以外の欧州型の少数政党の連立政権を作るのかを選択しなければならなかった」と批判する。
96年の総選挙から導入が始まり、今回で4回目の選挙制度の矛盾は、あちこちに生じている。自民党の一部候補が、小選挙区で公明党支持者の票を狙って「比例は公明に」と呼びかける行為はすっかり定着した。今回は、比例復活枠をめぐってライバルとなった自民党の小選挙区候補同士が、相手の選挙区で他党への投票をひそかに呼びかけていたという情報まで出回った。政党政治を推し進めるはずが、民意をねじまげる結果を招きかねない事態だ。
新たな制度の研究が必要ではないか。現行制度を続けるにしても候補者選定のルールを作るべきだと思う。成田氏は「成熟した民主主義の下では、党首独裁による候補者選びは認められないし、すべきではない」。伊藤氏も「英仏では、優秀な人を各政党が若いうちから選抜して育てる仕組みがある。候補者選びに党の理念や哲学を反映させる必要がある」と言う。
「刺客」議員の資質を見極めながら、政治家に有権者の側を向いた議論を求めたい。【社会部・青島顕】
毎日新聞 2005年9月21日 0時11分
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